2020年4月5日。
朝6時。
新宮市内のホテルの窓から、北の方角を見る。晴れの気持ち良い朝だ。
近鉄大和八木駅からJR新宮駅まで「日本一のバス」八木新宮線 のルートを歩いてたどる旅 も、のべ6日目。いよいよ新宮駅にゴールする予定。
最終回は少し長めです😱
スタートの宮井大橋(新宮市熊野川町)は、本流の熊野川~十津川と、瀞峡巡りで有名な北山川の合流地点でもある。
熊野川の本流・十津川水系は今も災害の護岸工事が行われているうえ、上流のダムが放流するたびに水が濁ってしまうのだが、支流の北山川はいつも青い流れで、合わさった地点からしばらくは川面が2色に分かれていた。
「日本一のバス」路線は国道168号線・熊野川の右岸(和歌山県側)に沿って進むのだが、川の岸壁に迫る箇所ではガードレールのみで歩道がない所もある。本宮と新宮を行き来する交通量も普段から多い。 緊張を強いられる歩きになるだろう。
スタートから40分位下って、これは前から検討していたのだが、橋のかかっているところで反対の左岸(三重県側)に渡って、実際のバスのルートよりは少し遠回りにはなるものの、より歩きやすい(と思われる)道を下って新宮を目指すことにした。
その名も「三和大橋(みわおおはし)」である(1975年開通)。
(ちなみに熊野川を渡る橋は、このあと河口のR42号・新熊野大橋までない)
橋の真ん中で県境を越え、三重県に入る。警察署の管轄が明記されているが橋の上で事故など起こしたら、さてどちらの警察署から出動してもらえるのだろうか。
静かな集落の中を行く。いろいろな形をした田んぼには水が入っていて、早苗が植えられているところもあった。
田園風景を過ぎると山が川に迫り、いつしか絶壁の下を歩いている事に気づく。
巨大な落石防止装置があちこちで私(達)を守ってくれている。
2011年の秋。気象庁もその進路が読めなかった台風12号の大雨は数日間降り続いて、熊野川水系のダムも貯水量が一杯になって「緊急放流」(上流からの流量をそのまま下流に流す)を余儀なくされたほか、熊野川沿岸でものり面の崩壊や土石流があちこちで発生して沢山の被害を出した。
今回歩いている道路沿いも、土石流というより谷筋の岩盤が崩れて、道路が一瞬で壊された個所もあった。
新しく作り変えられている橋を渡って崩れた谷を見上げる。
和歌山県側の対岸をふと見ると、「八木新宮線」の新宮発・大和八木行のバス「第3便」が熊野川を遡って行った。
時計を確認したら朝10時30分。あちらのバスは大和八木駅のゴールまで6時間。
私は新宮駅にあと何時間でゴールできるだろうか。
対岸同士だが、日本一のバスとのすれ違いは、これが最後になった。
「行ってらっしゃい。」
もう会わないと思うと少々寂しくなった。
2011年台風の爪痕を今でも残しつつも、雄大な熊野川の流れと岩の風景はしばし時間と疲れを忘れさせてくれる。
ひょっこりキャンプ場に出た。
三重県熊野市紀宝町の「浅里(あさり)飛雪(ひせつ)の滝キャンプ場」だ。
もう急いでも仕方がないと思って、設置されているリクライニングチェアに腰を沈めた。
ゆっくりと滝を眺めながら、最高のロケーション。
う~ん。もう歩きたくない(本当に)。
ここでスマホを取り出して「飛雪の滝」の名前の由来を見る。
「幾重なす山を巡りて川豊か・・岩辺の風吹けば 飛沫さながら雪の舞い」
と、ここを訪れて漢詩に詠んだという。
(大変お上手ですがもちろん本人作だよね)
かつて頼宣公が感銘にふけった景色は今とはそうかわらないのだろうと、滝のしぶきを見ながら思った。
ゴールまであと3時間は歩く。
段々とここからは地形も開けて来て、菜の花が一面に咲いている。
お天気は最高だ。
一方、川を下るにつれソメイヨシノはまだ満開手前だった。
寒いはずの「山の方」の十津川村ではすでに満開だったのに、と思ったが、この冬は暖冬で「休眠打破」がうまくいかず、開花が遅れるのだという。
後で紹介するが、冷え込みの無い新宮市街の桜はまだ5分から7分咲きだった。
ますます温暖化が進んだとしたら桜はどうなるのだろう。
熊野の神様と天照大神が岩の上で碁を打ったとも、神様がここでお昼ご飯を食べたともいわれる「昼嶋(ひるしま)」を眺めていく。
川幅は広くなって、依然として大自然の中なのだけれども、河口に近づいている事がわかる。
熊野速玉大社の例大祭で、岩の周りを船で漕いで3周して早さを競う「御船島(みふねじま)」を通り過ぎると、いよいよ熊野川河口の熊野大橋に近づく。
ドライブや仕事の関係で何度となくこの河口の橋を渡ったが、歩いて渡ったのはたぶん今回初めてだろう。
きのうからの強行軍が、きょうに響いて足どりを重くしている。ここにきて?(笑)
「日本一のバス路線をめぐる歩き旅」ものべ6日目、いよいよ「最終コーナー」に近づいた。
新宮城は別名「丹鶴城」と呼ばれ、城の図面を上から見ると鶴が羽を広げているように見えなくもないが、そのような記述はなかった(笑)。
下から見上げただけだが、桜の満開にはまだ早かった。今年は特に遅いのだろう。
今回の私の旅の写真データはこの城跡が最後だった。
ゴールの新宮駅でのバス停の写真ぐらいは記念に撮るだろうと後から思ったものだが、
どうやら忘れていた・・
(後日取り直した写真がこれ 指で拡大するとバス停の多さが解ります❕)
6日間で約175キロ歩いてゴールした事で特別な感傷にふけることはなかった。
道中目にしたすべての風景がまぶしかった。
『歩くスピードで見えてくるものがある』とは「みえ歴史街道構想」のキャッチフレーズだ。
私もそう感じる。
自由に移動できる車や、列車やバスの車窓から見る景色もまた素晴らしい。
風を切って走る(押し戻される時もある)サイクリングで目にする風景もまた楽しい(自転車はある程度のスピードと小回りが利く両方の良さがある)。
今回は「日本一のバス」路線に沿って6日間歩いたのだが、やはり見慣れていた景色でも、歩きのスピードではまた違った視点があった。
同じ場所でも10メートル歩いてもう一度良いアングルを探してはシャッターを押すので、帰りの電車やバスの車中では当日の写真をさっそく整理にかかる。
バス路線の歩き旅は終了したが、街道歩きの旅は続けるつもりだ。(終わり)
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最後まで読んでいただいて有難うございました。スタートの大和八木駅からゴールの新宮駅まで無事に歩き切ることが出来ました。歩き旅の全ルートを支えてくれた「日本一のバス」と沿線の皆様、時には車道を歩かざるを得なかった私をうまく避けてくれたドライバーの皆さんにお礼申し上げます<(_ _)>。■■
後日、「日本一のバス路線【番外編】~十津川街道をサイクリング~」を仕上げます
「日本一のバス路線を歩く」特別編 ~十津川街道を自転車でめぐる~ - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)