2018年に甲州街道を踏破してまとめたアルバムをWEBで再構成しています。最後は甲府(甲斐市)から下諏訪までの約65キロを3日間で歩く事にしました。ゴールは諏訪大社四社のうち下社秋宮。甲州街道はここで中山道と合流して終わりとなる。
この区間を一言でいうと、この表紙のイメージにつきる。ではいかにも不親切。
1冊あたり写真40枚 ✖4冊をポジで残したが、パソコンにはサイズを小さくして多めに保存しているのでそこからセレクトします。
暑い街道歩きのリスタート。2018年8月25日(土)~27日(月)甲斐市⇒下諏訪町 3日間☀☀☀ (^^)/
【おことわり】全行程の1/3の距離を「その7」に収めるのでどうしても長くなってしまいます。休憩しながら読み進め下さい。無事ゴール出来ますように。
東京の赤坂は分かりませんが(調べてない…)ここの赤坂は当時、文字通り赤土の坂で、「一旦雨や雪が降るとぬかるみ、行き倒れの旅人が多かった」と持参のガイドブックにありました。
甲州街道のうち、江戸日本橋から甲府までを「表街道」、甲府から下諏訪までを「裏街道」と呼ぶそうです。
「表」と「裏」の距離の比較は大体2:1なのですが、江戸~甲府の表街道では途中の宿場が「ニコイチ」の宿場を合わせて37もあるのに対し、甲府~下諏訪の裏街道では途中の宿場が6つと、宿と宿の区間が長くなっています。
宿泊場所が少ないのは現在も同じ、どこで2泊するか計画を練りました。
街道には見どころが沢山あります。まずは下今井にある曹洞宗のお寺。
保存されている江戸中期の石畳の参道を歩いていくと、
水戸黄門様が「けつまづいた石」と案内がありました。
「おそれ多くも、さきの副将軍・水戸光圀公であるぞ、頭が高い。ひかえおろ~」という程のお方。よくお寺の関係者はお咎めを受けませんでしたな。黄門様がもし転んでけがをしようものなら、
「段差が大きい!打ち首じゃ~」(ドラマ「水戸黄門」では人はひとりも死にません。どんな悪代官も頭を下げたらOK)
赤く塗ってもらっても、油断していたらけつまずきそそうな箇所でした。
ではご一行様、続いて参りましょう。JR中央線塩崎駅に近い「泣き石」。
橋の上からは大抵、周りの建物も被らないので遠景が映えるが、うまくフレームインしてもらって有難申し訳ない(こんな言葉ある?)。もしこの写真を差し上げる事が出来たら喜んでくれるついでに「ブログの写真は削除してもらえませんか」とか、、( ;∀;)
塩川を渡ると韮崎(にらさき)宿に入ります。
井筒屋醤油について:井筒屋 (itutuya.co.jp)【外部リンク】
ホームページを拝見すると、もとは日本の輸出主力産業・生糸の卸業を行っていたが世界恐慌で生糸の値が暴落し、醸造業に変化していった。とありました。
街道の両側には「馬つなぎ石」が残され、宿場町の問屋業を偲ぶことが出来ます。
さて、歴史ドラマでも見どころは馬の手綱をひく武者の姿。韮崎市役所の玄関には武田信義の像があると聞いて、少し街道から中に入りました。
「甲斐源氏」の流れをくむ信義は自分の代から武田の姓を名乗り、信義ー信虎ー晴信(信玄)ー勝頼 と血縁がつながれていきます。戦国最強の武田軍団。甲州街道はその栄枯盛衰の舞台ともなりました。「武田氏の攻守(こうしゅ)街道」??
川を渡るたび、振り返るように富士山が視界に納まる。2泊3日の初日の宿は甲州街道沿いにある旅館「近江屋」。
旅館近江屋【公式サイト】 (ryokan-oomiya.com) 【外部リンク】
この辺りで夕方4時になりました。まるで私の行程のためにあるような立地。すぐ手前には給油🍺のためのコンビニも。最高。
チェーン店ホテル全盛の昨今からすると「伝統的な旅館」と申し上げてよいものか。
お部屋もお風呂もゆったりで大満足。更に追加料理のステーキ🥩を頂きながら、壁の大きな写真に目が行く。これは広島東洋カープ初優勝の時のものだ!
