kotarosandayoneの日記

街道歩きを中心に、風景などをアップしています

東海道と中山道を結ぶ道 巡見道(じゅんけんみち)を歩く~その③ 関ケ原町にゴール 編

前回の「巡見道歩き」②に続き、その③ではいなべ市北勢町から岐阜県関ケ原町まで歩いた時の事を日記に記します。

その② 三重郡菰野町いなべ市北勢町 から中5日。

歩きのルートとしてはメジャーではない・距離が長い・アップダウンもありそう という事で、予習のためにグラフを作りました。(スマホは指で拡大できます)

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前回のゴール、いなべ市北勢町を出発し、三岐鉄道沿いにさかのぼり、県境に向かって標高230メートルまで登ります。

岐阜県からはなだらかに下っていったん標高60メートルまで下げ、登り返してJR関ケ原駅にゴールします。

スタートからゴールまで35キロ。マラソンのチームならもっと詳しい上り下りのデータを取るでしょう。

こちらは「ひとり8時間耐久レース」。

グラフをつくったら面白い図形になりました。役に立ちそう。

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三岐鉄道三岐線の切符 自動改札の通らない「硬券」です

前回はいなべ市から三岐鉄道北勢線で帰りましたが、今回は三岐鉄道三岐線で続きに戻ります。

鈴鹿セブンマウンテンの藤原岳からは石灰石が産出され、三岐線はセメントの原料を輸送するために作られました。

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途中の駅でセメント貨物列車と行き違います。

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単線でも貨物車が停まっていて旅客列車が追い越す、行き違うという光景はあると思いますが、今回は貨物列車のために旅客車が駅で停まって待ちました。

さすがセメント輸送主力(元)の路線です。

まあ、動き出したら停まらない(停めたくない)気持ちはわかります。こんなに重たい荷物はないでしょうから。

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三岐鉄道 伊勢治田(いせはった)駅

2021年6月12日(土)☁ 

巡見道歩きのべ3日目 伊勢治田駅 朝7時スタート

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いなべ市藤原町 妙宗寺と地蔵堂

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お堂の中のお地蔵様

距離が長いのでスタートから気が急いていたのかもしれません。

いつもなら写真をどんどん撮るのですが、出発駅の次に撮った写真は歩き出して1時間近く後でした。

太平洋セメント藤原工場の巨大なプラントの脇も通りましたが高い壁に囲まれていました。

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三岐鉄道 西藤原駅近くの誓願寺 鐘に寺の歴史が掘られている

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時間は歩きながら記したものです。ここまでスタートから7キロ過ぎ、1時間25分経過。まだまだ全体の1/4にも足りていません。

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日本300名山 藤原岳の登山口(大貝戸道)

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旧藤原町立西藤原小学校 2017年に統廃合しました

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モミジのお寺 聖宝寺への参道 今回は街道筋からお参り

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「献灯」の上に「内宮外宮」とありました。一旦リュックを下ろします

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スタートから2時間 朝9時 お店は開いていません

ここで15分間休憩し、お手洗いを借りて、ベンチで朝のパンをかじりました。このあと「員弁街道」と合流して、さらに標高を上げていきます。

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濃州道(員弁街道)との合流点 「内宮外宮 村内安全」   

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中部電力」と「関西電力」をつなぐ送電線

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いなべ市藤原町篠立(しのだち)地区 来た道を振り返る

篠立(しのだち)地区は分水嶺にあり、集落の南側の水は員弁川に落ちるのに、集落の北側の水は反対の岐阜県に向かって下って行きます。

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白黒で分かりにくいですが、いち集落としては面白い地形です

上の地図は「みえ歴史街道ウォーキングマップ」のコピーです。

【リンク】みえの歴史街道/ウォーキング・マップ:巡見道 (mie.lg.jp)

三重県最北端のいなべ市藤原町立田(たつた)地区に入ります。

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立田会館(自治会館)

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立田村の歌」~四季折々の眺め良し

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旧立田小学校 合併までは山村留学制度を行っていました(~2017)

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民家の庭に咲いている美しすぎるバラを愛でて、三重県とはお別れです。前述のようにすでに川の流れは岐阜県側に下っています。

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岐阜・三重県境を振り返る 歩道がないので困りました 歩く人は皆無でしょう

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「従是(これより)南三重県」標識 草むらに埋もれそうです

ここから先は「みえ歴史街道」のエリア外なので、旧ルートも自分で調べました。旧上石津町(現大垣市)の集落に入っていきます。

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向かって左の旧道を行きます

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時間外ですが、地域の郵便局を見ると何だかホッとします

歩き始めて4時間あまり。今回の行程(高低)グラフにも書き込んだ「Cafeあめんぼ」が近づいて来ました。

お昼よりちょっと早めで丁度いいじゃないか。

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!? 石窯焼き🍕を求めて駐車場は既にごらんの通り

恐れ多くも「全く町中じゃない」のにびっくりしました。午前11時半より前。

三重県側からも車で来ているかもしれない。例え入店できてもワタシのピザが焼けてくるまでには1時間はかかりそう~。アウト。

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気分も標高も下って行きます~ さようなら「あめんぼ」 もう来ないから(←悔)

Cafeの到着時間はきちんと書き込んでありました。食べられなかっただけです。

道も歩きやすいし、あと1時間位歩けばコンビニもあるので何とかなるでしょう。

もう少し進んだところで新たな出会いが!

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『宮崎屋 どら焼き』で検索すると大垣市(旧上石津町)のどら焼き、じゃなかった宮崎屋さんが出て来るので検索でも上位なのでしょう。

生地はフワフワのカステラといった感じで大変美味しかったです。

家族の分しか買ってこなかったので。写真を見ているとまた食べたくなってきました!

