kotarosandayoneの日記

街道歩きを中心に、風景などをアップしています

伊勢本街道~奈良・大阪 その① 長谷寺から仏教伝来の地を歩いて

2023年5月3日(水・祝)憲法記念日

今年のGWはおおむねお天気も良く、行楽の人出も戻ってきて皆様楽しまれているのではないでしょうか。

今回の「奈良の街道歩き」では、西国三十三所第8番札所の長谷寺から大神神社(おおみわじんじゃ)さらには卑弥呼の墓とも伝わる古墳をめぐって、日本の国の起こりと仏教と神道の関係についても考えます(大げさ)

地図が小さくて見づらいですが(指で拡大可)、中央上の卍が奈良のみやこ、下の⛩大神神社その横の長谷寺一番右の⛩伊勢神宮です。

大神神社長谷寺伊勢神宮を結ぶ伊勢本街道はほぼ東西に延び、伊勢の天照大神を目指してまっすぐ東に進む「太陽の道」となっています。

説明が長くなりました。

長谷寺でボタンを見て、草餅を買って三輪そうめんを食べて、ゴールの天理まで歩いて🍜を食べて帰る」というのがこの回の真相です。ww

 

【なら旅ネット・奈良県観光公式サイトの写真】

今年はボタンの開花も早くて、登楼(のぼりろう)両脇のボタンも剪(せん)定が進んでいる、という情報は得ていました。でも見たい!

お寺を拝観してから歩き旅をスタートするため、朝9時前には長谷寺駅に着きました。

近鉄長谷寺駅から山門(仁王門)まで歩いて20分かからないくらい。

山門の脇に「輪廻塔」がありました。石車を回しながらお経や念仏を唱えると、供養になるそうです。ぜひお回しを~。

写真は指で拡大できます (^^)/

登楼の石段のあちらこちらに、ボタンの鉢植えが置かれていました。これはこれで良い、というのも。

大輪のボタンをドアップで見られるのです!

たくさん写真を撮りました!

長谷寺の登楼 石段は約千年前(1039年)の建造

このボタンの大輪を見よ!

せん定を終えた、登楼脇のボタン。コロナ禍の折に思い切って土地改良を施し、今年は往年のボタンの大輪がよみがえったそうです。

和紙の風合い、というのか、ボタンの花びらは独特のものがありますね。

「長谷の舞台」にやってきました。

舞台の上から 新緑がまぶしい 右奥に本坊

国宝の本堂は1650年、徳川家光の寄進(造営)だそう

念仏が唱えられていました。本尊他の撮影は禁止です。

で、直接手で触れられる「おびんずるさん」を見かけたのですが、何でも「自分の体の悪いところと、おびんずるさんの同じところを撫でて、そして自分の体をさわると良くなる(治癒する)という事で、、

 

「・・・・」

飛球を頭でキャッチした宇野勝さん(古い)と、私。

善光寺のおびんずるさんは、一瞬行方が分からなくなったという事でひと騒動でしたが、このブログがメジャーになる頃には長谷寺のおびんずるさんも「拝観禁止」にならないか心配・・

「現在の五重塔宗教と関係なく建てられた観光用である。」(世界最大の電子辞書より)

・・誰が編集したのか知りませんが(^^;)、寺院の本堂は本尊などが安置されているのに対し、五重塔(仏塔)は本来、釈迦の遺骨を納めたり、経典を納めるものです。本堂と対になる存在と言って良いでしょう。確かに観光用にはあった方が良いですが。。。

三重(さんじゅう)の塔があったところ 朝から清掃中でした

五重塔から階段をおりて本坊(道場や書院)に向かう途中にもボタンが植えられていました。傘が直射日光を避けてくれます。

私も傘を差し掛けられる様な存在になりたかったものです。。

2018年1月の写真 寒牡丹の雪囲い(登楼)

【外部リンク】奈良大和路の花の御寺 総本山 長谷寺 (hasedera.or.jp)

長谷寺は伽藍の配置が素晴らしく良く、たとえボタン抜き(ワサビ抜き、みたいな)でも入山料大人500円は安いと思いますよ~(^^)/

長谷寺の門前通り

長谷寺駅からお寺に歩いている途中に見つけたお店で名物の草餅を買いました。

家で完食する前にブログ用に辛うじて撮影

こちらのお店で購入 駅から門前通りに向かう途中

大満足でお寺を後にしましたが、毎回同じパターン、まだ歩き旅のスタート地点にいます。。( ;∀;)

