秋の一日、奈良大和三山と藤原京跡、神武天皇陵、橿原神宮を歩いた旅の続きです。
文化の日は休日のお天気にも恵まれ、藤原宮跡に咲くコスモスを楽しむ家族連れ達で賑わっていました。大和三山や遠くの山とのコントラストが絵になります。
頂上の木々の間から、最初に登った耳成山とこの後登る畝傍山を望むことが出来ました。三方を山に囲まれたこの地が都をつくるにふさわしい場所とされたのでしょう。
藤原京はのち遷都する(なんと大きな)平城京に負けず劣らず広かったのですが、当時の文献に従い中国の都に倣って開発したところ、上の模型のように何かの間違いで宮殿を都の真ん中に作ってしまい、さっそく平城京に引っ越して作り直したという事らしいです。へんなの。
藤原京から平城京に都を移すとき、薬師寺も「引っ越し」したらしいのですが現在の薬師寺も平城京(跡)の南西部にあることから、古くから方位が重んじられていたのでしょう。
ちょうどお昼になったので、近鉄畝傍御陵前駅前(ややこしい)のレストランで昼食をとり、大和三山の3つめ「畝傍山(うねびやま)」を目指します。
いやその前に、初代の天皇・神武天皇のお墓を訪ねる事にします。
我々の他には誰もいなくて、隣の社務所?で国旗が翻っているだけ(くどいようですが本日は文化の日、明治天皇の誕生日です)。静かなことで余計に神聖というか荘厳な気分になりました。2019年3月、今の上皇、上皇后両陛下が退位の報告にここを参拝、同じく11月には天皇皇后両陛下も一連の即位の儀式を終えた報告に参拝されました。
神武天皇陵も橿原神宮も畝傍山(うねびやま)のふもとにあるので、山そのものが御祭神といってよいでしょう。そのてっぺんに足を踏み入れようというのです。
ものすごく境内が広くて、急に賑やかになった感じがしました。神前結婚式のご両人や親族の方が記念撮影をしていました。
神武天皇を祀っている橿原神宮の参拝者の中、我々2人は山から降臨してきたのだ、などとつまらない事を申しておりました(私が)。下り坂で何回か足を滑らせそうになったのは内緒です(私が)。
出発の近鉄大和八木駅からゴールまで2万歩以上歩きました。無事のお土産にはこちら。
橿原市/名勝大和三山コース (city.kashihara.nara.jp)」
橿原神宮の鳥居の大きかったこと!(^o^)
ではまた更新します。 (その2 おわり)
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