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大神神社 この太い杉の木を見よ!(ヒノキかも)

大神神社で検索するとまずは奈良県桜井市大神神社(おおみわじんじゃ)がヒットしますが大垣市上石津町の「大神神社もたいへん歴史が古く、何と西暦692年の創祀(そうし)。

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世界最大の電子辞書によると

持統天皇飛鳥時代)が伊勢国行幸伊勢国三重郡に到着した時、右大臣(略)が大物主櫛ミカ玉命の信託を受け、美濃国に創建したという」

となっていますが、奈良の大神神社と同じく、天照大神伊勢神宮に鎮座する以前の宮(元伊勢)に由緒があっても不思議ではないと思います。

持統天皇が都から伊勢に向かう時に美濃まわりの道を選んだのには、天照大神を伊勢までお連れした倭姫命(やまとひめのみこと)のルートをたどったのでしょうか。

宮崎屋さんも大神神社も「巡見道」沿いにありますが、この道は地元では昔から「伊勢街道」と呼んでいるそうです。

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巡見道の曲がり角にある「加登屋旅館」 関ヶ原へは手前の道を右へ

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上石津トンネル(1800m) 抜けるのに25分かかりました

最後の難所「上石津トンネル」。

旧街道(巡見道)は向かって左の山の上を越えていきますが、歩き出して6時間近くなり、マスクをしてトンネルの中に入っていきました。

トンネルに歩道が無かったら、別の川沿いの道を行くにしても、ずいぶんと遠回りしていたでしょう。

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旧上石津町 お堂の中のお地蔵様にご挨拶 無事にここまで来れました

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県境の三重県を発する川の流れを見る 山の向こうから歩いて来た

ここが今回のルートの一番標高の低い所で、ここから関ヶ原に向かって支流の川をさかのぼるように標高を上げていきます。

旧上石津町は大垣市の飛び地になっています。

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伊吹山(1377m)が見えて来るとゴールに近づいて来たな~と

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1600年 関ヶ原の戦いの跡 烏頭坂(うとうざか)

西軍の一部は伊勢街道沿いに敗走することになりますが、その盾となったのが薩摩・島津豊久を頭とする軍です。

薩摩藩の旗印をみると十字架に見えるのだけれど、そうではないという。

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ここで討ち取られたのかどうかは定かではないようで

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享保二年酉の年と刻まれている庚申塔 旅の道しるべにもなる

享保2年に生まれた人は2022年で305歳になりますな。

さあ本日の「ひとり8時間耐久レース」も終わりです。

東海道新幹線の高架を潜ってJR関ケ原駅までもう少し。

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関ヶ原醸造(しょうゆ)

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順調に歩けたし大休止もしなかった(出来なかった?)ので、スタートからゴールまでの約35キロを7時間と5分でした。

もし2日がかりになった時のために予約してあった大垣駅前のホテルに予定通り泊まりました。(最初から泊まりたかったくせに)

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社長のカレーでおなじみのア〇ホテル 大垣駅

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ツインルーム 想像以上にコンパクト 1人でちょうどよい

JR大垣駅ビルの成城石井でしゃれたおつまみやイタリアンを買い込んで寝台列車のような一夜を過ごしました」と旅行サイトに感想を書いたら、ホテル側が良いように受け取って返信してくれました。

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翌朝、養老鉄道で桑名経由で帰りました。ホテルと電車のオレンジ色

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おまけ 養老鉄道サイクルトレイン

2021年6月12日(土)晴れ時々曇り 巡見道歩き その③

いなべ市北勢町 三岐鉄道伊勢治田駅岐阜県関ケ原町 JR関ケ原駅 歩行(所要)時間 7時間05分

2022年2月23日(水)更新

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東海道と中山道を結ぶ道 巡見道(じゅんけんみち)を歩く~その②

三重県亀山市岐阜県関ケ原町を起点とし、東海道中山道をつなぐ「巡見道」のルートに戻って(笑)その②は、菰野町からいなべ市北勢町までの道のりを紹介します。

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巡見(街)道のルート 現在の国道306号~365号

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2021年5月23日のゴール地点 近鉄湯の山線菰野駅 右奥に御在所岳

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かつての賑わいが感じられる旧街道 正面には前の週に登った御在所岳

2021年6月6日(日)晴れ

菰野町の中心部・東町商店街から歩き始めます。この区間菰野町四日市市を東西に結ぶ「湯の山街道」と重なっている区間です。

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酒店の看板もいくつか目にしましたが、「????」となったのがこちら。

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菰野の地酒「大物(おおもの)」やるなあ。飲んでみたい。大物になれるかしら

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四日市市の中心部を流れる「三滝川」の源流は御在所岳(写真の一番高いピーク)と隣の国見岳の間の谷です。

この辺りでは洪水を防ぐ堤防が二重に築かれました。

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1878年明治11年)に建てられた両宮常夜灯 「両宮」とは伊勢神宮の内宮外宮のこと

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新名神高速道路の法面 バックに鎌ヶ岳(左)と御在所岳(右)

「つい先週登ったばかりなんだよな」とつぶやきながら巡見道を北に向かいます。

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こちらは1848年(弘化5年)建立 菰野町千草の常夜灯

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各地への距離を示す道標から「巡見新道」と「巡見旧道」に別れていましたが、後述するように「伊勢西国三十三所霊場」の尾高観音(おだかかんのん)により近い旧道を進むことにしました。

【リンク】こちらの地図を参考に歩いています。

みえの歴史街道/ウォーキング・マップ:巡見道 (mie.lg.jp)

「巡見道マップ」の表紙にもなっている常夜灯に近づいて来ました。

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堰堤が連続する朝明川(あさけがわ)

朝明川の左岸の丘陵地をどんどん登っていくと「三重県民の森」に入ります。

ここは1980年(昭和55年)に全国植樹祭が、13年後の1993年(平成5年)には全国育樹祭が行われました。

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全国植樹祭昭和天皇が植えられたヒノキを、全国育樹祭では今の天皇陛下(当時は皇太子殿下)がお手入れされたそうです。

三重県民の森で「おじいちゃんが植えた木」をお世話したわけですね。そうと知っていれば探したのに?またの機会にでも。

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広大な敷地にのべ6キロ以上の散歩道があるそうです

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この敷地内に昭和天皇お手植えのヒノキがあるようです どれかな

サツキはちらほらと咲いていますが、きれいに刈られた芝生を見ていると何だかゴルフがしたくなってきました(笑)。そんな雰囲気ありませんか?

