奈良県の近鉄大和八木駅から十津川村経由で日本一の長距離バスの路線を終着の和歌山県JR新宮駅に向かって歩いている。いや旅しています。
2020年2月下旬。
御所市から国道24号・通称下街道(しもかいどう)を南下して標高を上げている。
下街道というからには昔ながらの遺構も探したいと思って、並行して走る旧道をさかのぼった。
さっそく見つけた。
「太神宮」と彫られている石灯籠である。
「太神宮」というのは伊勢神宮の事で、私の進む方向と反対の北に歩いていけば伊勢本街道に合流して、いずれは三重県の伊勢神宮に到達出来る。
ずいぶん遠いゴールの指標だと思ったが、神宮信仰の旅人を勇気づける「道しるべ」なのだなあと思う。
棕櫚(しゅろ)の皮で作った本物そっくりの猪にちょっと驚いたりして風の森峠の頂上で国道に戻った。
「風の森」とは何とさわやかな響きであろうか。
ここは大阪湾に注ぐ大和川水系と、和歌山湾に注ぐ吉野川水系の分水嶺になっている。
ちょうど坂の頂上に差し掛かったバイクの背中を追うように撮影して、ヨシと進行方向に振り返ったら、五條方面からの「例のバス」がちょうど峠を登ってきた。
八木新宮線・新宮発大和八木行きの「第2便」である。
時計の針は午後1時30分で、バスは新宮を朝7時46分に出てから既に5時間40分走ってきている。
始発から乗車している人はいるのだろうか。
ちなみに私も大和八木駅の出発から、徒歩で5時間20分経過していた。
峠からの下りでは、奈良県橿原神宮方面からの「中街道」そして三重県松阪市から県境の山を越えてきた和歌山街道(現地では伊勢街道と呼ばれている)を合わせて、五條市の市街地に入ってきた。
JR和歌山線の五条駅のロータリーから八木新宮線のバスが5分おきに発車して、目の前を通り過ぎて行った。
五条駅15時6分発の新宮行き、続いて15時10分発の大和八木行き。
いずれも「第3便」である。
同じアングルで上り下りの2台を撮影することが出来た。
いま目にした大和八木行きの「3便」を使ってあすは津市の自宅に戻ることになる。
(ダイヤは2020年3月現在)
五條は伊勢街道と十津川街道の分岐点にあたるだけでなく、南北朝時代に南朝の吉野が攻め落とされた時に、一時的にではあるが南朝が置かれたこともあった。
江戸時代に入ってからは城下町が出来、江戸中期には天明の飢饉で打ちこわしが起こって代官所が置かれ、南大和を統治するための中心地となった。
現在も伊勢街道添いの新町通りには古い建物が保存されている。
初日歩いた道のりは幹線道路主体に時々旧道に入る形で約27キロ。
標高200メートルの風の森峠が最高点だった。
今日は五條市内で泊まる。
ホテル近くのコンビニを探したら運良く柿の葉寿司の専門店も隣合わせにあった。
規模の大きなお店で、観光客やバイクのライダー達で賑わっている。
柿の葉寿司を明日のお昼のお弁当にするつもりで、7個入りを買い求めた。
ホテルの窓からは「作りかけ」のコンクリート橋が夕日に照らされている情景が美しい。
吉野川を鉄道が渡るために作られた橋の一部なのだが、五條と新宮を結ぶ鉄道路線「五新線」の計画が中止となってしまい、JR五条駅から和歌山線と別れて南にカーブしている高架橋は川のたもとで断ち切れている。
橋脚は美しいアーチを描いてローマの水道橋を彷彿とさせるのだが、橋の下はうまい具合に駐車スペースとなってアーチの下に車が納まっているのがなんだかシュールだった。
ホテルでは併設の温浴施設で良く温まって、夕食はミニ会席料理を頂いた。
旅の2日目は朝早く出発して五條市を流れる吉野川水系と、新宮市を河口とする熊野川水系の分水嶺、すなわちこのルートの最高地点(標高750m)まで歩く。
上り一辺倒の厳しい行程になるだろう。
(第4話に続く)
~“日本一のバス路線” 大和八木~新宮 167キロ+αを歩く~ その④五條市から十津川街道 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
2021年7月18日更新