前回の「巡見道歩き」②に続き、その③ではいなべ市北勢町から岐阜県関ケ原町まで歩いた時の事を日記に記します。
歩きのルートとしてはメジャーではない・距離が長い・アップダウンもありそう という事で、予習のためにグラフを作りました。(スマホは指で拡大できます)
前回のゴール、いなべ市北勢町を出発し、三岐鉄道沿いにさかのぼり、県境に向かって標高230メートルまで登ります。
岐阜県からはなだらかに下っていったん標高60メートルまで下げ、登り返してJR関ケ原駅にゴールします。
スタートからゴールまで35キロ。マラソンのチームならもっと詳しい上り下りのデータを取るでしょう。
こちらは「ひとり8時間耐久レース」。
グラフをつくったら面白い図形になりました。役に立ちそう。
前回はいなべ市から三岐鉄道北勢線で帰りましたが、今回は三岐鉄道三岐線で続きに戻ります。
鈴鹿セブンマウンテンの藤原岳からは石灰石が産出され、三岐線はセメントの原料を輸送するために作られました。
単線でも貨物車が停まっていて旅客列車が追い越す、行き違うという光景はあると思いますが、今回は貨物列車のために旅客車が駅で停まって待ちました。
さすがセメント輸送主力(元)の路線です。
まあ、動き出したら停まらない(停めたくない)気持ちはわかります。こんなに重たい荷物はないでしょうから。
2021年6月12日(土)☀☁
巡見道歩きのべ3日目 伊勢治田駅 朝7時スタート
距離が長いのでスタートから気が急いていたのかもしれません。
いつもなら写真をどんどん撮るのですが、出発駅の次に撮った写真は歩き出して1時間近く後でした。
太平洋セメント藤原工場の巨大なプラントの脇も通りましたが高い壁に囲まれていました。
時間は歩きながら記したものです。ここまでスタートから7キロ過ぎ、1時間25分経過。まだまだ全体の1/4にも足りていません。
ここで15分間休憩し、お手洗いを借りて、ベンチで朝のパンをかじりました。このあと「員弁街道」と合流して、さらに標高を上げていきます。
篠立(しのだち)地区は分水嶺にあり、集落の南側の水は員弁川に落ちるのに、集落の北側の水は反対の岐阜県に向かって下って行きます。
上の地図は「みえ歴史街道ウォーキングマップ」のコピーです。
【リンク】みえの歴史街道/ウォーキング・マップ:巡見道 (mie.lg.jp)
民家の庭に咲いている美しすぎるバラを愛でて、三重県とはお別れです。前述のようにすでに川の流れは岐阜県側に下っています。
ここから先は「みえ歴史街道」のエリア外なので、旧ルートも自分で調べました。旧上石津町(現大垣市)の集落に入っていきます。
歩き始めて4時間あまり。今回の行程(高低)グラフにも書き込んだ「Cafeあめんぼ」が近づいて来ました。
お昼よりちょっと早めで丁度いいじゃないか。
恐れ多くも「全く町中じゃない」のにびっくりしました。午前11時半より前。
三重県側からも車で来ているかもしれない。例え入店できてもワタシのピザが焼けてくるまでには1時間はかかりそう~。アウト。
Cafeの到着時間はきちんと書き込んでありました。食べられなかっただけです。
道も歩きやすいし、あと1時間位歩けばコンビニもあるので何とかなるでしょう。
もう少し進んだところで新たな出会いが!
『宮崎屋 どら焼き』で検索すると大垣市(旧上石津町)のどら焼き、じゃなかった宮崎屋さんが出て来るので検索でも上位なのでしょう。
生地はフワフワのカステラといった感じで大変美味しかったです。
家族の分しか買ってこなかったので。写真を見ているとまた食べたくなってきました!
『大神神社』で検索するとまずは奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)がヒットしますが大垣市上石津町の「大神神社」もたいへん歴史が古く、何と西暦692年の創祀(そうし)。
世界最大の電子辞書によると
「持統天皇(飛鳥時代)が伊勢国行幸で伊勢国三重郡に到着した時、右大臣(略)が大物主櫛ミカ玉命の信託を受け、美濃国に創建したという」
となっていますが、奈良の大神神社と同じく、天照大神が伊勢神宮に鎮座する以前の宮(元伊勢)に由緒があっても不思議ではないと思います。
持統天皇が都から伊勢に向かう時に美濃まわりの道を選んだのには、天照大神を伊勢までお連れした倭姫命(やまとひめのみこと)のルートをたどったのでしょうか。
宮崎屋さんも大神神社も「巡見道」沿いにありますが、この道は地元では昔から「伊勢街道」と呼んでいるそうです。
最後の難所「上石津トンネル」。
旧街道(巡見道)は向かって左の山の上を越えていきますが、歩き出して6時間近くなり、マスクをしてトンネルの中に入っていきました。
トンネルに歩道が無かったら、別の川沿いの道を行くにしても、ずいぶんと遠回りしていたでしょう。
ここが今回のルートの一番標高の低い所で、ここから関ヶ原に向かって支流の川をさかのぼるように標高を上げていきます。
旧上石津町は大垣市の飛び地になっています。
西軍の一部は伊勢街道沿いに敗走することになりますが、その盾となったのが薩摩・島津豊久を頭とする軍です。
薩摩藩の旗印をみると十字架に見えるのだけれど、そうではないという。
享保2年に生まれた人は2022年で305歳になりますな。
さあ本日の「ひとり8時間耐久レース」も終わりです。
順調に歩けたし大休止もしなかった(出来なかった?)ので、スタートからゴールまでの約35キロを7時間と5分でした。
もし2日がかりになった時のために予約してあった大垣駅前のホテルに予定通り泊まりました。(最初から泊まりたかったくせに)
JR大垣駅ビルの成城石井でしゃれたおつまみやイタリアンを買い込んで「寝台列車のような一夜を過ごしました」と旅行サイトに感想を書いたら、ホテル側が良いように受け取って返信してくれました。
2021年6月12日(土)☀晴れ時々☁曇り 巡見道歩き その③
いなべ市北勢町 三岐鉄道伊勢治田駅~岐阜県関ケ原町 JR関ケ原駅 歩行(所要)時間 7時間05分
2022年2月23日(水)更新
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