【リンク】園内マップ | 三重県民の森 (mie-mori.jp)

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「尾高高原乗馬倶楽部」がありました 放牧中かな?

乗馬クラブの角を曲がって西に進むと「尾高観音(おだかかんのん)」の境内に入っていきます。

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遠くに六角堂が見えます 身が引き締まるような雰囲気

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尾高観音は「伊勢西国三十三観音霊場」の元?二十五番札所となっていて、この六角堂は1851年に建立されました。150年以上前ですね。

千手観音が祀られているようです。お堂の中の様子は分かりませんでした。

歴史街道マップでは巡見道から尾高観音まで往復するように紹介されています。

【リンク】みえの歴史街道/ウォーキング・マップ:巡見道 (mie.lg.jp)

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「桜地蔵」のあたりで巡見道旧道(巡礼道)に戻る

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さらにもとの巡見道と合流して、続きを北に向かいます

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竜ケ岳(りゅうがたけ)1100m 鈴鹿セブンマウンテンのひとつ

竜ヶ岳は名の通り、竜が尾を手前にとぐろを巻いて座っているような形で、冬は真っ白になります。

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「宇賀溜」(うがだめ) 下流一帯の水田を潤します 奥に藤原岳

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いなべ市大安町にある距離標識「東京まで422粁(キロメートル)津まで59粁」

東京と津が併記されているのは格好いい さすが?県庁所在地

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午後3時近く さすがにお腹が空いて来ました

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遅い昼ご飯 調べてあったカフェで日替わりランチをまだ頂けました! 

コンビニ等もないので助かりました お水もお代わりしたような 「Cafe きら」さん。

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この道「巡見道」はかの伊能忠敬が測量のために1814年(文化4年)に通っているそうです。

名高い幕府のお役人の一行を街道筋の集落はどこも総出でもてなしたのでしょう。

忠敬はその時すでに70歳。(全部三重県歴史街道マップの受け売りでござる)

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いなべ市の「青川」 忠敬は平常時の水位と川原の幅などを記録したそうです

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三岐鉄道三岐線 伊勢治田(はった)駅の踏切を渡ります

三岐鉄道の名の通り、昔は三重の四日市から岐阜の関ヶ原まで、まさにここから進む「巡見道」のルートに沿って鉄道が計画されていたようです。

三岐鉄道岐阜県まで伸びることはありませんでした(今のいなべ市藤原町内が終点)。
ここからもうひと踏ん張りで、もう一つの三岐鉄道北勢線」に乗って帰ることにしました。

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この電車です! レトロ可愛いですね。

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いえ、これはかつて三岐鉄道(旧近鉄北勢線を走っていた電車の展示で、今終着駅に入って来たクリームと緑のツートンカラーの電車に乗って帰ります。

これも「三重交通」時代の復刻カラーです。レールの幅は76センチしかありません。

JR在来線の「狭軌」(1067mm)よりもずっとせまい「特殊狭軌」(762mm)で現在も地域の貴重な足であると同時に鉄道ファンも全国からせっせと足を運びます。

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「レール幅に負けず劣らずホーム幅が狭い」⇒有吉にいじられそう

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その①では亀山⇒菰野 その②では菰野⇒いなべ と歩いて来ました。その③では県境を越えて岐阜県側の巡見道の起点、関ヶ原まで歩きます。

ブログを書いているこの冬は大雪で、とてもではないが歩けない区間です。

2021年6月6日(日)晴れ 巡見道歩き その②

三重郡菰野町 菰野駅~いなべ市北勢町 阿下喜駅 歩行(所要)時間 6時間10分

2022年2月22日(火)更新
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東海道と中山道を結ぶ道 巡見道(じゅんけんみち)を歩く~山に寄り道 編

巡見道をあるく~その①の続きです。

三重県の亀山から岐阜県関ヶ原までを結ぶ「巡見道」をのべ3日間で歩いて、その①では亀山から菰野を紹介しました、

ところが、景色を見ているうち山に登りたくなり、気が付いたら靴を履き替えて街道から外れ、山のてっぺんに寄り道してしまいました!

よってその①の続きはその②ではなく、早くも番外編です(笑)

巡見道歩きの一番のセールスポイントは、鈴鹿の山々を思う存分に見ながら歩けるところでしょう。山々、と言えば複数の山を指しますが、

「1日の行程で『鈴鹿の複数の山』を登る方法はないものか」という訳で

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いつもの手書きの地図 いちおう国土地理院の地図をみながら

三重県菰野町湯の山温泉を起点に、長石谷(ながいしだに)コースでまずは鎌ヶ岳の頂上へ⇒三重と滋賀の県境の尾根を伝って、御在所岳へ⇒ロープウエイで下山

私は山の下りがあまり得意ではないので、帰りはロープウエイで良いんです。時間も節約できますし。

御在所岳(ございしょだけ)は標高1212mですが、鈴鹿山脈の盟主で、ドラえもんの(かつての)ジャイアンのように威張っています。

その南にある鎌ヶ岳(かまがたけ)はジャイアンの威を借りてくっついているスネ夫のような山です。(※2つの山は持ちつ持たれつの関係です)

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スネ夫(左)とジャイアン(右)のツーショット

今回は、近鉄湯の山線の終点からバスで湯の山温泉御在所ロープウエイ駅まで行き、そこから谷コースをあるいてスネ夫の頂上へ。

武平峠まで下って登り返してジャイアンの頂上へ。山頂レストランで今登ってきたスネ夫の景色を見ながら🍺、笑笑。ロープウエイで下って余韻に浸りながら帰路に着く。

2021年5月29日(土)晴れ

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御在所ロープウエイ湯の山温泉駅 スタート&ゴール地点 正面てっぺんがジャイアン

ここから温泉街を長石谷コース入り口まで舗装路を歩いて登っていきます。

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温泉街通りの渓谷も十分に美しい

ロープウエイ駅前から30分位歩いて、長石谷コースの入り口に着きました。

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朝8時11分 長石谷コース入り口 分かりやすい看板(青色)がある

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早速、橋のない谷を渡る 夏なら涼しそう!

