2022年8月28日(日)⛅️→☀ 続き
その1に続いて、旧二見町を歩きます。伊勢神宮に奉納する塩をつくる塩田をあとに、御塩殿神社、二見興玉神社方面に向かいます。
旧二見町の歴史に関係する碑を見つけました。
「花房志摩守(はなぶさしまのかみ)」供養碑 説明によると二見はもともと神宮領だったものが鳥羽の豪族・九鬼氏の領地となり、江戸時代になって当時の山田奉行だった志摩守の尽力で悲願の神宮領復帰を果たしたとあります。
伊勢神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)行事で二見地区の各地からは御用材をおさめる「お木曳(おきひき)」の一行が盛大に綱を曳きます。石碑の裏をみてみると。
昭和55年???(そんなはずは、、)
海側に「当時」の供養碑がありました。見逃さないで良かった。
供養碑の顕彰?碑とはややこしいなあと。(大きなお世話ですが)
山田奉行についてはこちらのブログに戻ってお読みください。
河川に囲まれた伊勢市~神に守られた川と海の道を歩く~② - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
さらに東に歩いていくと二見の杜が見えて来ます。
御塩殿(みしおでん)神様にささげる三角形の塩を形作る、いわば「作業所」です。立派ですが。
御塩殿の左側にあるお社が【御塩殿神社(みしおでんじんじゃ)】。お伊勢さん125社はこちらになります(内宮の所管社)。神社の裏手にも「作業所」があるというので「入って良いですか」と聞くと「どうぞ」という事で、回り込みます。
箒でジグザグに掃き清められています。「どうぞ」とおっしゃった方に足跡をつけて大変申し訳ないと思いながら進みます。
手前が「その1」で訪ねた塩田からくみ上げた海水を溜めておくところ。奥が海水を煮詰めて荒塩をつくるところです。
【リンク】伊勢神宮公式ホームページ
神宮の御料と御料地|神宮について|伊勢神宮 (isejingu.or.jp)
二見浦を背にした、大変落ち着いたところです。「お伊勢さん125社」の中では一番ランク下の「所管社」になりますが、ぜひ一度お立ち寄りください。
さらに海岸に沿って東に歩いていきます。
「二見の赤福」が間もなく開店です(午前9時)。
赤福と同じ並びに「御福餅」があります(奥に小さく赤福)。私が暖簾をくぐったのは赤福でも御福餅でもなく。
「旭家 酒素(さかもと)饅頭」。酒まんじゅうですね。まんじゅうの写真を取り忘れました(^^;)。香りのよいとても素朴な美味しさです。こちらも先ほどの2軒と同じ並びにあります。(JR二見浦駅の正面の通り)
二見の建物(屋根)をみると何でも夫婦岩に見えて来ます。
考えすぎでしょうか(笑)。
こちらの消防署(分署)の屋根も、なんて考えていると危うく125社を通り過ぎそうになりました(通り過ぎて100m位引き返しました)。
こちらが「125社」堅田(かただ)神社の入り口になります。
こちらは神社の境界を守る神様です(昔は木を植えていたと思われます)。
【堅田神社】天照大神を伊勢の地にお連れした倭姫命(やまとひめのみこと)に、海からくみ上げた海水で作った御塩をささげた神様が祀られています。3人(?)の神様を縦に並べてみると(並べてすいません)
天照大神(あまてらすおおみかみ) 正宮
倭姫命(やまとひめのみこと) 別宮
佐見都日女命(さみつひめのみこと)摂社
全員女性の神様ですね。
神社の屋根の上に載っている丸太(鰹木)の本数が4本で偶数と、こちらは内宮の摂社であることが分かります。(内宮正宮は10本 外宮正宮は9本)
建て替えられたばかりのお社にお参りするのはたいへんすがすがしいです。鳥居からはヒノキの良い香りがします。伊勢神宮の内宮・外宮と同じように「式年遷宮」が行われ、こちらはお隣の敷地から越して来たばかり。
「お伊勢さん125社」を構成するとともに、何代、何十代もの間に受け継がれてきたその土地の氏神様です。再び右の敷地に引っ越しされるのは20年後となります。
海岸の松林 二見の表参道を波風から守ります。
伊勢神宮に参拝する皇族の休憩・宿泊施設として明治20年に建てられた「賓日館(ひんじつかん)」。見学できます(入館料必要) 今回は先を急ぎます。
「二見の塩」を練り込んだソフトクリーム 休憩しとるやん。
さて、その3では二見のシンボル・夫婦岩とその先の125社を参って鳥羽方面に向かいます。無事にゴールできたのでしょうか?(続きます)
2022年9月17日 自宅にて更新
お伊勢さん125社めぐり~二見の杜(もり)を訪ねて その3 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
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