久しぶりにサイクルトレインを利用したら「近江鉄道利用促進デー」にあたってしまって車内で冷や汗をかきましたが(その1参照)、なんとか自転車でのスタート地点に着きました 午前10時20分頃 ここから中山道に沿って草津に下(くだ)ります。
建てられてから180年近く経っているとは思えない美しい常夜灯です。
(*スマホは指で拡大できます)
多賀大社から伊勢神宮へ向かう道と京都に向かう道の分岐点だったようです。
ここでクイズです 上の灯篭の基壇(これも難しいけど)に彫られている4文字はなんと読むでしょうか?
【答え】「村中安全」(右から左に読む)です。みなさん読めましたか?
奥石神社 「安産祈願」ともありましたが、こぶつきの大木(写真)があったので後出しでつけたのではと勝手に想像します このあたりは「老蘇(おいそ)の森」(国史跡)というそうです。
次はあの「源義経」にまつわる史跡です。
「ミスタープロ野球」といえば長嶋茂雄さんですが、「ミスター武士」といえばあの三英傑を差し置いても「源義経」ではないでしょうか。
『牛若丸 改め 義経』
本当にここで元服したの? 烏帽子をかけた松が(幹だけとはいえ)実在??
元服したのは1174年3月3日の事の様です。もちろんいい国作る前ですよ。
松(の幹)本人に聞いてみないとわかりませんね。
逆光で撮るとわかりますがどうもレンズの中曇りがひどくなり愛用のカメラもそろそろ寿命の様です。(時々落としましたし)
さて次は野洲市の「背くらべ地蔵」です。こちらも中山道沿いです。
小さい方のお地蔵さんは高さ1メートルに満たないですが「このくらいの丈(背の高さ)になればこの後もすくすく育ってくれるだろう」という昔の人の思いがこもっているのだと感じました。
次は「東門院」です。
「ちゃんと歩ける中山道六十九次」のガイドブックによると
比叡山延暦寺の鬼門にあたる東方を守護するために東門院が建立され「比叡山を守る山(お寺)から「守山」の語源となった そうです。
【リンク】山と渓谷社
ちゃんと歩ける中山道六十九次 西 藪原宿~京三条大橋 | 山と溪谷社 (yamakei.co.jp)
旧草津川は天井川でしたが、その下をトンネルが掘られています。
トンネルを抜けたところ 右方向は東海道 江戸に向かう道
本陣が公開されているのは東海道の二川(ふたがわ)宿の本陣と並んで貴重な存在だったと記憶しています(五街道全部あるきましたが)。
中山道を南下して、分岐点で折り返す様に東海道に入り、東にスタート地点の水口(宿)に向かいます。
さて次は・・
手孕(はら)み伝説による 旧手原村(東海道沿い)
少年チャンピオンに「手っちゃん」というシュールな漫画があったのを思い出しました。
漫画の記憶もあるし、最初の写真は「石のベンチ」なのですが座りたいとは思いませんね( 一一) お尻を触られるみたいで 実はすごいご利益があったりして???
(上の画像2点は借りてきました)
草津と水口の中間にある石部(いしべ)宿です 街道の宿場にはめずらしく置屋がなかったそうです 皆さん京を立って一泊目、「ぐっすり寝た」のでしょう。
滋賀県で一番大きな川・野洲川(やすがわ)を旅人は渡し舟で渡りました。
水口城は徳川三代将軍家光が京都に向かうための宿舎として建てられ、その後に水口藩が成立したそうです 現在の甲賀市の中心部です。
奈良県の十津川街道をめぐって以来、久々に自転車に乗りました。サイクルトレインを利用したので自転車を袋に詰めたり出して組み立てたりという時間のロスがありませんでした。次は近いうちに奈良と伊勢を結ぶ「初瀬街道」を歩いて来たいと思います。
今回もありがとうございました!
2021年11月14日(日)走ったその日に更新
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