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男性の3人組と会いました 「このコースは初めて」とか

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このコースはとにかく、沢筋を外さない事です。「道なのか川なのか分からないな」と思っても岩にペンキマークがあるので安心です。

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このような滝も、少し回り込むだけでその上に出ます

石谷(ながいしだに)の名の通り?長い長い長い登り3時間のコースです。しかしリュックを下ろして休憩できる場所はいくらでもあります。

ゴール地点が見えないコースなのであわてず、ゆっくり目に登って行きます。

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登るにつれ、沢の流れは左右からの落石に次第に覆われていきます。

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写真の見た目よりも、岩は安定しているので大丈夫です。

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だんだん急斜面になって来ました 3人組が先を行きます

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最後の方は岩ばかりになります。「本当に登山道?」赤いペンキマークを信用するのみです。(真ん中上に小さく見える)

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いよいよ稜線の下に来ました。

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岳峠(だけとうげ) 鎌ヶ岳(スネ夫)のちょうど肩のあたりです。

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真ん中の白く平らな所がさっきの岳峠。その先(南方面)は鎌尾根(かまおね)といって風化した岩のアップダウンなので要注意。

足を置いたとたんにポテトチップスのオーザック(商品名)のようにパリンパリンに割れるところもあるので、鎌尾根は下り(南方向)には使わないほうが安全でしょう。

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シロヤシオ愛子様おしるし)と青空 

2021年の春は、シロヤシオの当たり年だったようです。同じ仲間である街のツツジもきれいだったですよね。その年々によるみたいです。

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うつむきの花とギザギザの葉に特徴のあるイワカガミ(岩鏡)

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スネ夫の頭のてっぺんに来ました。標高1161mの素晴らしい眺め。

これ以上近づくのは野暮というもので、「最高の景色ですね~!」と心の中で呼びかけました。

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今、この地点です(鎌ヶ岳頂上) 湯の山♨マークから3時間

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帰りのロープウエイから見た石谷コース(青い線)

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今から、向こうにみえるジャイアン御在所岳)に登り返します。

スネ夫の山頂直下の道の崩壊が激しいらしく、目の前が鎖で通行止めにしてありました。

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新しい迂回路にも見慣れた青色の看板がありました。

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スネ夫山頂直下のガレ場(岩肌の崩壊地)

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少し下って、てっぺん(いちばん奥)を振り返る

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武平峠まで、掘り込まれたような道を下る

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武平峠(877m) 勇ましい名前だが「戦の道」ではなく物流の道だったよう

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スネ夫ジャイアンの間、いちばん凹んでいるところが武平峠

「武平峠」については、『世界最大の電子辞書』に簡潔に書かれています。
ではジャイアン、もとい御在所岳までひと頑張りの登りです。

コースタイムは約1時間なのですが、撮影ポイントが多すぎて、止まっている時間の方が長いのでは?

必然的にタイムオーバーとなりますが、帰りはロープウエイの予定なので気にならず。

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岩を登りきると、スネ夫の勇ましい姿。

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サラサドウダンの小さくかわいらしい姿にうっとりしたり。

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ヤバいかなと思っても、赤い⇒に従うと、簡単に登れます

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ここには掲載しませんが、カップルで登っていると凍り付いてしまうような「ユニーク」な形🚀をした岩もあるので要注意です!(何が)

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奇岩ばかりが目に入りますが、たまに岩の間から見下ろす緑の谷は素晴らしいです。植生の違いがわかります。

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シロヤシオ一杯のジャイアン山頂付近 奥にはロープウエイ山上公園駅

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眼下に菰野町の街が見えます

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ロープウエイの湯の山温泉駅から歩き始めて5時間。ようやくジャイアンの三角点に着きました。

あとはビールをぐいっと🍺やって、降りるだけです。

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ところがですね。

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2021年5月現在、菰野町御在所岳を含む三重県北部では「まん防」の期間中で、ビールの自動販売機は運転中止。山上レストランではビールの販売禁止。
何のために電車とバスで来たん? というか、、

何しに来たん??

という位の落胆ぶりで、私はロープウエイを下って行きました。

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ロープウエイからの景色は素晴らしいものです。向こうにはスネ夫君。

この日記を書いている今は辺り一面真っ白でしょうが。(2022年2月20日

実はこの日のひと月前にもジャイアンの方だけを登ってロープウエイで降りて来た写真があるので載せておきます(この時は🍺が飲めました!)

