2021年も残り20日を切りました。
自宅では換気扇のお掃除などをしましたが、同居の家族が2人から1人になったので
ご飯をつくっても余るので、出来合いのものを買ってくることが多くなりました。
料理でも食べてくれる人がいないと張り合いがありませんね。
もし将来1人暮らしになったらどうして生きていくのでしょうか?
そうならないように今からでも何とかするとしましょう(笑)。
そもそも「1人暮らし」ほど不経済なものはありませんからね。
収入のある現役のうちはまだ良いとしてもです。
前置きはこれくらいにして、趣味の街道歩きです。
常に持ち歩くので本の縁をあらかじめ補強しないとぼろぼろになってしまうのです。
長野県善光寺まで連れて行きましたから(本に連れて行ってもらった、とも)。
ところで4年位使っていたカメラを新調しました。全く同じもの
古い方を誰かに差し上げようとも思ったが、2つを比べてみると性能も落ちて来ているのが良く分かったので、思い切って処分しようかなと思います。
右のカメラは全国をずいぶん歩いてまわりました。松尾芭蕉並みとはいかないまでも。
なので、今日は新しい方のカメラのデビュー戦です。
同じお家を2方向から撮ったもの 松の葉が黄色くなっているのが気にかかります
【リンク】三重県神社庁のページ「高茶屋神社」なかなか興味深いです
今日の歩き旅は、回り道をしても15キロにも満たないので気楽です。
写真には上げませんでしたが、伊勢街道は思ったより休憩場所が少ない(東海道などと比べて)ので、ここを歩くときはベンチと囲いのある「藤方」バス停で小休止します。
田中覚知事は昭和30年から昭和47年まで三重県知事を務め、初当選時は当時全国最年の知事だったそうです(45歳)。
四日市コンビナートとライフラインの整備を進め、一方で四日市ぜんそくの公害訴訟で企業側が敗訴した時に、企業側に控訴しないよう働きかけたという事です。
激動の知事時代だったようです。
【リンク】みえの歴史街道/ウォーキング・マップ:伊勢街道 (mie.lg.jp)
この辺りのところはリンク先に詳しいので、いちど検索してみてください。
現在でも節分祭の時は賑わいますが、往時はどれほどの賑わいだったのでしょうね。想像もつきません。
伊勢街道は津観音の仁王門前で90度曲がります。
津の観音様を拝んだりして、ゆっくり旅人のように時間を過ごしました。
織田信長の母、土田御前(どたごぜん・つちだごぜん)と信長の弟の信包(のぶかね)は津市で暮らしていたのですが、土田御前が信長を生んでいなかったら今の世の中はどうなっていたのでしょうか??
ドラえもんに聞いてみたいですね。(みんな英語をしゃべっているとか??)
2020年のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」では檀れいさんが土田御前を演じ、信長を大変疎んじていました。
お伊勢参りに江戸から歩いてきた人、京都から歩いてきた人が最初に落ち合い、伊勢からの帰りにはここでお別れするという日本有数の追分の常夜灯にしては、現在、やや遠慮がちに「江戸橋」のたもとに立っています。
子供のころから見慣れた風景ではありますが、今も昔もこの鳥居が行きかう人々や車を見つめています。
伊勢別街道 津宿~窪田宿と、最初に紹介した伊勢街道 津宿~雲出宿の写真
雰囲気もあまり変わらないという事で、今回もしめたいと思います。
2021年12月12日(日)更新