kotarosandayoneの日記

街道歩きを中心に、風景などをアップしています

甲州街道歩き(2018)【その7・終】甲府🌞~下諏訪⛩ 2泊3日

江戸日本橋から下諏訪までのべ9日間

2018年に甲州街道を踏破してまとめたアルバムをWEBで再構成しています。最後は甲府甲斐市)から下諏訪までの約65キロを3日間で歩く事にしました。ゴールは諏訪大社四社のうち下社秋宮甲州街道はここで中山道と合流して終わりとなる。

甲州街道4冊目 アルバムの表紙

この区間を一言でいうと、この表紙のイメージにつきる。ではいかにも不親切。

1冊あたり写真40枚 ✖4冊をポジで残したが、パソコンにはサイズを小さくして多めに保存しているのでそこからセレクトします。

塩尻から甲府まで「あずさ」グリーン車を奮発

途中の駅 名前につられて 今日も暑そう~

甲府駅にて この車両の乗車は最後 さようならE257系

暑い街道歩きのリスタート。2018年8月25日(土)~27日(月)甲斐市下諏訪町 3日間☀☀☀ (^^)/ 

【おことわり】全行程の1/3の距離を「その7」に収めるのでどうしても長くなってしまいます。休憩しながら読み進め下さい。無事ゴール出来ますように。

最後の3日間 スタートは急な上り坂「赤坂」から

東京の赤坂は分かりませんが(調べてない…)ここの赤坂は当時、文字通り赤土の坂で、「一旦雨や雪が降るとぬかるみ、行き倒れの旅人が多かった」と持参のガイドブックにありました。

南無阿弥陀仏」と刻まれた赤坂の無縁者供養塔

下今井の街並み なまこ壁の土蔵を多く残している

甲州街道のうち、江戸日本橋から甲府までを「表街道」、甲府から下諏訪までを「裏街道」と呼ぶそうです。

表」と「裏」の距離の比較は大体2:1なのですが、江戸~甲府の表街道では途中の宿場が「ニコイチ」の宿場を合わせて37もあるのに対し、甲府~下諏訪の裏街道では途中の宿場が6つと、宿と宿の区間が長くなっています。

宿泊場所が少ないのは現在も同じ、どこで2泊するか計画を練りました。

街道には見どころが沢山あります。まずは下今井にある曹洞宗のお寺。

保存されている江戸中期の石畳の参道を歩いていくと、

水戸黄門様が「けつまづいた石」と案内がありました。

石畳保存と言いつつ、赤く塗ってある(^^)

「おそれ多くも、さきの副将軍・水戸光圀公であるぞ、頭が高い。ひかえおろ~」という程のお方。よくお寺の関係者はお咎めを受けませんでしたな。黄門様がもし転んでけがをしようものなら、

「段差が大きい!打ち首じゃ~」(ドラマ「水戸黄門」では人はひとりも死にません。どんな悪代官も頭を下げたらOK)

赤く塗ってもらっても、油断していたらけつまずきそそうな箇所でした。

ではご一行様、続いて参りましょう。JR中央線塩崎駅に近い「泣き石」。

武田勝頼の妻が、焼け落ちる韮崎城を振り返ってここで涙したとか

塩川を渡るサイクリスト 後ろに大きく富士山がそびえる

橋の上からは大抵、周りの建物も被らないので遠景が映えるが、うまくフレームインしてもらって有難申し訳ない(こんな言葉ある?)。もしこの写真を差し上げる事が出来たら喜んでくれるついでに「ブログの写真は削除してもらえませんか」とか、、( ;∀;)

塩川を渡ると韮崎(にらさき)宿に入ります。

見事な青銅の看板 「キッコー〇ン」ではなく

井筒屋醤油について:井筒屋 (itutuya.co.jp)【外部リンク】

井筒屋さんの公式HPより 醤油業は昭和5年創業とある

ホームページを拝見すると、もとは日本の輸出主力産業・生糸の卸業を行っていたが世界恐慌で生糸の値が暴落し、醸造業に変化していった。とありました。

街道の両側には「馬つなぎ石」が残され、宿場町の問屋業を偲ぶことが出来ます。

さて、歴史ドラマでも見どころは馬の手綱をひく武者の姿。韮崎市役所の玄関には武田信義の像があると聞いて、少し街道から中に入りました。

甲斐源氏の流れをくむ信義は自分の代から武田の姓を名乗り、信義ー信虎ー晴信(信玄)ー勝頼 と血縁がつながれていきます。戦国最強の武田軍団。甲州街道はその栄枯盛衰の舞台ともなりました。「武田氏の攻守(こうしゅ)街道」??

川を渡るたび、振り返るように富士山が視界に納まる。2泊3日の初日の宿は甲州街道沿いにある旅館「近江屋」

旅館近江屋【公式サイト】 (ryokan-oomiya.com) 【外部リンク】

この辺りで夕方4時になりました。まるで私の行程のためにあるような立地。すぐ手前には給油🍺のためのコンビニも。最高。

チェーン店ホテル全盛の昨今からすると「伝統的な旅館」と申し上げてよいものか。

お部屋もお風呂もゆったりで大満足。更に追加料理のステーキ🥩を頂きながら、壁の大きな写真に目が行く。これは広島東洋カープ初優勝の時のものだ!

山梨🍇でカープ🎏の写真とは珍しい、と思っていたら地元武川町(現北杜市)出身の深沢修一選手(左)。おかみさんの義理のお兄さんだという。「昔は本当の地方球団で地元広島や中国地方の選手が起用されたようです。同じ位の実力なら」というような事をおっしゃっていた。

スーパーサブとしてカープの初優勝に貢献し、実働は約8年間であったが、山本浩二選手と衣笠祥雄選手に挟まれたポーズ写真もあって人望にも優れた選手だったようだ。現在は山梨県内でバッティングセンターを経営しているという事で、将来WBCに出られるような選手を発掘して欲しい。(このブログもぜひ読んで欲しい)

山梨県の北西部で見るテレビ神奈川 谷繁元信さん

広島DeNAに関するものを山梨で目にして(旅館は近江屋)初日の床に就いた。本日の韮崎市の最高気温は31.9℃(データ調べ)、翌日(8/26)は更に残暑🌞がぶり返した。

 左に甲斐駒ヶ岳 日本100名山(2966m)

右には八ヶ岳 日本100名山(赤岳2900m)

振り返れば富士山(3776m)日本100名山の盟主

甲州街道の三山揃い踏み。アイドルに例えれば、松田聖子中森明菜小泉今日子に囲まれて街道を歩いているようなものだ。聖子=富士山 明菜=甲斐駒ヶ岳 今日子=八ヶ岳(…名前で呼び捨て)

甲州「裏街道」にしておくにはもったいない。皆さんも機会があればぜひ👞👞。

韮崎宿から4里、台ヶ原(だいがはら)宿の七賢蔵元

初めてみた吊り下げカボチャの畑

この日の行程の半分くらいは旧道を行く

天覧の田んぼ 明治天皇の行啓(1880)

明治天皇は三重と京都の行啓で甲州街道を進んだそうです。馬かな?馬車かな?