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今登って来た山「スネ夫」を見ながら!(^^)!・・・のはずだったのにぃ

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2021年4月の写真です

御在所ロープウエイさんには色々お世話になっているのでリンクを張らせてもらいます。

【リンク】御在所ロープウエイ (gozaisho.co.jp)
すっかり長くなりましたが、街道歩きファンの方にはとんだ遠回りでした。巡見道歩きの続きはまた頃合いを見てあげます。この更新も久しぶりでした。

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巡見道を歩く~その② 菰野町から御在所岳(予告)

その②に続きます。
2022年2月20日(日)更新 
■■

東海道と中山道を結ぶ道 巡見道(じゅんけんみち)を歩く~その①

頭が痛くて、口を開けるたびにアゴも痛い。ついでにお尻の方が痛くて会社を休んでしまいました。

世間はオミクロン株にも悩まされ、私の周りで元気なのは津市会議員選挙の選挙カーだけです。(2022年1月22日現在)

家でじっとしているのも辛いし、むろん出かけることも出来ないので、街道歩きの日記を更新することにしました。

三重県亀山市岐阜県関ケ原町をそれぞれ起点とし、東海道中山道をほぼ南北に結ぶ「巡見道(じゅんけんみち)」を3回に渡って紹介します。

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巡見道というのは江戸時代、将軍の代替わりの度に幕府の視察団である「巡見使」が地方を見て回るために通った道の事で、現在の国道306~365号のルートは現在でも「巡見(街)道」という名が残っています。

「巡見道」その①では、亀山市から三重郡菰野町までのルートを2021年5月に歩いた時の事を写真で振り返ります。

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紀勢線 亀山~下庄 田んぼに列車が映る

関係なさそうな写真が出てきました。

巡見道歩きの前日に軽くウォーミングアップしようとJR紀勢線に沿ってひと駅歩き、亀山で宿泊。お手軽な一泊旅行気分です。

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気分転換に近場でも良いのでホテルで泊まる事があるのですが、亀山市アパホテル三重亀山はもう定宿です。

部屋が広くて、テレビが大きくて、しまむらセブンイレブンがホテルと背中合わせ。道の反対側のお好み焼き屋は大当たりでした。

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シングルの部屋のテレビ 大きすぎる(笑)

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後ろがアパホテル三重亀山 周りにも飲食店多数

【リンク】

【公式】アパホテル〈三重亀山〉(アパ直なら最安値)宿泊予約 ビジネスホテル (apahotel.com)

栄 - Google マップ

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巡見道歩き その① 2021年5月23日(日) 亀山市三重郡菰野町 

まずは東海道から出発です 亀山宿の江戸口を出て東に向かいます。

東海道から分かれて、巡見道のスタートです 郵便局の角から写真奥に向かいます。

亀山と言えば今も世界的ブランドの「亀山ローソク」そして一世を風靡した液晶テレビの「亀山モデル」秋葉原でもずらり並んでいたそうです。そして、やっぱり亀山茶。

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ここから茶畑が始まります。ワクワク

巡見道は三重県内でもひとめ最大級(?)のお茶畑「中の山パイロット」を南北に貫いていきます。

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歩いたのは5月23日。二番茶かな 三番茶かな?

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中学校の修学旅行で行った、鳥取砂丘を思い出しました

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お茶畑には大抵あちこちに立っている扇風機

お茶の葉っぱを冷やすものではなくて、むしろ逆。

放射冷却による遅霜の害を防ぐために地表付近と扇風機あたりの空気を混ぜるそうです。下が冷たくて上の方の空気の方が暖かいそうな。

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鈴鹿南部の主峰 仙ヶ岳 ギザギザの南尾根は登り応えあります

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ようやく街道らしい道しるべを見つけました。

「みえ歴史街道ウォーキングマップ」によると大正3年のもので、そう古いものではありませんが、右 巡見 左 野登(寺)と書かれているのか何とか読めました。
【リンク】(三重県のホームページ)
みえの歴史街道/ウォーキング・マップ:巡見道 (mie.lg.jp)

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伊勢の国の丘陵地を南北に結ぶ巡見道は、幕府のお役人だけでなく多くの旅人も行き交った事でしょう。

国道306号と言えば、私も仕事で良く通りました。

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「両宮常夜燈 五穀成就 村内安全」

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巡見道は、今では近所の生活道路です(亀山市川崎町)

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現在の国道306号に沿う箇所もあります。注意が必要です。高架は東名阪自動車道

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御幣川(おんべがわ)にかかる橋の上から

鈴鹿山脈から流れる川の水は豊富ですが、土地の低いところを流れているため、かんがいのために多くのため池が作られています。

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命の水の分岐点 何気にカメラに収めてありました

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鈴鹿市に入りました 伊船町の常夜灯(天保13年)隣には警察官駐在所

この辺りは「巡見旧道」「巡見新道」「巡見別道」が分岐したり並行したりしています。一番歩きやすい道を行きました。上の写真は新道です。

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三叉路に立つお家 道標が壁に埋め込んでありました

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神社への参道が真北に伸びています 巡見別道と新道の別れ

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まるで抹茶カステラ 今刈ったばかりの茶畑 奥に機械

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日本武尊 ヤマトタケルノミコト ゆかりの式内長瀬神社

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丘陵地の亀山とは違い、鈴鹿の茶畑は平坦なイメージです。

昔は水沢茶(四日市市)、大台茶(大台町)などお茶の生産が盛んな地域の名前で親しまれましたが現在は三重県産のお茶は「伊勢茶」として流通しています。

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鈴鹿の山を眺めながらの巡見道歩き 手前は入道ケ岳 奥に鎌ケ岳

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四日市坂 巡見道を通して地道を歩いたのはここだけ

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内部川(うつべがわ)奥に鎌ヶ岳 荒々しい鎌尾根

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水路とアジサイ 奥に入道ヶ岳

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川の水位よりも高いところを流れる地下水路

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「左こもの|右桜」

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こんな小さな道しるべ 見逃すところです

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巡見道はゴルフ場の敷地の中を通ります ゴルフしてないなあ

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鈴鹿山脈の盟主 御在所岳1212m

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菰野町四日市市を結ぶ近鉄湯の山線 バックに釈迦ケ岳

三泗(さんし)地区を東西に延びる菰野(湯の山街道)に合流して、巡見道歩きの初日はおしまい。普段はその続きを歩くと決まっているのですが。

鈴鹿の山をたっぷり見ながら歩いていると山に登りたくなり、翌週は巡見道歩きを中断して御在所岳と鎌ケ岳を登ってしまいました!