【今日の歩き旅】近鉄長谷寺駅近鉄・JR天理駅 約17キロ

大和川(初瀬川)に沿ってR165号を西に下る

大和川に遊ぶカモたち

「出雲」という地名の交差点にはいりました。あの出雲大社と関係があるようです。探ってみましょう。(^^)

十二柱神社(じゅうにはしらじんじゃ)桜井市出雲

こちらの見どころは神社の狛犬です。よく見てみると

綱を締めたお相撲さんが狛犬を支えています。

出雲大社島根県出雲市

十二柱神社(桜井市出雲)

国造りの神「大国主命(おおくにぬしのみこと)」は出雲の神様で、腰にしめ縄をまいた神職であるお相撲さんが、出雲の国から大和の国へ諸事情でやって来たのかもしれません。

境内にある神話時代の力士・野見宿祢(のみのすくね)の墓

出雲にゆかりのある神社が、伊勢街道(初瀬街道)沿いにある・・国造りの謎はどうやら一筋縄(綱)では解けそうにもありません。

街道沿いに東に行くと、遠く伊勢神宮へ。西に向かうと「仏教伝来の地」を経て、出雲の神様を祀る「大神神社(おおみわじんじゃ)」に向かいます。

ヤマトと伊勢を結ぶ、現在の生活道路

近鉄長谷寺駅の次、大和朝倉駅近くの旧街道

長寿を祝ってご近所に配る、しゃもじを飾る風習がある

賢島行の「しまかぜ」とすれ違いました!

急に土地が開けて来たな、と思ったらそこが「仏教伝来の地」。

「仏教伝来の地」の碑

仏教が日本に入って来たのは紀元6世紀の前半から中ごろで、大阪湾の港「難波津」(現在の住之江区のあたり)から川大和川をさかのぼって、船がここまで入って来たそうです。物流と同時に仏教が「陸揚げ」されたのですね。

仏教と神道の関係は、仏教が主で神道が従だ、いやその逆だ、と解釈も異なるようですが、仏教(の教え)が豪族の勢力争いに使われたのは確かな様です。蘇我氏は仏教を重んじ、物部氏は仏教を認めなかった(廃仏派)であると歴史で習いました。

「伝来の地」はウォーキングコースの休憩場所になっています

「三輪大明神 これより近道 ならこ(?)」

伊勢本街道・初瀬街道(長谷街道)はここで直角に曲がって、まっすぐ北に「山の辺(べ)の道」に入ります。

ここからも見どころが満載で、三輪そうめんを頂くのはもう少し先になります。時計は12時15分。

「山の辺の道」でよく紹介される「金屋(かなや)の石仏」。

案内板は指で拡大して下さい

お釈迦様と弥勒菩薩(未来の国の仏様)がお堂の中でも金色に輝いている様で、見ごたえがありますよ。ちなみにお釈迦様が入滅してから弥勒菩薩が現れるまでに56億7千万年かかるそうです。

山の辺の道は徒歩コースとなります。続いては「聖徳太子のお寺」三輪山平等寺(みわさんびょうどうじ)です。

本尊は十一面観音菩薩で、聖徳太子の開基と伝わり、このあと訪れる大神神社を守護(補佐?)するお寺でした。

五色の線はお釈迦様の「体の部位」を表すそうです

緑=毛髪 黄色=肌(体) 白=歯 赤=血液 紫=袈裟 だそうです。

その都度調べながらまとめていくので、編集は一日仕事になります。歩行時間より長くなることも。。歩いては書いて、大型連休を有効に使うのです!

境内の「熱とり地蔵尊」 PR検査よりこちらを勧めます

旧1万円札の呼称でもあった「聖徳太子」。歴史が解き明かされるにつれ「十七条の憲法」「遣隋使派遣」「法隆寺建立」など数々の功績が疑問視されてきたそうです。「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」は実在していたという事なんですが。

太子本人に聞ければ一番良いのだけども

手水鉢もステキな平等寺を後にしたら、かつて登った山の風景が!

大和三山のひとつ、耳成山(みみなしやま)です。2021年の秋に登りました。平坦な奈良盆地にあって、奇麗な円錐形で古墳に見えるが、浸食された火山の一部だそうです。2021年11月3日 奈良大和三山に登ってきました(その1) 晴れ☀ - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

「山の辺の道」から見た耳成山畝傍山(うねびやま)

長谷寺を後にしてからちょうど3時間。「大和の国一の宮大神神社(おおみわじんじゃ)にやって来ました。

出雲出身の国造りの神様・大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀り、後方の三輪山(みわやま)そのものが御神体。なので神社に拝殿はあっても本殿はありません。

天照大神を祀る伊勢神宮との位置関係は、このようになります(オレンジ色の鳥居

二の鳥居。神社拝殿の脇から入ったので、参道を下って行きます。

「みわさん参って、そうめん食べて帰ろうや」は定番でしょう。(というか何弁?)