甲斐から信濃の国に入る さらに上りが続く

アルバムに「3日間通じて最高だったカツカレー」と書いてある

🍛余程美味しかったのかな。聖子より明菜より今日子より一皿のカツカレー?

八ヶ岳の景観も午前中とは変わって来ました。豪快な阿弥陀岳が顔をのぞかせている。

一番左の岩肌の山が阿弥陀岳 八ヶ岳は信仰の山である

八ヶ岳っぽい景観といえばペンションとキャベツ畑

2泊3日の2日目は終始上りの約25キロ👞。午後2時過ぎに「すずらんの里」駅に着きました。

標高900mの分水嶺にあるさわやかな駅名だが写真を見返しても涼しそうには見えない。写真の看板の上にはスキー場が見える。

ここから2日目の宿泊地、上諏訪に向かう 奥に甲斐駒ヶ岳

初日の宿は街道沿い(カープの元選手の親戚)だったが、今日は上諏訪温泉に泊まって、また翌日ここからスタートして、ゴールの下諏訪まで歩く。

上諏訪温泉の象徴のひとつ、片倉館(日帰り温泉

【国指定重要文化財】財団法人片倉館 (katakurakan.or.jp)【外部リンク】

「大正から昭和にかけて日本の輸出総額の4割を絹製品が占めていた頃、【シルクエンペラー】と称された地元の片倉財閥が地域住民に厚生と社交の場を提供するために建設(昭和3年)」ー公式HPより抜粋ー

本日の宿泊は片倉館の北隣にある鷺の湯(さぎのゆ)さんです。洋室シングルの朝食付きプラン(1人で会席料理は寂しいし○い)、諏訪湖上諏訪温泉で一泊出来るなら文句はない。ところがー。

中村様ご一行様の看板を見てテンション上がったわ⤴ しかも一番上(^^)

中庭 やっぱり1人で来る(泊まる)所じゃない(笑)

***♨琥珀色の源泉で入浴中♨***

 

皆さんもこの辺でいったん休憩してください。

【公式】上諏訪温泉・諏訪湖の旅館【ホテル鷺乃湯】琥珀色の自家源泉を持つ宿 (saginoyu.com) 【外部リンク】

機動戦士ガンダムのキャラクター作家の色紙がありました

やっぱり描くならアムロとシャアですよね~。大きな旅館なら絵画とか壺とか飾ってあるが、さりげなく飾ってあった色紙に思わず目が行き、写真を撮りました。

さて明日の天気は、とテレビをつけてまず予報に目が行く👀

時報は夕方 明日は一時雷雨!?

・・乗鞍岳の天気でした。山の天気は変わりやすいもんね。それにしても「曇りか霧一時雨か雷雨」どれかは当たりそうな気がする。(^^) 

「山の天気予報」初めて見ました。さすが山はあっても山梨県。ちがった、ここは信州諏訪湖畔。バックの槍ヶ岳はお天気カメラの映像ではなさそう。雨の山小屋でこの映像見たら恨めしいだろうな、と思ったり。

諏訪湖畔はドーン🎆と晴れています

居酒屋でご飯食べて、一旦ホテルに戻ってもう一度出て来ました。この日は日曜日で、夏休みの歓迎花火最終日でした。なんとついている事。

大花火大会ではないけど、諏訪湖の花火には違いない

360度どこからでも良く見えるのが湖の会場の良いところ。

旅の思い出に、もう一枚貼っておきます

朝食 朝風呂は入ったか覚えていません

ステキな温泉旅館でゆっくりしたいのはやまやまだけど、今日は甲州街道の最終日。早い電車で昨日のゴール地点に戻ります。

この日は月曜日で朝の出勤時間帯。この駅で多くのビジネスマンが下りて行ったと思ったら「セイコーエプソン」の工場が2つもありました。このあたりでエプソンというと超優良企業ですよね~。社会の時間でも「岡谷は精密機械工業」などと習ったもの。

2018年8月27日(月)☀☀ この日の諏訪市の最高気温31.8℃

スタート地点の神戸八幡社

樹齢約400年のケヤキに今日1日の安全と、甲州街道の完歩を祈ります。

左に旧道の坂を上がっていくと、奥に一里塚がある

標高917m。ケヤキの樹齢はこちらも推定400年で、街道が整備され一里塚が設けられた時に植えられた、と書いてありました。往時のままで残っているのは甲州街道で唯一の存在だそうです。

旧道を歩いて、はるばる来て良かったなと思える瞬間です。

よりそう「人生ふたり旅」江戸中期の男女道祖伸

金沢宿の一番の旅籠 松坂屋

ツッコミどころ満載 ぜひ指で拡大を

どこの松坂かと思ったら、先祖は三重の松阪からここ、金沢に越して来たそうです。金沢というと石川県を思い出してちょっとややこしい。ここは長野県茅野(ちの)市。

「太神宮」=伊勢神宮の銘 寛保年間(将軍吉宗の頃)の建立

ほぼ西側からみた八ヶ岳連峰

茅野(ちの)駅を見下ろす、傘を被った妖怪のような石灯籠

私は漫画「銃夢」主人公の彼氏の敵(かたき)「クライヴ・李」を思い出します。

灯籠は雷で丸焦げになった李そっくり? 本城ゆきと/©集英社

茅野の公衆浴場 温泉の運び湯かな

裏にも回ってみた どうやら源泉の様

山裾の集落を行く 甲州街道

大抵の旧道は川べりではなく、昔ながらの集落も水はけのよいところに開けています。

諏訪大社の祭神に仕えるという 足長神社

こちらも公衆浴場 旅の人だと「どちら様?」

ゆうべ宿泊した上諏訪に戻って来ました。こちらは銘酒真澄。

諏訪藩(信州高島藩)の御用酒屋をつとめた

銘酒舞姫 このあたり酒蔵がずらり並ぶ

上諏訪駅前で甲州街道歩き最後の食事

おもしろい神社を見つけました。細い流れですが境内への橋が架かっていません。

その名も「先宮神社」。諏訪神社の神が鎮座しようとした時に先にこの地に居た神様が抵抗したが、幽閉され、境内から出られなくされたらしい。

子供でも簡単にまたげるが、神様は出られないそうです。

諏訪湖の景色が開けて来ました。相変わらず甲州街道は湖岸から離れた高いところに通っている。

すごく立派な古民家です 銅製の明かりや鯉の文様など

橋本政屋 公式ホームページ (hashimoto-masaya.net)【外部リンク】

HPによると予約制で中を見学できるそうです。現代の大通りから離れた街道の風景と合わせてご覧になってはいかがでしょうか。

海岸の潮が引いたかのような諏訪湖の風景

諏訪湖は長野県最大の湖で、地殻変動の断層によって出来たものです。天竜川の源としても知られていますね。水門で天竜川に注ぐ水量を調節しているそうです。大阪の淀川の源が琵琶湖というのに似ている。

