kotarosandayoneの日記

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山陽道を歩く⑥ 姫路~相生~三石(約45キロ)2026年9月~その1

【前回はコチラ💁‍♀】山陽道を歩く⑤ 加古川~姫路(約23キロ)+α その2:西の法隆寺 - kotarosandayoneの日記

こたろー、ついに満60歳🎌となりました。9月上旬には家族で南紀勝浦に記念の旅行に行きました。

ホテルがある島の頂上から見た「紀の松島」

部屋に用意してもらった還暦祝いのお花

「人生は旅」。人生も趣味の歩き旅もまだまだ道半ば。これからどんな人と巡り合い、お世話になるかもしれませんが、頑張りたいと思います。

久々に得意の?今回の行程の絵を書いてみました。

前回ゴールした姫路の続きから歩き始めて初日は相生(あいおい)まで。2日目は相生から兵庫と岡山の県境を越えて最初の鉄道の駅・三石まで。

約2か月ぶりに姫路城🏯に再会しました

これは前回の写真で、交差点の向こうに見える三角屋根のアーケードが山陽道(西国街道)の続きになります。

シルバーウイーク中の朝の9時過ぎ。まだお店は開いておりません。実は前日に高校の同級生とゴルフをして、今日は早朝から兵庫県に移動して眠い眠い💤。

姫路宿の本陣🏠跡もあったアーケード街を抜けてしばらくすると姫路城の外堀に差し掛かった(写真は北向き)。

7月10日に「京口門」から姫路城の城下町に入って本日、「備前門」から町を出ていきます。昔も今も「ここからまた旅が始まるなあ」という感じ。

2026年9月22日(祝)姫路☀ 最低19℃/最高30℃

江戸初期に外堀の河川が整備され、姫路城下の水運を担った名残の「船つなぎ石」。

今では民家の庭石に転用されている

城下町の西を歩いて回るための文化財マップが掲示してある。江戸を代表する姫路の文化人「初井家」の家がありました。

旧街道を示すカラー舗装と「サギソウ」をデザインした姫路市のマンホール。

しばらくして道路と民家の敷地の境がギザギザになっている「のこぎり横丁」に差し掛かります。

こたろーの地元の「寺内町」にもみられるけど、街道から町内に侵入してくる不審者がいないか軒先に隠れて見張るためのものではないかと思う。

しばらくすると山を貫通する主要道との交差点に出て、そこには「トンネル貫通石」が置かれている。

市内中心部に近く、朝から交通量は多い

「水尾川」という川を渡るとちょうどこの時期に咲く「ヒガンバナ」をめでる事が出来ました。

川の土手ではなく、川底というのが面白い。秋の彼岸に増水したらどうするのだろう。咲けないのかな?などと思いながら橋を渡ってみたら。

大きなヒガンバナ、ではなくて神社のおまつりなどで木遣(きやり)が振る「采」(ザイ)と呼ばれるまといみたいなものが両岸に等間隔で並んでいる。(「拍手喝采」の采という字を書きます)

秋のおまつりが近づいているらしい。

播磨の国の「五の宮」高岳神社は古墳時代の歴代の天皇や、猿田彦命・住吉大神などを祀るという。遠くから拝んだのみで西に歩みを進めました。

いったん国道2号に合流して、魚の背骨の様に中国地方の中央を東西に結ぶ姫新線(きしんせん)🚋🚋の高架を越えていく。

高架を越えると再び国道と分かれて静かな通りに入ります。

「西国街道」の道案内が所々にある

「圓光大師二十五霊場」「右 第一番みまさか誕生寺道」。圓光大師というのは浄土宗を開宗した法然上人の事で美作国(みまさかのくに)、今の岡山県北部の生まれ。 

©法然上人二十五霊場

【外部リンク】札番で見る - 霊場のご紹介|法然上人二十五霊場

「明和四年  丁亥(1767年)左たつの道」

法然上人の教えに触れるための、今も重要な道しるべなんですね。

その先、2級河川・夢前川(ゆめさきがわ)の手前に常夜灯があるはずだが、と見渡しながら行くと目の前の民家の敷地内にあって「二度見」したほど。

最初からこの場所にあったのかな?

それとも道路を拡幅するのでこの家が引き受けたのか。よく見ると家の敷地内なのか道路の路肩なのか微妙。

川の両岸は地元の人達の散歩道で、桜の時期は大変賑わうという。

こたろーは本日、姫路から相生まで「新幹線ひと駅分🚄」を懸命に歩いているが、それとは別に川沿いを散歩したくなりました🌸。また別の機会に。

橋の欄干にはヒガンバナ、もとい木遣の采(ざい)の行列!!

秋の大祭はよほど大きなおまつりなのだな

川を渡り終えた所。かつては渡し船があったようです。目の前にも立派な道しるべがあって。

正面には先ほどと同じ法然上人の霊場案内。左右の文字を見てみよう。

「左 備前九州金毘羅宮島往来」

「右:因州伯州作州雲州往来」

どうやら重要な分岐点に来たようです。左の備前方面に歩みを進めましょう。

再び国道2号に合流して、この先のコンビニで予定通り小休止する。

日差しがきつくなってきたのでサングラスにかけ替えました

姫路駅から2時間半近く歩いているのに本日の行程の3分の1も来ていない💦

住宅団地の脇を通って、小さな峠を越える。

峠を越えた先にも分岐が(⇔)

