kotarosandayoneの日記

街道歩きを中心に、風景などをアップしています

~“日本一のバス路線” 大和八木~新宮 167キロ+αを歩く~その⑭ 和歌山県新宮市にゴール 編

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2020年4月5日

朝6時。

新宮市内のホテルの窓から、北の方角を見る。晴れの気持ち良い朝だ。

近鉄大和八木駅からJR新宮駅まで「日本一のバス」八木新宮線 のルートを歩いてたどる旅 も、のべ6日目。いよいよ新宮駅にゴールする予定。

最終回は少し長めです😱

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日本一のバス「八木新宮線」のルート ※奈良交通のHPより

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八木新宮線 路線図と167のバス停留所 一番右下が新宮駅

スタートの宮井大橋(新宮市熊野川町)は、本流の熊野川~十津川と、瀞峡巡りで有名な北山川の合流地点でもある。

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朝8時前 昨日のゴール地点に戻って6日目をスタート

熊野川の本流・十津川水系は今も災害の護岸工事が行われているうえ、上流のダムが放流するたびに水が濁ってしまうのだが、支流の北山川はいつも青い流れで、合わさった地点からしばらくは川面が2色に分かれていた。

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同じ場所 瀞峡ウォータージェット船が走っていた頃(※2018年6月撮影)

この濁り水も熊野川のひとつの姿

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北山川で愛車とジェット船のツーショット(※2016年10月撮影)

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こちらは歩き旅当日 存分に朝の熊野川を眺める幸せ

日本一のバス」路線は国道168号線・熊野川の右岸和歌山県に沿って進むのだが、川の岸壁に迫る箇所ではガードレールのみで歩道がない所もある。本宮と新宮を行き来する交通量も普段から多い。 緊張を強いられる歩きになるだろう。

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熊野川の対岸は三重県熊野市紀和町 小学校の建物や桜が見え、のどかに感じる

スタートから40分位下って、これは前から検討していたのだが、橋のかかっているところで反対の左岸三重県に渡って、実際のバスのルートよりは少し遠回りにはなるものの、より歩きやすい(と思われる)道を下って新宮を目指すことにした。

その名も「三和大橋(みわおおはし)」である(1975年開通)。

(ちなみに熊野川を渡る橋は、このあと河口のR42号・新熊野大橋までない)

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 三和大橋 熊野川の右岸(和歌山側)から左岸(三重側)に移る

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橋のたもとにある「享保…」と彫られたお地蔵さま

どこからかここに移されたのだろう 旅の最後の無事を祈った

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「三和大橋」の上から 熊野川と国道168号 手前が新宮方面

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奥が本宮~十津川方面 天気が良さそうだ

橋の真ん中で県境を越え、三重県に入る。警察署の管轄が明記されているが橋の上で事故など起こしたら、さてどちらの警察署から出動してもらえるのだろうか。

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三重県熊野市紀和町和気(わけ)地区 

奥に東紀州10マウンテンの「子ノ泊山」(ねのどまりやま)907m  ※三角山の左奥

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静かな集落の中を行く。いろいろな形をした田んぼには水が入っていて、早苗が植えられているところもあった。

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田園風景を過ぎると山が川に迫り、いつしか絶壁の下を歩いている事に気づく。

巨大な落石防止装置があちこちで私(達)を守ってくれている。

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熊野川の左岸 県道740号 小船紀宝線

2011年の秋。気象庁もその進路が読めなかった台風12号の大雨は数日間降り続いて、熊野川水系のダムも貯水量が一杯になって「緊急放流」(上流からの流量をそのまま下流に流す)を余儀なくされたほか、熊野川沿岸でものり面の崩壊土石流があちこちで発生して沢山の被害を出した。

今回歩いている道路沿いも、土石流というより谷筋の岩盤が崩れて、道路が一瞬で壊された個所もあった。

新しく作り変えられている橋を渡って崩れた谷を見上げる。

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上の橋の真上 岩盤がごっそり抜けて新しい滝が出現している

和歌山県側の対岸をふと見ると、「八木新宮線」の新宮発・大和八木行のバス「第3便」熊野川を遡って行った。

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時計を確認したら朝10時30分。あちらのバスは大和八木駅のゴールまで6時間。

私は新宮駅にあと何時間でゴールできるだろうか。

対岸同士だが、日本一のバスとのすれ違いは、これが最後になった。

「行ってらっしゃい。」 

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もう会わないと思うと少々寂しくなった。

 

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2011年台風の爪痕を今でも残しつつも、雄大熊野川の流れと岩の風景はしばし時間と疲れを忘れさせてくれる。