国土地理院の地図にいろいろ書き足してみましょう。

紫色の線が甲州街道赤色の線が中山道青い線は道ではなく天竜川です。

濃いピンク色の⛩マークが諏訪大社四社のうちの下社春宮オレンジ色の⛩マークが下社秋宮です。

甲州街道最後の一里塚跡(下諏訪町

江戸日本橋から五三番目の一里塚。一里を4キロと計算すると、ここまで210キロ歩いて来た事になる。案内板によると「あと11町(1100m)で華やかな下諏訪宿に着き、中山道につながる」とある。もうひと息だ。

写真データでは午後2時50分。下社秋宮に到着した。

街道の終点では通りすがりの人に写真をお願いする。今回も「日本橋から9日間でここまで歩いて来ました」というと驚かれて、快く?写真を撮ってくれた(^^)

甲州街道の最後は3日連続で歩いた。日焼けの中に疲れと満足感が表情に出ている。

素顔の記念写真はこの時が最後となった。翌月、目の手術をして、以来メガネ姿になる。

写真を撮ってもらった目線の先 下諏訪の街並み

下社秋宮は甲州街道を完歩できたお礼参りにはふさわしいと思った。

大きなしめ縄をつけた神楽殿と青銅製では日本最大といわれる狛犬

おなじみのアングルより、斜めから見てみると屋根などのつくりが良くわかる。

「草木も眠る丑三つ時」にいびきをかくという「寝入りの杉」ちがった「根入りの杉」というらしい。

下諏訪温泉にはこの時でなく、中山道甲州街道との合流点まで歩いて来た時に入ったのだが、「高温湯」の温度は47度。ぬるい方の湯で44度。ふだん38度位の温度で湯ったりしている私にとって、高温の湯は手を突っ込んだだけですぐ抜いた。「熱っ」

旧街道ウォーキング「人力」甲州街道のページより 個人様のサイト

甲州街道を歩く - 旧街道ウォーキング - 人力 (jinriki.info)【外部リンク】

甲州街道歩き」のサブタイトルは「ひたすら暑かった」。

江戸城の周りを半周するところから始まって、新宿の超高層ビルゴッホの🌻を見て、小仏峠笹子峠🏞️を越え、甲府盆地の名物、夏の🌞や🍇や🐔もつにビックリし、のべ9日間歩いて諏訪大社までたどり着きました。

このシリーズは全7話になりました。ご拝読有難うございました!

最終更新 2023年3月2日(木)■■

甲州街道歩きの最初から読んであげよう、という方はコチラから。

ひたすら暑かった🌞 五街道🍇甲州街道歩き(2018)【その1】 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

こちらのガイドブックを参考に歩きました

ちゃんと歩ける甲州街道 甲州道中四十四次 甲州街道44次53里24町を歩く詳細地図 | 八木 牧夫 |本 | 通販 | Amazon

甲州名物🍇そして🌞🌞 甲州街道歩き(2018)【その6】

2018年8月5日(日)

甲州街道歩き のべ6日目 鶴瀬宿~甲府 約28キロメートル

宿泊地の甲府駅から始発電車で昨日の続き、甲斐大和駅まで移動。高尾行きの電車は乗客が多い。通勤圏とまでは行かないが、一日かけて用事や行楽で首都圏まで往復する人もいるのだと思う。車より速いし、電車代の方が安いし、東京で車は必要ないし。

朝6時ちょうどに甲斐大和駅を出発。猛暑と言われた2018年も、山間の最低気温は体感20℃位。ずっとこれ位の気温だったら良いのに~。そんな訳はなく甲府に着くころには大変な事🥵になりました。

このあたりに「武田勝頼が落ち延びた時に腰かけた石」があるという。

鉄道の信号機のある事務所?がありました

鶴瀬宿の関所跡。笹子峠を控え、入り鉄砲に出女を厳しく取り締まったとある。

きのう越えて来た山を振り返る 朝霧がかかっている

観音堂のあるところから勝沼方面を臨む。松尾芭蕉が詠んだ「観音の甍(いらか)見やりつ花の雲」の碑が残り、歌川広重「古今絶景かな」と評していたという。

「ぶどう寺」として知られる大善寺 街道沿いにある

勝沼のブドウ栽培の歴史は古代に始まり、現在も日本を代表するワインの産地となっています。土地が開けたところに、さっそく🍇が実っていました。

観光ぶどう園では駐車場の日光をさえぎるように棚をこしらえている所が多くありました。良いアイデアですね。

旧 山梨田中銀行社屋 それ以前には郵便電信局舎

これだけの棚を構成するブドウの木はわずか数本

笛吹川支流の橋を渡る午前8時半ころには気温30℃位になっていました。

駅伝等で有名な山梨学院大学 何でもブドウ色に見える

街道から望む「甲斐善光寺」。本殿の金堂は長野の善光寺にそっくりです。

甲府市街地に入りました。日傘を差して歩いていてもこの暑さにはギブアップ。街道筋から外れてアーケードに逃げ込みました。

夏祭りの吹き流しが「いくらか」暑さを紛らわせてくれました

この日の甲府の最高気温は37.5℃ 翌日は38.2℃でした。うろうろ歩いているのは私だけでしたが。暑さに強い甲府市民もさすがに屋内で涼んでいた?