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次回は街道歩きとは全く違った荒々しい写真を公開するかもしれません
巡見道歩き その① 2021年5月23日(日) 
亀山市三重郡菰野町 所要時間約6時間30分

2022年1月21日(金)三重県津市の自宅にて更新(会社休み)

***病院で薬をもらって来たのであしたはもう少し楽になりますように

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「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その⑤

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中山道との分岐点「信濃追分」駅から善光寺を目指す歩き旅の3日目。宿泊した上田駅前から電車で昨日のゴール地点・千曲(ちくま)駅にやって来ました。

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湘南カラー復刻版」です。確かに昔の大洋ホエールズのユニフォームを思い出します。

2021年1月31日(日)☁⛄くもり 時々雪(善光寺街道歩き 千曲⇒長野)

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本来の赤とグレーのコーポレートカラー「しなの鉄道」を眺めながら北上します。今日の長野県北部の天気は「曇り時々雪」の予報でした。

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街道に近い千曲市のお寺の前を行きました。「六地蔵」とあるのに7体??真ん中はお地蔵様ではなく石造りの観音様でした。

やはり赤とグレーのコーポレートカラーは目を引きます。

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屋代(やしろ)小学校旧校舎千曲市指定有形文化財

明治21年から90年間使われました。玄関や窓など和洋折衷のつくりが松本市旧開智学校と似ています。

何となく「松本の教育に追いつけ追い越せ」のような精神を感じました。建物の色が良いですね。

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「昭和53年まで使用」。昭和41年生まれ(私と同い年)の人は「学び舎と一緒に卒業」したのですね。

どれだけ感慨深かった事でしょう。

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北陸新幹線の高架橋 千曲川を越えるのでずいぶん高い

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しなの鉄道(旧信越本線)の橋りょう(上り) 1974年(S49)架橋

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私は歩いて千曲川を越える

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千曲川を渡ると長野市に入ります。

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この写真は前回、善光寺西街道善光寺街道の合流地点を過ぎて撮った写真ですが、再び前を通ります。歯瘡医殿(しそういでん)」

江戸中期の創建で歯槽膿漏や歯痛に霊験あらたかだそうです。

歯の病気は消化器のガンや二次感染症など万病の温床になるという事なので、口内の健康には努めたいですね。(歯周病が進んでいる人はコロナ感染で重症化しやすいというデータがあります)

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午前11時過ぎでしたが、並行するバイパスに西友があったので総菜のチキンカツを買って、持っていたおにぎりと共に食べました。イートインのスペースがあったので。

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川中島の戦い」有名ですよね ただどこが「島」なのか分からず

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観音堂地蔵菩薩もおわす)を過ぎれば、善光寺手前の宿場「丹波島(たんばじま)」宿です。犀川(さいかわ)の川渡しを控えて賑わったそうです。

どうやら「川中島」とは千曲川犀川の合流する三角州らしい。

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浪花千栄子さんの本名は南口キクノ(なんこう・きくの)だそうです 嘘のような本当の話

オロナイン軟膏のホーロー看板大村崑のオロナミンCと並ぶ昭和の「大看板」です。だんだん見かけなくなってきました。「アース渦巻」「ボンカレー」・・・

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犀川を渡ります

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JR長野駅跨線橋で渡ります

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江戸や京都から向かうと、街道の終着が善光寺の表参道となります

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長野駅前からまっすぐ北に向かって、表参道はゆるい上り坂になっています。

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善光寺宿脇本陣跡 郵便局と漬物 佃煮のお店が入っています

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本陣跡 現藤屋(ふじや)旅館

コンクリート造りに見えるものの、何と木造3階建てで国登録有形文化財だそうです。

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いよいよ、善光寺街道も終着点が見えてきました!

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善光寺入り口の仁王門 存在感があります。お寺側からは街道の起点となります。

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仁王門の説明版 指で拡大して下さい

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善光寺仲見世通り「コロナ禍でも大賑わい」などとタイトルがつくのでしょうが。

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わずか1分以内に撮った写真がこちらです。上とは全然違うタイトルがつくのでは?

撮影の仕方によって人通りは多くも少なくも見せられるので、皆さんもマスコミの印象操作にはご注意ください これからも。

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善光寺三門(山門)

善光寺の三門は1750年建立の国指定重要文化財です。奥に本堂がのぞいています。

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小雪が舞っているのが何とか分かるでしょうか

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いよいよ、善光寺の本堂に入ります! お寺ですが、神々しい光を放っています!

東海道歩きでは「江戸日本橋」と「京都三条大橋」は街のど真ん中にある道路の起点という感じで私は「到達感」はあまりなかったのですが、長野善光寺は街道の終着にふさわしい存在でした。

伊勢神宮日光東照宮を目指す伊勢街道・日光街道も同じ趣があります。

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本堂は1707年再建の国宝 けっしてお寺本来の姿ではないのでしょうが、今日も善男善女が参拝に訪れます。

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本堂脇には小林一茶の句碑。「春風や 牛にひかれて 善光寺

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大きな町だなあ。長野市原田が、船木が大ジャンプを放った1998年長野冬季五輪の開催中心地でもあります。

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東京五輪はいったいどうなるのだろう。エンブレムをみてつぶやいた2021年1月末の善光寺街道歩きでした。

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おまけ 長野電鉄「ゆけむり」号 渋・湯田中温泉行の特急

2022年1月5日(水)三重県津市の自宅で更新
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「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その① - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その④

🎍2022年 あけましておめでとうございます。

年末から年始にかけて大雪に見舞われた地方もあったのでしょう。三重県鈴鹿山脈のふもとを走る新名神高速道路も通行止めになりました。

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雪解けの1月3日に鈴鹿の山を見に行ってきました。正面右奥の山が御在所岳

三重県御在所岳の中道(なかみち)ルートは「四季を通じてお手軽にアルペン気分を味わえる、日本を代表する登山コース」ですので是非一度お立ち寄りください。

さて本題、善光寺街道を歩く旅の紹介の続きです。こちらは長野県上田市

2021年1月30日(土)晴れ(善光寺街道歩き 田中⇒千曲)