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ひょっこりキャンプ場に出た。

三重県熊野市紀宝町の「浅里(あさり)飛雪(ひせつ)の滝キャンプ場」だ。

もう急いでも仕方がないと思って、設置されているリクライニングチェアに腰を沈めた。

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ゆっくりと滝を眺めながら、最高のロケーション。

う~ん。もう歩きたくない(本当に)。

 

ここでスマホを取り出して「飛雪の滝」の名前の由来を見る。

遠くは和歌山城主の徳川頼宣(よりのぶ)公

「幾重なす山を巡りて川豊か・岩辺の風吹けば 飛沫さながら雪の舞い」

と、ここを訪れて漢詩に詠んだという。

(大変お上手ですがもちろん本人作だよね)

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かつて頼宣公が感銘にふけった景色は今とはそうかわらないのだろうと、滝のしぶきを見ながら思った。

ゴールまであと3時間は歩く。

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三重県熊野市紀宝町 浅里(あさり)地区の春

段々とここからは地形も開けて来て、菜の花が一面に咲いている。

お天気は最高だ。

一方、川を下るにつれソメイヨシノはまだ満開手前だった。

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寒いはずの「山の方」の十津川村ではすでに満開だったのに、と思ったが、この冬は暖冬で「休眠打破」がうまくいかず、開花が遅れるのだという。

後で紹介するが、冷え込みの無い新宮市街の桜はまだ5分から7分咲きだった。

ますます温暖化が進んだとしたら桜はどうなるのだろう。

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熊野の神様と天照大神が岩の上で碁を打ったとも、神様がここでお昼ご飯を食べたともいわれる「昼嶋(ひるしま)」を眺めていく。

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川幅は広くなって、依然として大自然の中なのだけれども、河口に近づいている事がわかる。

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「御船島」と熊野川

熊野速玉大社例大祭で、岩の周りを船で漕いで3周して早さを競う「船島(みふねじま)」を通り過ぎると、いよいよ熊野川河口の熊野大橋に近づく。

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河口奥に赤い「新熊野大橋」が見える ゴールが近い♬

ドライブや仕事の関係で何度となくこの河口の橋を渡ったが、歩いて渡ったのはたぶん今回初めてだろう。

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「新熊野大橋」から隣の「熊野大橋」 奥に太平洋と三重県紀宝町の製紙工場の煙

きのうからの強行軍が、きょうに響いて足どりを重くしている。ここにきて?(笑)

「日本一のバス路線をめぐる歩き旅」ものべ6日目、いよいよ「最終コーナー」に近づいた。

 新宮城は別名「丹鶴城」と呼ばれ、城の図面を上から見ると鶴が羽を広げているように見えなくもないが、そのような記述はなかった(笑)。

和歌山県では和歌山城に注ぐ第二の城(跡)には違いない。

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下から見上げただけだが、桜の満開にはまだ早かった。今年は特に遅いのだろう。

 

今回の私の旅の写真データはこの城跡が最後だった。

ゴールの新宮駅でのバス停の写真ぐらいは記念に撮るだろうと後から思ったものだが、

どうやら忘れていた・・

(後日取り直した写真がこれ  指で拡大するとバス停の多さが解ります❕)

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6日間で約175キロ歩いてゴールした事で特別な感傷にふけることはなかった。

道中目にしたすべての風景がまぶしかった。

 

『歩くスピードで見えてくるものがある』とは「みえ歴史街道構想」のキャッチフレーズだ。

私もそう感じる。

自由に移動できる車や、列車やバスの車窓から見る景色もまた素晴らしい。

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30年物の愛車と十津川街道・猿谷ダム(2021年8月撮影)

風を切って走る(押し戻される時もある)サイクリングで目にする風景もまた楽しい(自転車はある程度のスピードと小回りが利く両方の良さがある)。

今回は「日本一のバス」路線に沿って6日間歩いたのだが、やはり見慣れていた景色でも、歩きのスピードではまた違った視点があった。

同じ場所でも10メートル歩いてもう一度良いアングルを探してはシャッターを押すので、帰りの電車やバスの車中では当日の写真をさっそく整理にかかる。

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今回の旅で一番印象的なシーン 奈良県大塔村にて

バス路線の歩き旅は終了したが、街道歩きの旅は続けるつもりだ。(終わり)

 

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最後まで読んでいただいて有難うございました。スタートの大和八木駅からゴールの新宮駅まで無事に歩き切ることが出来ました。歩き旅の全ルートを支えてくれた「日本一のバス」と沿線の皆様、時には車道を歩かざるを得なかった私をうまく避けてくれたドライバーの皆さんにお礼申し上げます<(_ _)>。■■

 

後日、「日本一のバス路線【番外編】~十津川街道をサイクリング~」を仕上げます

「日本一のバス路線を歩く」特別編 ~十津川街道を自転車でめぐる~ - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)