甲州街道沿いにある県立美術館

山梨学院大と同じく、公立の建物も同じ色を基調にデザインされていました。この日はJR竜王駅まで頑張って歩き、この暑いのに温泉に入って汗を流し??甲府から特急で身延線経由~東海道線三重県に帰りました。

ボックス型の指定席で、空いているなと余裕をかましていたら、身延山久遠寺の参拝客らと相席になりました。

この20日後に、再び甲州街道の続きを歩いて、2泊3日でゴールの下諏訪宿を目指します。

甲州街道歩き(2018)【その7・終】甲府🌞~下諏訪⛩ 2泊3日 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)  

【最終更新:2023年9月3日】

街道最大の難所🏞️笹子峠越え 甲州街道歩き(2018)【その5】

二代目歌川広重「諸国名所百景 甲州矢立の杉』より

2018年8月4日(土)甲州街道歩き のべ5日目 山梨県大月宿~鶴瀬宿

のべ5日目は標高1100メートルの笹子峠(ささごとうげ)を越える約28キロメートル。厳しい行程の上に、スタート地点が三重県の実家から遠く、東京都八王子市に前泊。仕事帰りだと八王子までが精一杯でした。

「寝るだけ~」のスペース 都会のビジネスだとこんなかな

それでも余りのコンパクトさにちょっと驚きました(^^)。翌日は始発電車で八王子から大月へ。

大きなリュックを担いだ人達が大月で富士急行に乗り換えます。写真の時間で朝6時前。

見づらいが、案内板の右端から左端まで、きょう1日で歩く

富士急行 河口湖行き 登山電車っぽい

私は登山客らと分かれて、大月駅から徒歩で甲州街道を西に進んで行きます。

大月宿溝口本陣跡 すぐ先で「富士山道」を分ける

互い違いに設けられていた車いす乗降スペース

白野(しらの)宿 右へ旧国道を入る

この街道筋は、主な集落ごとに宿があり、2つ~3つの集落で問屋業務(人馬の用立てや継飛脚など)を月のうち交代で行っていたそうです。

峠越えの前に最後の買い物をしました

甲府方面に行く特急に後ろから追い抜かれました

親鸞聖人の念仏供養塔

ガイドブックなどによると「毒蛇の姿になった地元有力者の娘を親鸞が成仏させた」とあります。

「1919年創業の蔵元」と解説にあり

街道から中央道・笹子トンネルへの坂を登っていきます

2012年の12月にトンネルの換気ダクト用の天井板が崩落し、9人が死亡した事故現場の近くです。私が立っている場所付近に翌年(2019年)慰霊碑が建てられました。手を合わせて犠牲者を弔うとともに、旧笹子峠を越えていく自分の安全を願いました。

東京からの距離を示す標識 この奥に笹子峠

購入したガイドブックに道路を書き入れています。大月市から甲府盆地に入るには先の中央道国道20号県道212号(旧国道20号)、そして赤い線の甲州街道

地図を指で拡大してみてください。

通行可能な地道を行きます また舗装路に戻る

早朝に大月駅を出た時には23℃前後と少しひんやりしたぐらいでしたが、峠に差し掛かる時間帯には汗が噴き出してきました。

ここを大名行列も通って行ったのでしょうか

頭の上の木々が日光をさえぎってくれるとはいえ「涼しい」とは言えない。標高1000メートル近いが。車やバイクの通行はありません。

峠の名所「矢立(やたて)の杉」の看板があります。歌手の杉良太郎さんそっくりのお地蔵さんがありました。「峠の杉様」。

周りの杉の木と比べても圧倒的な存在感です。昔、峠を越えていく武士たちがこの杉を敵に見立てて矢を放ち、戦勝を祈願したとされ「矢立の杉」と言われるようになりました。

大月駅を出発してから5時間余り。「初代」笹子トンネルが見えて来ました。

昭和13年(1938年)開通

甲州街道歩きの出発点とした東京駅丸の内口の駅舎のデザインに見えなくもない。初めて掘られた笹子峠のトンネル。あたりはシンとしています。

潜りたいのはやまやまだったけれど、トンネルの手前から笹子峠を越えていきました。

ここからJR中央線・甲斐大和駅まで歩く事2時間。

直射日光にさらされる、午後イチの峠越え

「駒飼宿」の風情

笹子トンネル手前で見送った中央道を再び潜って、標高620メートルの駅に着きました。午後1時15分到着でした。街道歩き5日目はここまでで、宿泊を求めて甲府まで電車で先に行きます。翌日はまたこちらに戻って、甲府まで歩きます。

途中下車した、JR石和温泉(いさわおんせん)駅

石和温泉駅前の足湯

駅舎には甲州市で作られたワインの試飲が出来るワインサーバーもありました。暑さのせいか、🍷酔いのせいなのか?? なぜか写真が残っていません。

甲府駅に着いてみたら、激しい夕立でした

甲州名物の「おざら」(夏の冷やしつけ麺)量が多い

こちらも名物の🐔もつ 頑張って食べたけど半分残した

次回「その6」は体感気温39℃?の甲府盆地歩きです。

甲州名物🍇そして🌞🌞 甲州街道歩き(2018)【その6】 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

〈2023年9月 最終更新〉■■

ひたすら暑かった🌞 甲州街道歩き(2018)【その4】八王子~大月 編

甲州街道歩きの3・4日目、八王子から小仏峠を越えて神奈川県へ、相模湖を取り巻くように歩いて山梨県(甲斐の国=甲州)に入っていきます。

甲州街道歩きのうち、八王子から大月の間は写真データが残っておらず、アルバムのポジを再撮影(写真自体を📷で撮る事)して紹介します。パソコン画面で比較すると画質が荒いが、スマホ画面でのサイズでは気にならないかもしれません。

2018年6月30日・7月1日 上のアルバムにもギラギラ太陽🌞と菅笠がイラストで描いてあります。2日間で約7万3000歩。

前回の続きなので新横浜からJR横浜線~八王子 中央線で高尾まで2駅。持参した街道のガイドマップには「朝9時20分発 水2本」と書いてある。駅前のコンビニで水を買ったのでしょう。出発地点に近い八王子の最高気温を同じ日(6月30日)で比べてみると気象庁の過去データで検索)

2017年 最高25.8℃

2018年 最高33.8℃ 歩いた日

2019年    最高23.9℃ 

全然違うじゃん。

暑いからと言っても普段から手足を出しては歩きません。半袖シャツの下にはサイクリング用のアンダーシャツ、半ズボンの下には足首までのレギンスを履きます。文字が多いな(写真が少ないのです)

「駒木野(こまぎの)宿」には関所があって「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まったようです。もう少し進んでいくと

1945年8月5日。疎開する人達を乗せた列車はトンネルに入る直前に戦闘機の機銃掃射を受け、0才児を含む52人以上が死亡、133人が重軽傷を負いました。「日本最大の列車銃撃事件」だそうです。終戦まであと10日という日の出来事。