グーグルマップで調べていたお店は皆さん並んでいるようです。

もう一カ所、考えていたお店で順番待ちの名前を書きました。

一の鳥居横のお店です

名前を書いてから、おそうめんが出て来るまで約40分。

「とろろと薬味を全部乗せて食べてください。」

乗せました。ではすすりましょう。

( *´艸`)

ええええ。ラーメンのバリカタ麺の様な歯ごたえなのにちゃんと茹であがっている!これは参った。

とろろ蒲焼き これも美味しかった !(^^)!

どうやら当たり(大勝利)だったようです。この辺はどの店も美味しいのかな?

とろろめし山和 - Google マップ

随分ブログが長いので、皆さんもこの辺でお昼の休憩をしてください。

ならまちに続く、「上街道(かみかいどう)」を行きます。ほぼ南北の道を北へ。大変歩きやすい道になっています。JR桜井線も並行しています。

家の間から、先ほど参った三輪山大神神社)の新緑が奇麗です。

玄関と違って、腰をかがめなければいけない勝手口の家がありました。勝手に撮ってごめんなさい。

目の前にあるのは大きな前方後円墳箸墓古墳です。一説には古代の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓と伝えられています。こちらも上街道の道路脇にあるのです。

国交省の空中閲覧サービスより 南北の道が上街道

古墳の周りを一周してみましょう。

手前がまるく、奥が四角の一辺となっています。縦の長さが278メートルもあります。

こちらがお墓の正面です

宮内庁が管理している陵墓(りょうぼ)で、「大市の墓」=第7代天皇の皇女の墓と定められています。3世紀中期から後期の古墳だそうです。

箸墓の名前の由来日本書紀に書かれていて、正直に記すと「皇女の陰部に箸が刺さって亡くなり、葬られた」。痛そう。

時計回りに歩くと池が見えて来ました

箸墓古墳 左奥に三輪山の2ショット

この古墳には最近、いわくがあって、某テレビの人気番組で「池の水を抜こう」として番組告知までしたのに「発掘が目的のおそれがある」として結局実現しませんでした。それはそれとして、

日本書紀にはその存在が記されていない邪馬台国の女王卑弥呼のお墓かどうか??

箸墓古墳の南側は道路と接していて段差が確認できました。調査によると古墳全体で4段、円墳の部分にはさらにもう1段、計5段の土塁となっていて、これは「古墳時代のお墓の中でも最も格式の高い構造では?」と言われているそうです。

纏向(まきむく)遺跡 「邪馬台国近畿説」の最有力候補地という

【外部リンク】箸墓古墳 - 一般社団法人 桜井市観光協会公式ホームページ (jimdo.com)

桜井市のマスコットキャラクターが「ひみこちゃん」なんだから、箸墓古墳卑弥呼の墓」でよいじゃありませんか? ダメ?

私はそう信じたい。ここからは巻向、いや巻きを入れていきます!

上街道より「伊射奈岐(いざなぎ)神社」への参道入り口

「太神宮(伊勢神宮)」「天満宮」と彫られた上街道の石灯籠

戦勝・必勝祈願の神社 大和(オオヤマト)神社

第二艦隊司令長官と戦艦大和艦長の遺影

多数の戦艦大和の模型が神社に奉納されている

戦艦大和箸墓古墳の長さより15m短い、全長263mでした。

今年は稲も早生が豊作と出ました 季節の移り変わりが早いのでしょうか

何100年も車輪(タイヤ)で踏まれているかも?の道しるべ

金魚の養殖池 拡大して分かるかな?

午後5時前に近鉄・JR天理駅にゴール🏁

長谷寺駅天理駅 約17km 32000歩

ボタンの長谷寺⇒出雲伝説の十二柱神社⇒仏教伝来地⇒平等寺大神神社三輪そうめん⇒箸墓神社⇒大和神社天理駅

延長距離は長くなかったが、スタート地点から見どころが多すぎて8時間要しました。最後は疲れて食欲がなく天理🍜は持ち越しとなりました。皆さんもお疲れ様です。

今一度、ボタンの写真で癒されてください (^_^)

2023年5月5日(金・祝)こどもの日🎏 更新 ■■

伊勢本街道~奈良・大阪 その② 暗越(くらがりごえ)奈良街道 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)