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午前7時過ぎ 上田市内 夜の間に雪が降ったようです。

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六文銭をあしらったJR(しなの鉄道上田駅から電車に乗って田中駅まで戻り、善光寺街道2日目の歩き旅です。

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冬の朝日を浴びてルンルン気分で歩き出したのですが、黄色い工事用のバリケードの奥をひょいと覗いて、思わずハッとしました。

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2019年(令和元年)19号台風 ー。

阿武隈川福島県)や千曲川(長野県)などの氾濫は大きく伝えられ、北陸新幹線車両基地が冠水して10編成120両が水没した、あの台風から1年と3カ月(※2021年1月現在)。

復旧工事がまだまだ続いている事を思い知らされました。被災当時の写真が現場にありました。

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今ちょうど立っているところでは、千曲川の護岸がえぐられる様に崩壊し、その上に作られていた道路が流された様子が航空写真で分かります。

もういちど現場(ひとつ上)とを見比べました。あちこちで護岸の基礎工事からやり直している様です。

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地元の海野(かいの)氏や真田氏の守護神・日本武尊ヤマトタケルノミコト)を祀る隣の白鳥神社は被害にあわなかったようです。

一礼して歩き出してまたビックリ!!

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「タイムスリップしたみたい・・・!」

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近代的なものが何一つ目に入ってこない。道路標識も、看板も、電柱も。

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2日目に出発した田中宿の次の海野(かいの)宿に差し掛かりました。街並みを丸ごと残そうという、文化庁「重要伝統的建造物群保存区」に選ばれています。

同じ長野県内では中山道妻籠(つまご)宿や奈良井(ならい)宿などが有名で、私も歩いて来ましたが、ここでは予備知識もなかったので、意表を突かれました。

先ほどの護岸工事のところから本当に1分も経っていません。

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通りに沿って流れる水路がまた良い感じなのです。

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宿場町の裏手には、しなの鉄道(旧信越本線)が並行して走っています。

鉄道の開通前と後では宿場や街道も様変わりしたでしょう。まず、馬が通らなくなったでしょうね。

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川が千のように曲がりくねっている事から「千曲川(ちくまがわ)」というのは成程もっともらしい説です。

写真の道祖神の近くに、江戸中期の洪水で出した2800人という犠牲者を弔う仁王尊もありました。

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河岸段丘の低いところにも家が建っています。

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こちらは「猫石」と呼ばれ、坂上田村麻呂千曲川を渡るのに難渋していると猫が現れ、浅瀬の場所を教えるかのように先に渡ったという伝説にちなむものです。

川の中にあった大石でしたがその一部が神社の境内に移され、「区内(町)の平安と河川の平穏を祈願する」と記されています。

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それにしても千曲川の流れは素晴らしいですね。私のお気に入りの一枚です。

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奥に日本百名山四阿山(あずまやさん)方面の山と観光列車「ろくもん」。

通りすがりの奇跡の一枚です(自画自賛、笑)。

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こちらは逆に、走って来るのを少し待ちました。「千曲川を渡る北陸新幹線」。

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上田市の市街地に入ってきました。信州大学繊維学部はかつて養蚕が盛んだった上田市にあります。

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午前10時半。ちょうど3時間歩いて、上田駅前通りを横切りました。この後上田城址で休憩したりして、2日目のゴールまであと6時間かかったのですが。

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上田藩主屋敷門 上田城の三の丸だった所に上田高校があります。頭良いんだろうな~(俗人のつぶやき)。

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橋の上から眺める「二の丸堀」跡。昭和47年まで電車が走っていたといいます。

上田城は戦国末期、真田幸村の父、昌幸によって築かれ、攻め寄せる徳川の大軍を二度に渡って撃退した事で真田家と共に名を馳せました。

平城(ひらじろ)でありながら守りが堅く、先ほどの雪山と電車の風景の川原にも合戦の「防波堤」を築いたそうです。

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本丸に続く櫓門(やぐらもん)1994年に復元 本丸跡は緑地公園になっています。

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石垣の中でも大きな「真田石」。北の櫓を支えています。

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本丸を取り囲む堀はしっかり凍っていました。

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外堀が切れたところに「右せん加うし道」(右へ善光寺)の道しるべ 元禄時代のもの

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千曲川の氾濫で川原に流れ着いた大量の骸を弔う千人塚がありました。

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断崖絶壁が千曲川に落ち込み、善光寺街道随一の難所とされた「岩鼻」。

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「ねずみ」面白い地名だと思ったら、岩鼻の先で上田の防御として真田信之(幸村の兄)が私の宿場を設けて寝ずに見張った(不寝見)だという事。

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「今日はチャーハン出来ないんです」。何だろうと思ったら厨房の誰かが休んだみたいでご主人が1人で調理していました。

私が食べている途中で注文が一段落し、ご主人が思わずくたっとなっていました。

いや、暖かいものが食べたかったので十分でした。美味しかった。

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坂城宿本陣の表門(江戸時代の土壁)

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「渡らないでください」と一応書いてあるが・・

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田中宿・海野宿・上田宿・坂城(さかき)宿と順にたどり、善光寺参りの精進落としとして賑わった戸倉上山田(とぐらかみやまだ)温泉を遠目に見ながら、何とか千曲(ちくま)駅に近づいてきました。

歩き出してやがて9時間は立とうとしています。

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千曲駅から電車で20分掛けて上田駅に戻り、昨日と同じホテルに宿泊します。

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「きょうは一日晴れて良かったけど、明日(3日目)はどうかな~」。しなの鉄道の車窓より

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きのうはホテルのレストランで贅沢したので今日の夕ご飯はファミレスで。

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後はホテルの部屋で休むだけ・・・の訳はなく?(※食事前に撮影)

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昨日から買ってあったワイン🍷でひとり部屋で酒盛り(笑)。つまみ🍕はホテルのレストランで注文 全然節約出来ていない~。