総務省|一般戦災死没者の追悼|いのはな慰霊碑、戦災死者供養塔 (soumu.go.jp) 【外部リンク】

銃撃を受けた時、運転士がマニュアル通り?に貴重な機関車を守ろうとして短いトンネルの中に機関車だけを突っ込んで停まり、外の客車が集中攻撃を受けたという話もあります。本当であればむごい事です。

この3日前には三重県亀山市紀勢線でも列車が銃撃され、40人以上の犠牲者を出しました。こちらはまず機関車を攻撃して列車を止め、戦闘機は数両の客車めがけて容赦なく機銃を浴びせたそうです。翌日の新聞では「被害極めて軽微」。

甲州街道はもう一度慰霊碑の近くを通ります。「笹子トンネル」と聞いてすぐに思い出せる人も。こちらは戦争ではなく事故ですが。

レンガのトンネルを越える、JR東日本の新型車両・E353。潜ったところが「小仏宿」ですが、あまり宿場の雰囲気はなく。

高尾駅発のバスの終点「小仏」を過ぎて、街道最初の難所、小仏峠を越えていきます。

ジグザグに地道を歩いていきます

こういう道も街道らしくてよいものです。新宿駅の目の前も街道でしたが。

出発の高尾駅から2時間10分で峠に到着

標高は548メートル。全然涼しくない。しかも、峠を下りるにつれ、時間的な事もあるが暑くなってきた事ー(回想)

展望所からは都心や新宿の景色が良く見える

写真を拡大してよく見れば、東京スカイツリーがなんとなく写っている。

小仏峠は武蔵の国と相模の国の県境、ちがう国境。奈良時代の高僧「行基」が峠にお寺を建てて小さな仏像をおさめたところから「小仏峠」と名がついたそうな。

新宿のビル=超高層 行基超高僧 ありがとうございます(拍手)

小仏峠から高尾山山頂を経由して高尾駅に戻るのが定番の周遊コースらしい。

高尾山の年間登頂者数は日本一どころか世界一らしいです。すごい。皆さん行ってらっしゃい。私は甲州街道を相模湖方面に下ります。

中央自動車道と、左下にJR中央線「E257系あずさ」

「写真データ」では下の特急が見切れていなかった(と思う)が、ポジでは欠けていた。ちょっと悔しい。しかもここから大月までの写真が少ない~。サクサクっと見どころ?を紹介していきます。

こちらは八王子駅で見た、新宿方面から来たE257系

甲州街道はゴールの下諏訪まで、鉄道で言うとJR中央線のルートです。この電車は街道を歩いた翌年の2019年に定期運行から外れたのですが、なんとなく可愛くて好きでした。あら、いきなり「脱線」。。いや逆戻り。

「小原宿」の清水本陣(神奈川県重要文化財

リュックと傘を下ろして、一息

奥が「上の間」手前が「控えの間」

相模川沿いの狭い谷に、鉄道や新旧の道路が絡むように通じています。赤い線が旧甲州街道

「吉野宿」の手前付近から相模湖(東方向)

「境沢橋」神奈川(相模国山梨(甲斐国の県境(国境)の橋

疱瘡神社 疫病(天然痘)退散を願う 江戸前期の建立

もうこの辺りで、暑さでフラフラでした。同じ日でも横浜などはそれほど気温が高くなかったみたい。内陸の地形や風の影響かしら。夕方の方が暑かった覚えがある。

上野原宿の脇本陣跡に建つホテルで、早めに休みました。大浴場付き。明日は極力早めに出発し、出来れば午前中に大月にゴールしたい。

朝5時15分発 と書き残してある

「鶴川宿」川止めになると賑わい、アユが名物だった

こちらがその鶴川。大きな丸い石があるので、大水が出る事もありそう。

「野田尻宿」もうこのころは暑さを感じた 朝7時前

この辺りに中央自動車道「談合坂SA」があるが、隣接して「オリムピックCC」があるのは本当の話。ちょっと笑った。

おまけに「仲間川」というのもある 仲良しなら良いが談・・

「今回、1回だけ見えました」と書き記してある。やはり富士山は良い。

ところどころ土道もあった 石畳も

「恋塚の一里塚」が残っていた 江戸日本橋から二十一里目(約84キロ)

名勝「猿橋」にやって来ました。橋の上は甲州街道

猿橋/富士の国やまなし観光ネット 山梨県公式観光情報 (yamanashi-kankou.jp)【外部リンク】
歌川広重の「甲陽猿橋之図」にも描かれています。谷が深く橋脚がたてられないため、両岸から張り出した四層のはね木によって橋を支える珍しい構造で、深い渓谷を猿が弓のように連なって橋をつくり渡っていた様子をヒントにしたともいわれています。(リンク先から引用)

猿橋(奥・赤)と水道橋

この日の大月の最高気温は35.1℃

なんとか正午までに予定の大月駅にゴールしました

2018年6月30日(土)7月1日(日)甲州街道 高尾⇒大月 2日間で約7万3000歩

この日がデビューの「かいじ」E353系で帰路につきました

ハイ、これでもサクサクと紹介できた方です。続きは高校野球三重大会の中継の仕事が終わった8月4日と5日に歩いたのですが、甲府盆地は最強🌞でした。体感温度39℃。

街道最大の難所🏔笹子峠越え 甲州街道歩き(2018)【その5】 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

2023年2月16日(木)更新 朝から血圧が高かった・・・■■

ひたすら暑かった🌻 甲州街道歩き(2018)【その3】新宿~八王子 編

 

ゴッホの【ひまわり】を地上42階のフロアで見る」。

中山道歩きも並行して行っていましたが、その時は初日に日本橋から浦和まで歩いて、浦和のホテルにチェックインした後、京浜東北線で上野まで戻って来て「国立西洋美術館」めぐりをしました。今回は新宿を通るので、超高層ビルを下から眺めるだけでなく上からの景色を楽しみたいと思っていました。

現在の損保ジャパン本社ビルは1976年に安田火災海上本社ビル」として開業。ビルの下に行くにしたがって、すそが広がっているデザインは当時「パンタロンビル」と呼んでいた人もいたようです。左隣にはその2年後に開業した「野村ビル」が建っています。

ビルの真下近くまでやって来ました。子供の頃新宿の写真を見て、このビルが一番カッコいいなと思ったのを思い出します。ビルの高さはちょうど200メートル。43階建てで、今回私が「用事のある」ギャラリーは42階です。ワクワク。

ハイ、あっという間に42階のフロアに着きました。東方面の展望で、やや雲が出ていますが先ほど通りがかった新宿御苑新宿駅、隣にはコクーンタワーがデンとそびえ建っています。

東郷青児「望郷」1959年 東郷の代表作とされる(公式HPより)

SOMPO美術館(新宿駅 徒歩5分)|この街には《ひまわり》がある。 (sompo-museum.org) 【外部リンク】

東郷青児美術館(当時)】はビルの開業と同時にオープンし、「日本でもっともビルの高いところにある美術館」だったとは思いますが2020年、ビル敷地内の別棟に移され「SOMPO美術館」となりました。東郷をはじめとする日本画家の作品や今から見るゴッホの「ひまわり」もずっと階下に下りて行った訳ですね。

ですからこのような、来館者向けの新宿・都心の風景を案内するパネルも片付けられたのでしょう。一般の人は上まで上がって来ませんからね。では「ひまわり」です。

想像していたよりずっと大きな作品でした。というか、カメラ📷で撮影していいのか?

