甲州街道歩きの3・4日目、八王子から小仏峠を越えて神奈川県へ、相模湖を取り巻くように歩いて山梨県(甲斐の国=甲州)に入っていきます。
甲州街道歩きのうち、八王子から大月の間は写真データが残っておらず、アルバムのポジを再撮影(写真自体を📷で撮る事)して紹介します。パソコン画面で比較すると画質が荒いが、スマホ画面でのサイズでは気にならないかもしれません。
2018年6月30日・7月1日 上のアルバムにもギラギラ太陽🌞と菅笠がイラストで描いてあります。2日間で約7万3000歩。
前回の続きなので新横浜からJR横浜線~八王子 中央線で高尾まで2駅。持参した街道のガイドマップには「朝9時20分発 水2本」と書いてある。駅前のコンビニで水を買ったのでしょう。出発地点に近い八王子の最高気温を同じ日(6月30日)で比べてみると(気象庁の過去データで検索)
2017年 最高25.8℃
2018年 最高33.8℃ 歩いた日
2019年 最高23.9℃
全然違うじゃん。
暑いからと言っても普段から手足を出しては歩きません。半袖シャツの下にはサイクリング用のアンダーシャツ、半ズボンの下には足首までのレギンスを履きます。文字が多いな(写真が少ないのです)
「駒木野(こまぎの)宿」には関所があって「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まったようです。もう少し進んでいくと
1945年8月5日。疎開する人達を乗せた列車はトンネルに入る直前に戦闘機の機銃掃射を受け、0才児を含む52人以上が死亡、133人が重軽傷を負いました。「日本最大の列車銃撃事件」だそうです。終戦まであと10日という日の出来事。
総務省|一般戦災死没者の追悼|いのはな慰霊碑、戦災死者供養塔 (soumu.go.jp) 【外部リンク】
銃撃を受けた時、運転士がマニュアル通り?に貴重な機関車を守ろうとして短いトンネルの中に機関車だけを突っ込んで停まり、外の客車が集中攻撃を受けたという話もあります。本当であればむごい事です。
この3日前には三重県亀山市の紀勢線でも列車が銃撃され、40人以上の犠牲者を出しました。こちらはまず機関車を攻撃して列車を止め、戦闘機は数両の客車めがけて容赦なく機銃を浴びせたそうです。翌日の新聞では「被害極めて軽微」。
甲州街道はもう一度慰霊碑の近くを通ります。「笹子トンネル」と聞いてすぐに思い出せる人も。こちらは戦争ではなく事故ですが。
レンガのトンネルを越える、JR東日本の新型車両・E353。潜ったところが「小仏宿」ですが、あまり宿場の雰囲気はなく。
高尾駅発のバスの終点「小仏」を過ぎて、街道最初の難所、小仏峠を越えていきます。
こういう道も街道らしくてよいものです。新宿駅の目の前も街道でしたが。
標高は548メートル。全然涼しくない。しかも、峠を下りるにつれ、時間的な事もあるが暑くなってきた事ー(回想)
写真を拡大してよく見れば、東京スカイツリーがなんとなく写っている。
小仏峠は武蔵の国と相模の国の県境、ちがう国境。奈良時代の高僧「行基」が峠にお寺を建てて小さな仏像をおさめたところから「小仏峠」と名がついたそうな。
新宿のビル=超高層 行基=超高僧 ありがとうございます(拍手)
小仏峠から高尾山山頂を経由して高尾駅に戻るのが定番の周遊コースらしい。
高尾山の年間登頂者数は日本一どころか世界一らしいです。すごい。皆さん行ってらっしゃい。私は甲州街道を相模湖方面に下ります。
「写真データ」では下の特急が見切れていなかった(と思う)が、ポジでは欠けていた。ちょっと悔しい。しかもここから大月までの写真が少ない~。サクサクっと見どころ?を紹介していきます。
甲州街道はゴールの下諏訪まで、鉄道で言うとJR中央線のルートです。この電車は街道を歩いた翌年の2019年に定期運行から外れたのですが、なんとなく可愛くて好きでした。あら、いきなり「脱線」。。いや逆戻り。
相模川沿いの狭い谷に、鉄道や新旧の道路が絡むように通じています。赤い線が旧甲州街道。
「境沢橋」神奈川(相模国)と山梨(甲斐国)の県境(国境)の橋
もうこの辺りで、暑さでフラフラでした。同じ日でも横浜などはそれほど気温が高くなかったみたい。内陸の地形や風の影響かしら。夕方の方が暑かった覚えがある。
上野原宿の脇本陣跡に建つホテルで、早めに休みました。大浴場付き。明日は極力早めに出発し、出来れば午前中に大月にゴールしたい。
こちらがその鶴川。大きな丸い石があるので、大水が出る事もありそう。
この辺りに中央自動車道の「談合坂SA」があるが、隣接して「オリムピックCC」があるのは本当の話。ちょっと笑った。
「今回、1回だけ見えました」と書き記してある。やはり富士山は良い。
「恋塚の一里塚」が残っていた 江戸日本橋から二十一里目(約84キロ)
猿橋/富士の国やまなし観光ネット 山梨県公式観光情報 (yamanashi-kankou.jp)【外部リンク】
歌川広重の「甲陽猿橋之図」にも描かれています。谷が深く橋脚がたてられないため、両岸から張り出した四層のはね木によって橋を支える珍しい構造で、深い渓谷を猿が弓のように連なって橋をつくり渡っていた様子をヒントにしたともいわれています。(リンク先から引用)
2018年6月30日(土)7月1日(日)甲州街道 高尾⇒大月 2日間で約7万3000歩
ハイ、これでもサクサクと紹介できた方です。続きは高校野球三重大会の中継の仕事が終わった8月4日と5日に歩いたのですが、甲府盆地は最強🌞でした。体感温度39℃。
街道最大の難所🏔笹子峠越え 甲州街道歩き(2018)【その5】 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
2023年2月16日(木)更新 朝から血圧が高かった・・・■■