さあ明日はいよいよ、ゴールの善光寺を一路目指します。

2022年1月3日(月)三重県津市の自宅で更新

「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その⑤ - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

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「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その③

🎍新年あけましておめでとうございます。

正月三が日も実家からどこへも出かけないので、昨日の大晦日に続いて日記を更新します。(ほかにする事ないんかい)

過去2回は京都方面(西日本)から善光寺を目指す善光寺西街道」を紹介しました。

今回からは3回に渡り、東の江戸方面から善光寺を目指す善光寺街道を紹介します。

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国宝の善光寺本堂(2021年1月撮影)

再三出している手書きの地図ですが、赤い線が「善光寺西街道」黒い太線が「善光寺街道です。

中山道はすでに踏破しているので、その続きというか、分かれ道の「追分」宿から歩いて3日間で終着の善光寺を目指します。

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名古屋からは在来線のJR東海「しなの」で終着手前の篠ノ井まで乗車、そこから折り返す様にしなの鉄道で「信濃追分」駅まで。

時間も料金も費やしての善光寺街道」歩き旅のスタートになります。

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2021年1月29日(金)晴れ(善光寺街道 追分⇒田中)

次第に田んぼが雪景色になって、浅間山が近づいてきた頃はもう午前11時近くになっていました。

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駅の看板には「ようこそさわやか軽井沢へ」の文字。全然さわやかじゃない。

標高958m 極寒の中、善光寺に向けて2泊3日の街道旅のスタート。お昼前だったからまだ良かったが、早朝だったらちゃんと出発できたのかしら?

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うーん。確かに軽井沢らしいと言えばらしいけど。シーズンオフ!!

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「追分」宿の中にはこのような本箱がいくつかあって、自分の本と本箱の中の本を交換できるとありました。

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「追分分去れ(おいわけわかされ)」中山道善光寺街道の分岐点。標高981m。

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近くには処刑場がありました。ブルブル。

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同じ敷地内には名探偵シャーロック・ホームズの像がありました。謎です。

善光寺街道に沿うようにしなの鉄道(もと信越本線)が通っているのでいざという時にはエスケープできますが、時間の限られた初日にどこまで歩けるか。どこで計2泊するか。

いつもの予定表を書いて、家に置いて来ました。(歩数やお天気は帰って記す)

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初日は信濃追分から「田中(たなか)」宿(田中駅)まで歩いて、上田駅まで電車で移動して宿泊し、2日目は続きの田中から上田を過ぎて「下戸倉(しもとぐら)」宿あたりまで歩き、再び上田で泊まる計画にしました(2泊3日)。

「道中はいろいろ寒々とした行程なので、宿泊はやはり町の真ん中で」。スタートしたばかりですが、「あー早く、上田のホテルの大浴場に浸かりたい」。。

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さすがにド迫力の浅間山(あさまやま)。標高2568mの日本百名山活火山のために登頂が禁止されています。

大きく口を開けているような崩壊地もすっぽりと雪に覆われていました。この景色が見たかったのです。先を急ぐ旅ではありますが。

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標高2404mの黒班山(くろふやま)浅間山外輪山で、こちらを登ると浅間山の代わりに100名山を登った事になるのだそうです。

外輪山とは思えない堂々とした姿でした。いつかあの頂上から浅間山を眺めてみたいな。

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国道18号線を「小諸(こもろ)」宿に向かってどんどん下って行きます。

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出ました!!「平原の松」。

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かつての参勤交代の大名も絶賛したという、一本の幹から左右に長く長く伸びた黒松。植木職人が何代かかって面倒を見ているのでしょうか。(小諸市指定保存樹木)

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その名も「唐松」という交差点から真ん中の細い道を小諸の街に入っていきます。

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立派な「袖うだつ」の建物があったり(着物の振袖のようなものです)。

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シックな石造りの建物があったり。

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いかにも「祭りだワッショイ!」的なお店があったり。

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しまいには、建物がないのに門だけが残されてあったり。さぞかし名門なのでしょう。

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小諸宿の脇本陣代をつとめた「そば七」。さすがに通りかかった午後には売り切れ。おそらく並んでも食べたいお店のはず。

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中心部をなす小諸城はかの武田信玄の築城で、大手門は国指定の重要文化財です。

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同じく重要文化財の三の門。日暮れまであと2時間しかないので写真に収めるまでに。

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地元出身、江戸時代の最強力士と伝えられる雷電(らいでん)の碑がありました。

大関(当時の最高位)に昇進し、さあ全勝優勝へ、という中で江戸中にインフルエンザが流行して本場所の途中で打ち切り。

一つ場所前には第一人者の力士・谷風が連勝中のままインフルで亡くなったそうです。流行り病はいつの時代も恐ろしいものですね。

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拡大して読めます

急いで歩きましたが、終始下り坂だったのと晴天に恵まれ、初日は予定通り、「田中(たなか)」宿に着きました。現在の東御(とうみ)市の中心部です。

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田中駅で観光列車「ろくもん」(ろくもんと言えば真田家です!)を見送った時に夕陽が落ち、ゾクリと寒くなりました。さすが内陸部の冬。

各駅構内にはダルマストーブが置いてあって、電車待ちの学生らがストーブに当たっていました。

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ここでポケットから片道240円の切符を落としてしまったのは内緒です。

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北陸新幹線も停車する上田(うえだ)駅前は賑やかで、大手チェーン店のホテルに落ち着きました。1階のレストランで食べたのは牛ではありません(ヒヒーン、です)。

明日はまた田中宿に戻って歩き始め、いよいよ上田城入り(格好いい)、更に北へ向けて歩みを進めます。

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六文銭をあしらった上田市のマンホール

善光寺街道善光寺西街道を歩く(その④)に続きます。

2022年1月1日(土) 三重県津市の自宅にて更新

「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その④ - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

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