ー良かったはずです。作品名の下に ※複製画です と書いてある。という事は本物は新宿にはない??ー その辺のところはHPにも明記されていないのですがおそらく「真筆」は作品保護のため、人目に触れないところで厳重に保管されているのでしょう。

「ひまわり」の前には観賞用の長椅子が置いてあって、熱心なファンは椅子に座って何時間も作品を見続けているという事です。(今は分かりません)

フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》 | コレクション| SOMPO美術館 (sompo-museum.org) 【外部リンク】

ゴッホの「15本のひまわり」は、新宿の他、ロンドン、アムステルダムにあってそれぞれ本人が自身の作品を真似して書いたという事ですが、ロンドンでは環境保護団体が作品にトマトスープを投げつけたり、新宿の「ひまわり」についても元の所有者から返還するよう裁判を起こされているようです。

ゴッホ自身もかなり対人的な事で悩みがあったり、東郷も重婚など三角四角の女性関係を持っていたという事で、この両名はプライベートでもどうもお騒がせのようです。。。

・・街道歩きのブログでした。損保ジャパンビルからの景色を最後にもう一度目に焼き付けて私はビルを後にしました。

題名「損保ジャパンビルからの風景」2018年

ビルを下りるとすぐに行き先には東京都庁のビルが目に飛び込んできました。

「やっぱり高いなあ」と思ったらやはり新宿のビルの中でも2023年現在、一番高いビルの様です。先ほどの個人様のサイトによると高さは243メートル。48階建てで45階には無料の展望台、32階には一般利用できる職員食堂があるそうです。1990年のオープン。もうそんなになるんですね。

小池知事のいる知事室はどの階にあるのかな

新宿を出ると甲州街道(現在の国道20号)は渋谷区から世田谷区へ、鉄道の京王線はほぼ甲州街道に沿って新宿から八王子に伸びています。「京王」の名の通りですね。

新宿からは首都高が上に並行していて圧迫感があったのですが高井戸(下高井戸・上高井戸宿)を過ぎてからは、旧道にも入ったり生活感が出て来ました。

日本橋から22キロ ケヤキ並木の歩道を行く

新しく建てられた「子育て地蔵尊」大切なことを伝えていく

東京23区を出て調布市に入りました。この辺りは「布田五ヶ宿」といって5つの宿場が日替わりで「問屋業務」を行っていました。大名行列などのために人馬を用立てしたり、荷役や継飛脚(つぎびきゃく)の仕事です。

先に書いたようにもともと「将軍様の逃げ道」として開かれた街道なので、東海道中山道に比べても宿場の規模は小さく、また都市化が進んだことにより宿場町の風景と言ったものは残されていないように感じました。

調布駅前のパルコ 初日の歩きはここまで

計画ではもう少し先の府中まで行けるかもと思って府中にホテルをとったのですが、都会疲れ?したので京王線調布駅から6駅先の府中駅まで移動しました。

共に京王八王子行きの電車。特急が普通を抜いていくのだが、普通電車の方が新型のような気がする。それより八王子・高尾方面の列車の本数の多い事!

土日の8時台、に下りの八王子方面が1時間に16本。

休みの日に高尾山にどれだけの人が行くの?(笑)ちなみに休日に東京競馬場(府中)に行く人はまた別路線です。

平日朝の上り新宿行きがどれくらいの本数🚋🚋🚋があるのか。「電車が渋滞」していたりして。始発の八王子からほぼ満席という事で、府中~調布を過ぎるころにはどれほどのラッシュになっているのか想像もつかない。通勤通学の皆さんお疲れ様です。

秘境駅全国3位 飯田線小和田駅のダイヤ(比較用)

あ~このダイヤの方が落ち着くわ。俺。

府中にチェックインして、どんなものが頂けるかと思ったら大当たりの居酒屋で。

良心的なお刺身盛り合わせ 種類食べたいもんね

「今日は岩ガキありますよ」と言われて、「美(うま)しくに」三重県出身の私もビックリ。普通の大衆店(失礼)ですよ。チェーン店ではなかったけど。

「やっぱり都会には何でもあるなあ。」

またホテルの朝ごはんのヘルシーだったこと。たしか「東北牧場」という名前がついていたな。

牛乳2杯飲んできました。

明けて6月18日。京王線調布駅まで戻って再出発。今日は高尾駅までの27キロ。昨日より長いが途中寄り道しないので。お天気は🌥で一日中気温が変わりませんでした。(18℃前後)*過去の気温データ(2018.6.18)を検索

現在の調布市の出身、新選組近藤勇(こんどういさみ)の像に迎えられました。まるで睨まれているようです。こちらのお寺・西光寺は徳川将軍から御朱印地の指定を頂いたお寺で、新選組は倒幕の志士を取り締まっていた事からこのお寺の入り口に座っているのかも。

本心では「官軍には勝てない。倒幕は免れることが出来ない」と悟っていたのでしょうか。戊辰戦争に敗れた新選組近藤勇は敗走に従って甲州街道を上り下りしたのち官軍に捕えられ、東京板橋の処刑場で斬首にされます。満33歳。(1868年・明治維新の年の5月)