山梨🍇でカープ🎏の写真とは珍しい、と思っていたら地元武川町(現北杜市)出身の深沢修一選手(左)。おかみさんの義理のお兄さんだという。「昔は本当の地方球団で地元広島や中国地方の選手が起用されたようです。同じ位の実力なら」というような事をおっしゃっていた。
スーパーサブとしてカープの初優勝に貢献し、実働は約8年間であったが、山本浩二選手と衣笠祥雄選手に挟まれたポーズ写真もあって人望にも優れた選手だったようだ。現在は山梨県内でバッティングセンターを経営しているという事で、将来WBCに出られるような選手を発掘して欲しい。(このブログもぜひ読んで欲しい)
広島とDeNAに関するものを山梨で目にして(旅館は近江屋)初日の床に就いた。本日の韮崎市の最高気温は31.9℃(データ調べ)、翌日(8/26)は更に残暑🌞がぶり返した。
甲州街道の三山揃い踏み。アイドルに例えれば、松田聖子と中森明菜と小泉今日子に囲まれて街道を歩いているようなものだ。聖子=富士山 明菜=甲斐駒ヶ岳 今日子=八ヶ岳(…名前で呼び捨て)
甲州「裏街道」にしておくにはもったいない。皆さんも機会があればぜひ👞👞。
明治天皇は三重と京都の行啓で甲州街道を進んだそうです。馬かな?馬車かな?
🍛余程美味しかったのかな。聖子より明菜より今日子より一皿のカツカレー?
八ヶ岳の景観も午前中とは変わって来ました。豪快な阿弥陀岳が顔をのぞかせている。
2泊3日の2日目は終始上りの約25キロ👞。午後2時過ぎに「すずらんの里」駅に着きました。
標高900mの分水嶺にあるさわやかな駅名だが写真を見返しても涼しそうには見えない。写真の看板の上にはスキー場が見える。
初日の宿は街道沿い(カープの元選手の親戚)だったが、今日は上諏訪温泉に泊まって、また翌日ここからスタートして、ゴールの下諏訪まで歩く。
【国指定重要文化財】財団法人片倉館 (katakurakan.or.jp)【外部リンク】
「大正から昭和にかけて日本の輸出総額の4割を絹製品が占めていた頃、【シルクエンペラー】と称された地元の片倉財閥が地域住民に厚生と社交の場を提供するために建設(昭和3年)」ー公式HPより抜粋ー
本日の宿泊は片倉館の北隣にある鷺の湯(さぎのゆ)さんです。洋室シングルの朝食付きプラン(1人で会席料理は寂しいし○い)、諏訪湖の上諏訪温泉で一泊出来るなら文句はない。ところがー。
***♨琥珀色の源泉で入浴中♨***
皆さんもこの辺でいったん休憩してください。
【公式】上諏訪温泉・諏訪湖の旅館【ホテル鷺乃湯】琥珀色の自家源泉を持つ宿 (saginoyu.com) 【外部リンク】
やっぱり描くならアムロとシャアですよね~。大きな旅館なら絵画とか壺とか飾ってあるが、さりげなく飾ってあった色紙に思わず目が行き、写真を撮りました。
さて明日の天気は、とテレビをつけてまず予報に目が行く👀
・・乗鞍岳の天気でした。山の天気は変わりやすいもんね。それにしても「曇りか霧一時雨か雷雨」どれかは当たりそうな気がする。(^^)
「山の天気予報」初めて見ました。さすが山はあっても山梨県。ちがった、ここは信州諏訪湖畔。バックの槍ヶ岳はお天気カメラの映像ではなさそう。雨の山小屋でこの映像見たら恨めしいだろうな、と思ったり。
居酒屋でご飯食べて、一旦ホテルに戻ってもう一度出て来ました。この日は日曜日で、夏休みの歓迎花火の最終日でした。なんとついている事。
360度どこからでも良く見えるのが湖の会場の良いところ。
ステキな温泉旅館でゆっくりしたいのはやまやまだけど、今日は甲州街道の最終日。早い電車で昨日のゴール地点に戻ります。
この日は月曜日で朝の出勤時間帯。この駅で多くのビジネスマンが下りて行ったと思ったら「セイコーエプソン」の工場が2つもありました。このあたりでエプソンというと超優良企業ですよね~。社会の時間でも「岡谷は精密機械工業」などと習ったもの。
2018年8月27日(月)☀☀ この日の諏訪市の最高気温31.8℃
樹齢約400年のケヤキに今日1日の安全と、甲州街道の完歩を祈ります。
