2020年2月24日(月祝:天皇誕生日)晴れ
奈良県の近鉄大和八木駅から日本一の長距離バスの路線に沿って和歌山県のJR新宮駅を目指して歩いている。
今日は吉野川水系と熊野川水系の分水嶺(路線中の最高地点)を越えていく。
一番の難所なのだが、更に訳があって、峠の旧トンネルを潜る事になる。
(タイトルの+α の部分)
五條市街を朝出発して3時間40分。
傾斜がきつくなってループ橋の様になった所で、八木発新宮行きの「第1便」に追い付かれた。
ちょうど国道の橋と、幻の「五新線」の橋が重なっているところでリュックを下したところ、いい塩梅にバスがやってきた。
「第1便」はJR五条駅から約30分走って私を追い越して、そのまま「五新線」の橋を潜り抜けていった。
露出が若干オーバー気味だが、道中「八木新宮線」の写真を撮る事も楽しみだった。
バスの運転士は新宮で一泊して、翌日折り返しのバスを運転するだろうから、この旅では同じ運転士のバスとすれ違うかも知れないし、移動する際に乗せてもらうかもしれない。
ここからは単調な登りで、しんどかった事しか記憶にない。
途中612mの西野トンネルを潜り、バスの写真を撮ってから1時間20分で300m標高を稼いだところで、国道から旧道に入っていく。
実はこの峠はバスで何回も通っていて、自転車で越えたこともあるのだが、分水嶺の「新天辻トンネル」というのが曲者で、まったく歩行には適していないのだ。
「新」と名がついているが、トンネルが完成したのは昭和34年。
平成以降に完成した新しい道路トンネルであれば、路肩や歩道が大きくとられている事が多く、しかもトンネル内は明るい。
しかしこの「新天辻トンネル」は長さが1174mあって、交通量も多いが、トンネル内に路肩なんていうものはなく、現在も大型車同士のすれ違いには難儀するほどで、トンネルの中はほぼ真っ暗。
昭和のトンネルはこれが普通だったのだ。
自転車でも大変後悔していたので、ましてや歩いてこれを潜るという選択肢はない。
国道から分かれた旧道は尾根筋を大きく回り込むように登っていく。
道路舗装もほどなく途切れて、地道になった。
しばらくは車の通らない道も良いものだ。
突然、ガタガタという大きな音がして、びっくりした。
何と2頭の鹿が旧道の横の捕獲用の檻に捕まっているのだ。
そこへ私が歩いてやってきて、本能的に逃げようとしたのだろう。しかし鉄パイプで作られた檻の扉は完全に閉まっている。
登山の途中に鹿を目撃したことがあるが、檻に閉じ込められた動物を見たのは初めてだ。
至近で見る鹿は思ったより大きい。そして一回り小さな鹿。
どうやら親子で、檻に仕掛けられた餌を食べようとして捕まったのだろう。
ああ驚いたと思ったところで 歩いて1分もしないうちに、もう1頭の鹿が別の檻に捕まっていた!
先程の鹿よりもさらに大きい。
こちらは天井の鉄格子はない作りだが、どう飛び上がってみても檻の外に出られる様子もない。
かわいそうに、鹿の親子3頭は相次いで捕獲用の檻に捕まってしまったのだ。
山間部を走る鉄道が警笛を鳴らすところは、少し前に鹿が列車と衝突したところだ。
行方が分からなくなった家族の匂いを探して、同じ地点にやってくるのかもしれない。
この鹿たちも・・そう思うとやりきれなかった。
まだ高鳴る胸の音を聞きながら私は林道のような峠道を、足早に旧トンネルを目指して進んだ。
標高750メートルの地点に「旧天辻トンネル」はあった。
今から100年前の1922年(大正11年)に開通。
奈良県の北と南を結ぶ念願の道路トンネルだった。
当初からコンクリート造りで上部に右から「天辻隧道」と彫られている。
全長145mのトンネルを潜って、この歩き旅最高点を通過した。
後は基本的に新宮に向かって下るだけである。
但し、早くても歩いて4日はかかるが。
旧道を降りて国道に復帰したところで、やっとこさ2日目の歩き旅は終わり。
ここから「第3便」のバスで一旦津市に帰宅する。
(第6話に続く)
~“日本一のバス路線” 大和八木~新宮 167キロ+αを歩く~ その⑥ 五條市大塔町 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
2021年7月23日 東京五輪開会式の日に更新