その目は何を見つめていたのか。

西武鉄道多摩川線を渡ります。

ボートレース多摩川から敗走するお客さん達をJR中央線に運んでいるとの情報アリ。

交差点に立つ観音菩薩

この場所での交通安全を願っているそうです。今日もよろしくお願いします。

東京競馬場のお客さんを運ぶ ひと駅区間の路線

勝負事ですから勝ち馬に乗って、意気揚々とひと区間でも乗車したいものです。

府中のシンボル、ケヤキ並木は源氏が戦勝のお礼に神社に苗木を寄進したもので千年近い歴史があるそうです。

府中宿は新宿よりも大きな宿場だったようです。古くは武蔵国国府が置かれました。

宿場の決まり事を掲げていた高札場が現存している

「秋葉常夜燈」火災に遭わない事を交代で祈る

幕府専属の馬医者を代々務めた名家で、殿さま方が馬に乗ったまま門を潜れる高さになっているそうです。確かにここで馬を下りろとは言えませんものね。・・

「わしの黒姫号の調子はどうじゃ。最近足が重いのだ」「ややお太りになったようで」「黒姫がか」「いえ馬上の殿さまが・・」(^^)

「たわけ者!今、何と申したか!」「殿様お許しを、、」・・府中ならではの馬にまつわる小噺でした。

続いては馬に代わり、牛に関係あるお話。

歩いて5分も経たないうちに、次の「谷保(やぼ)天満宮にやって来ました。天満宮(天神さん)と言えば学問の神様、菅原道真を祀る神社です。

思い切って「世界最大の電子辞書」からコピペしてきました。。

天満宮において神使(祭神の使者)とされているが、その理由については「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「道真はに乗り大宰府へ下った」「が刺客から道真を守った」「道真の墓所太宰府天満宮)の位置は

だそうです。関東では湯島天神などと並ぶ大変由緒ある神社で、牛の「後ろ」には絵馬(絵牛?)が一杯。ちらっと覗いてみましょう。

わざとぼかしてあるので、忖度してください

「事故なく 安全に 楽しく 運転できますように。」偉い。

瀧〇さんあなたなら出来ますとも。ところで「そんな野暮なことを」の野暮の語源となったのがここ、谷保天満宮だそうです。どうしてかというと、そんな野暮なことは書けないなあ。谷保天満宮 野暮」で調べてみてください。

甲州街道は谷保から、多摩川を渡って日野自動車で有名な日野宿、八王子宿へとつながって行きます。

多摩川の渡船場があったところ

現在はモノレールで川を越えていきます。

なぜか日野では昼食のカレーしか写真に残っていない

続いて、多摩川の支流を越えると八王子に入る

八王子空襲の焼夷弾の跡を覆っている

戦時中のアメリカ軍の標的にされた八王子市は、徳川家康が臣下に命じて発展させた町で甲州街道の宿場としては随一の規模を誇り、単なる逃げ道づくりだけではなかったようです。「八王子は都会だよ」と聞いてはいたのですが確かに。

休日の午後、路線バスがどんどん駅に入って行きます

八王子から高尾まではイチョウ並木が延々と続く

2日間歩いて疲れ切った頃、雨が落ちて来た高尾にゴールしました。

駅の高架から高尾山~小仏峠方面を見やる

高尾からJRで八王子~新横浜へと戻り、新幹線で帰路につきました。次回は高尾から県境を越えて甲斐国の大月までの2日間です。暑さが大敵でした。

甲州道中 小原宿 清水本陣跡(次回)

2018年6月17日(日)~18日(月)☁ 江戸日本橋⇒ 府中(泊)⇒八王子(高尾)1泊2日(約75000歩)

 

新宿から高尾まで【その3】は長くなりました。続きは下です。

ひたすら暑かった🌞 甲州街道歩き(2018)【その4】八王子~大月 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

2023年2月12日(日)更新 ■■

ひたすら暑かった🌞 甲州街道歩き(2018)【その2】江戸日本橋~新宿 編

思い出しても2018年は暑い夏でした。

夏の甲子園⚾大会は第100回を数え、三重県の地方大会では県立白山(はくさん)高校が初優勝して県代表へ。部員も集まらない弱小校だった白山が県内の強豪校・伝統校を破ったその快挙は当時「日本一の下剋上と称えられました。対外試合を積み重ねて来た「スタミナの勝利」。

ちょうどその年の初夏から盛夏にかけて甲州街道を歩いたのだが、タイトルにもあるように ひたすら暑かった🌞🌞 50過ぎの男のスタミナと忍耐力が試されました。ところが、ゴールした翌月早々に目を悪くして手術したのですー。常にサングラスして歩いていたのに

さて、ここからが本題。「甲州街道」のおさらいデス。【その1】では

東海道中山道などと同じく江戸日本橋を出発し、新宿~八王子~高尾山から甲斐の国(甲州)に入り富士山やブドウ畑を見ながら進み、諏訪大社中山道に合流するまでの道」。と書きました。別の言い方をすると。

江戸城が攻められた時に、忍者の手引きで城の裏から逃れて東海道を経ずに江戸を出発。甲府から富士川を下って駿府城(静岡)に入る by家康。

なるほど~。それが「甲州街道」の成り立ちだったのですね。では出発!

2018年6月17日(日)~18日(月)☁ 江戸日本橋⇒ 府中(泊)⇒八王子(高尾)1泊2日(約75000歩)

JR東京駅八重洲口から出て、ちゃんと日本橋からスタートしたのに証拠写真がありません。たしか橋の上は首都高ですよね?(わざとらしい)

こちらは江戸城の外堀を復元したものです。こちらをたどっていくと、「🌸🌸この桜吹雪に見覚えがないとは言わせねえぜ?!」でおなじみの遠山金四郎景元(だそうです)がつとめた「北町奉行所」の遺構が残っています。

現住所は「千代田区丸の内一丁目」なるほどね

奉行所の下水道跡

説明版によると、下水路内側の石の角が斜めに切り取られているのは邪気(鬼)が侵入する方角(北東)を防御するためのものだそうです。家の中でトイレの位置を気にするようなもん?(うちは大黒柱から見て北北西にトイレ・・)

東京駅の東西通路を通って丸の内側に出ました。確かこの上はホテルなんですよね。雑踏がドームに反響して部屋に聞こえないのかしらん?