標高917m。ケヤキの樹齢はこちらも推定400年で、街道が整備され一里塚が設けられた時に植えられた、と書いてありました。往時のままで残っているのは甲州街道で唯一の存在だそうです。
旧道を歩いて、はるばる来て良かったなと思える瞬間です。
どこの松坂かと思ったら、先祖は三重の松阪からここ、金沢に越して来たそうです。金沢というと石川県を思い出してちょっとややこしい。ここは長野県茅野(ちの)市。
私は漫画「銃夢」主人公の彼氏の敵(かたき)「クライヴ・李」を思い出します。
大抵の旧道は川べりではなく、昔ながらの集落も水はけのよいところに開けています。
ゆうべ宿泊した上諏訪に戻って来ました。こちらは銘酒真澄。
おもしろい神社を見つけました。細い流れですが境内への橋が架かっていません。
その名も「先宮神社」。諏訪神社の神が鎮座しようとした時に先にこの地に居た神様が抵抗したが、幽閉され、境内から出られなくされたらしい。
子供でも簡単にまたげるが、神様は出られないそうです。
諏訪湖の景色が開けて来ました。相変わらず甲州街道は湖岸から離れた高いところに通っている。
橋本政屋 公式ホームページ (hashimoto-masaya.net)【外部リンク】
HPによると予約制で中を見学できるそうです。現代の大通りから離れた街道の風景と合わせてご覧になってはいかがでしょうか。
諏訪湖は長野県最大の湖で、地殻変動の断層によって出来たものです。天竜川の源としても知られていますね。水門で天竜川に注ぐ水量を調節しているそうです。大阪の淀川の源が琵琶湖というのに似ている。
国土地理院の地図にいろいろ書き足してみましょう。
紫色の線が甲州街道、赤色の線が中山道、青い線は道ではなく天竜川です。
濃いピンク色の⛩マークが諏訪大社四社のうちの下社春宮、オレンジ色の⛩マークが下社秋宮です。
江戸日本橋から五三番目の一里塚。一里を4キロと計算すると、ここまで210キロ歩いて来た事になる。案内板によると「あと11町(1100m)で華やかな下諏訪宿に着き、中山道につながる」とある。もうひと息だ。
写真データでは午後2時50分。下社秋宮に到着した。
街道の終点では通りすがりの人に写真をお願いする。今回も「日本橋から9日間でここまで歩いて来ました」というと驚かれて、快く?写真を撮ってくれた(^^)
甲州街道の最後は3日連続で歩いた。日焼けの中に疲れと満足感が表情に出ている。
素顔の記念写真はこの時が最後となった。翌月、目の手術をして、以来メガネ姿になる。
下社秋宮は甲州街道を完歩できたお礼参りにはふさわしいと思った。
大きなしめ縄をつけた神楽殿と青銅製では日本最大といわれる狛犬
おなじみのアングルより、斜めから見てみると屋根などのつくりが良くわかる。
「草木も眠る丑三つ時」にいびきをかくという「寝入りの杉」ちがった「根入りの杉」というらしい。
下諏訪温泉にはこの時でなく、中山道を甲州街道との合流点まで歩いて来た時に入ったのだが、「高温湯」の温度は47度。ぬるい方の湯で44度。ふだん38度位の温度で湯ったりしている私にとって、高温の湯は手を突っ込んだだけですぐ抜いた。「熱っ」
甲州街道を歩く - 旧街道ウォーキング - 人力 (jinriki.info)【外部リンク】
「甲州街道歩き」のサブタイトルは「ひたすら暑かった」。
江戸城の周りを半周するところから始まって、新宿の超高層ビルでゴッホの🌻を見て、小仏峠と笹子峠🏞️を越え、甲府盆地の名物、夏の🌞や🍇や🐔もつにビックリし、のべ9日間歩いて諏訪大社までたどり着きました。
このシリーズは全7話になりました。ご拝読有難うございました!
最終更新 2023年3月2日(木)■■
甲州街道歩きの最初から読んであげよう、という方はコチラから。
ひたすら暑かった🌞 五街道🍇甲州街道歩き(2018)【その1】 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
ちゃんと歩ける甲州街道 甲州道中四十四次 甲州街道44次53里24町を歩く詳細地図 | 八木 牧夫 |本 | 通販 | Amazon