東京駅丸の内口 後ろの大丸から駅を潜って来た

甲州街道歩きはスタートしているのに、なんだかきょろきょろしてしまいます。日曜日の朝9時前にしても、こんなに静かなのかと。

江戸城東側の和田倉橋 譜代大名が警護していた

堀に沿って日比谷方面に歩いていきます

日比谷濠 江戸城の堀の広さが分かる

甲州街道江戸城に沿って、日比谷の交差点から90度曲がって、桜田門に向かいます。

東京都警 もとい警視庁

桜田門外」にやってきました

幕府の開国政策(不平等条約)などに反対したものを捕えたり死罪にした「安政の大獄」を断行した大老井伊直弼(いいなおすけ)が暗殺されたのが「桜田門外の変」です。(1860年)

警視庁が桜田門を見張るように建っているのは因縁でしょうか。(今でも警視庁の事を「桜田門」と呼ぶ人はいます)

ここから街道は堀に沿って時計回りに、坂を登っていきます。そろそろ皇居の周りを走るランナー達が駆け下って来ました。

奥に半蔵門が見えて来ました 

最初にお堀に突き当たった「和田倉橋」から江戸城を半周しています。お堀の水位を見比べてもらうと、最初とは高低差があるのが分かります。

桜田門

こちらは半蔵門前。

半蔵門桜田門の標高差は約20メートル

半蔵門では警察官が24時間警備をしています。門のすぐ裏が皇居御所。わかりますよね。わざわさここでいう事ではありませんが。。(^_^;) 

私の様に観光客気分で📷パチリとやる分にはよいけど、下手に望遠レンズなどを持ちだしたら即座に職務質問されるので注意!「野鳥の観察なんですよ」「うそつけ」

結局、服部半蔵が家康の手を引いて半蔵門から江戸城を脱出するような事態にはならず、幕府は約260年間安泰でした。(桜田門外の変までは)

ふりかえると国道20号線。今も昔も「甲州街道」の実質スタートです。それにしても交通量の少ない・・都心のオフィス街ってこんなものなんでしょうか。休日は。

ここから四谷~新宿方面に向かいます。

FNN(フジテレビ系)の移動中継車が停まっていました

四ツ谷駅の高架から電車を撮影しています。四谷怪談の霊の様に映り込んでいるのは私。赤い帽子に😎、赤い手袋。今見ても怪しい。よく捕まらなかったなぁ。「街道Walkerなんですよ」「うそつけ」

警備をかいくぐって新宿に向かいます。皆さんの新宿のイメージは?

新宿駅】【新宿バスタ】【超高層ビル群】【東京都庁】【歌舞伎町】などなど・・しかし新宿御苑というのは聞いたことがあったけれども訪ねるのも勿論初めて。マップで見ると都心の広大な敷地です。

新宿御苑もともとは、信州の藩主の内藤氏の江戸屋敷だったそうですが、甲州街道は江戸日本橋を出発すると次の宿場の「高井戸」までは距離があったので、元禄時代になって日本橋と高井戸の中間点に新しい宿場「新宿」をつくり、内藤氏の敷地を利用した事から内藤新宿と名前が付いたそうです。

新宿御苑は現在、環境省管理の国民公園となっています。

写真は青葉の季節ですが、桜の名所であり、2019年までは総理大臣主催の桜を見る会が毎年催されました。へえ~ここなんだ。

時間の関係から、新宿御苑を散歩できなかったのですが、かつては多摩川上流を水源とし、江戸の市中を潤した「玉川上水」の水路が整備され、しばらくは憩いのひと時を過ごしながら歩きました。

東京駅から2時間歩いたところで、いよいよ新宿の超高層ビルが見えて来ます。

NTTドコモ代々木ビル 

NYの摩天楼を思わせる、新宿周辺で2番目に高いビルです。

日本橋から約8キロ 新宿4丁目交差点

交差点の奥がJR新宿ミライナタワー(33階建て)などと調べながら書いています。

参考にさせて頂いているのは、個人さま運営の人気のページです。

【外部リンク】新宿周辺の超高層ビルランキング (xrea.com)

この奥の方が歌舞伎町なんだな~と思いながら歩いていました。

新宿駅と言えば、かつて目黒あたりに泊まって山手線から小田急に乗り換えようとして駅構内で人波に飲まれた事を思い出します。あれは怖かったな~歩く人のスピードが速すぎて、、

新宿周辺で3番目に高い「新宿パークタワー」52階建て!

ビル群の中でも特にユニークな「コクーンタワー」50階建て

東京モード学園」などでおなじみ、学校法人が経営するビルとしては高さ日本一らしいです!

近寄ってみると本当に巨大なのが分かる 

完全に「おのぼりさん」状態でとても甲州街道歩き日記のスタートとは思えない。

しかし後年に宿場に加えられたとはいえ、新宿はれっきとした街道の宿場町で、その面影が見えにくいだけ。2018年当時、52歳で初めて歩いた新宿。からかわないでください。せっかく来たのだから、都庁を見上げて、ゴッホのアレ🌻をぜひ見たいのです。つづきは【その3】へ!

ひたすら暑かった🌻 甲州街道歩き(2018)【その3】新宿~八王子 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

2023年2月11日(土)更新

ひたすら暑かった🌞 五街道🍇甲州街道歩き(2018)【その1】

「趣味は?」と聞かれて学生時代は「自転車・音楽鑑賞」などと答えていたものだが、社会人になってからは「ドライブ・温泉巡り・登山・ゴルフ・スキー」が加わった。ごく一般的ですな。どれも極めてはいません。おっと忘れていた、「ボートレース・競輪・お酒」。こちらはそれなりに極めたか。しかし結果はほぼ全敗(笑)。合コンの席もかいな。あかんな。

紀伊山地の霊場と参詣道が2004年にユネスコ世界文化遺産に登録されたが、それ以前から伊勢神宮と熊野を結ぶ「熊野古道伊勢路」については折を見て歩いていた。登山から街道歩きに少しずつシフトしていった頃だ。むろん街道歩きは峠越えもある。

さて、タイトルですが、江戸幕府が定めた五街道のうち、私が2018年に歩いた甲州街道歩き」をシリーズで振り返ります。

江戸時代には「甲州道中」。明治以降に「街道」と呼ばれるように

甲州街道とは】ひと言で言うとー

東海道中山道などと同じく江戸日本橋を出発し、新宿~八王子~高尾山から甲斐の国(甲州)に入り富士山やブドウ畑を見ながら進み、諏訪大社中山道に合流するまでの道」。どれだけ省略してもこの文字数になる。覚えてください(笑)。

・1・2日目 日本橋⇒八王子(高尾)1泊2日 

・3・4日目 八王子⇒大月 1泊2日 

・5・6日目 大月⇒甲府竜王)1泊2日 

・7~9日目 甲府⇒下諏訪 2泊3日  

 のべ9日間 約220キロメートル

甲州街道はアルバム4冊に WEBで再編集

超高層ビルから峠道から、ぶどうからほうとうから、温泉から富士山から」何でも出てまいります。お楽しみに。【その2】は江戸日本橋から新宿までの予定。

2023年2月10日(金)更新 ■■

ひたすら暑かった🌞 甲州街道歩き(2018)【その2】江戸日本橋~新宿 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)