地図で見るとこの先で合流するようだが、二度と歩かないかもしれない道の左右のどちらを選ぶか考えてしまう、それが歩き旅の小さな楽しみ。ここは左を行こう。

家の壁に埋め込まれた道標

こちらは庭木の「アフロヘア」を被ったような灯ろう。

常夜灯が先にあって、そこに家を建てたのか。家の敷地に常夜灯が動いていったのか。お宅に聞いてみないとわからないが、これはかなりアクセントが強い。

【明治天皇山田御休憩所】の記念碑と但し書き

「明治18年8月8日に明治天皇が休憩されたところであるから保存するように」(文部省 昭和12年)

明治18年に明治天皇は山陽道(山口・広島・岡山)を行幸し、この後も進むにしたがって「明治18年」の記念碑がたくさん残されています。

山陽新幹線と平行する山陽道(R179)

N700系新幹線の独特の空気を切り裂く音が響きます。あちらは時速250キロ。こちらはいい所、時速5キロ。

「播磨十水の一」桜井乃水 名水の様です

山田峠の次の峠を越えて下ったら、また神社の幟(のぼり)がありました。

きれいに広がって撮れました!

前に見た「高岳神社」の真っ赤な采(ざい)と違ってこちらはピンク色です。

「ポポポポ~ン!!」

【黒岡神社古墳】8世紀、朝鮮・新羅からの軍勢を退けたという征夷大将軍が祀られ、黒岡明神となる。のちに菅原道真も参拝した事から道真も祀られている。

こちらも一の鳥居から拝んだのみです💦

それはもう、🍁秋の大祭ともなれば「ポポポポ~ン!!」と咲き乱れる訳ですな。

かつてはどの集落にもあった「火の見やぐら」🔥

今は新しく作られる事は無いのでしょうね。姫路市を過ぎて揖保郡太子町に入っています。

太子と言えばもちろん「聖徳太子」。今に町名が残る、そんな街を訪ねてみましょう。

2026年10月5日(月)最終更新👟👟

シリーズ山陽道を歩く 2026年5月~ カテゴリーの記事一覧 - kotarosandayoneの日記【一覧はコチラ】

 

山陽道を歩く⑤ 加古川~姫路(約23キロ)+α その2:西の法隆寺

【前回はコチラ💁‍♂】山陽道を歩く⑤ 加古川~姫路(約23キロ)+α その1 - kotarosandayoneの日記

“白鷺城(はくろじょう/しらさぎじょう)”の名を持つ姫路城🏯を攻略して、播磨の国を統一(笑)。

姫路駅方面に戻って、商店街を通り過ぎて続いては“艇王🤴”になるべく「ボートレースチケットショップ姫路🚤」にやって来ました。

姫路にボートレース場にはないのだけれど(兵庫県には尼崎の1カ所)、全国で行われている開催中のレースの場外発売をやっていて最大10場の舟券を購入できる仕組み。

©ボートレースチケットショップ姫路

時間的には「ナイター開催🌙」が対象で、全国の都道府県から選抜された優秀な選手が参加する「ボートレース甲子園⚾🚤」の発売は本日終了していました。

「ボートレース丸亀」の第4レースを買いました

選手の実力的には4番(中野選手)と3番(芝田選手)が抜けているのだけれど、ボートレースをかじった事のあるこたろーとしては「4=3」(1着が4番で2着が3番、あるいはその逆)というのは出目としては買いづらい。しかもオッズは極端に安いときている。

2番人気の芝田から地元丸亀の下田への3-5に500円。一番人気の中野がさばいてインコース有利な秋末へ500円。

3-5、4-1で決まれば今夜の🍚代は出そう、いや帰りの新幹線代🚄まで出そうな感じだ。

 内側から123456(枠番通り)の進入で6艇が一斉にスタート!!

オイ、3号艇と4号艇(真ん中の2艇)が出遅れているぞ!?

グイーンと1マーク(最初のコーナー)を旋回🚤

あっという間に一番人気の4号艇、続いて二番人気の3号艇が抜けだした。言葉は悪いがほかの選手は話にならない。実力通りに決まって連勝単式の「4-3」は650円で一番人気、3連単は4-3-5で1870円。(オイ、4-3のオッズが見て買った時よりも上がっているぞ?)

©レース結果一覧|ボートレースまるがめオフィシャルサイト

結局は1番人気の4号艇・中野選手が伸び返してスタート一気にまくり、まくられた3号艇が立て直して2着、4号艇に連れて行ってもらった地元選手の5号艇が3着でした。

すいません、たいていの人は何の事が分かりませんね💦

素直に1番人気、2番人気の4-3を一点で1000円買ったら6500円になっていました。これがギャンブル。

大いに楽しめました。I LOVE❤HIMEGI。

百貨店ビル「山陽姫路駅」から今夜の宿の加古川へ

今夜の夕食です。

山陽電車・別府(べふ)駅前のホテルで紹介してもらったお店は1人でも入りやすくてしかもお値打ち。

「てごねハンバーグ」680円を頂いて満腹になりました。美味しかったしビールのジョッキも大きかった🍺

ホテルの紹介もしたかったのだけど、シングルで「ほぼ正方形」の大きなベッド、2ドアの冷蔵庫に洗濯機に電子レンジ、部屋によってはIHクッキングヒーターと流しもあって「ウイークリーマンションか?」と思うくらいのお部屋でした。

賃貸アパートみたいでしょ。
しかも徒歩圏内にSCから何でもあって、「もし姫路に単身赴任なら絶対ここに住みたいな」(マンションじゃないけど)。とにかく「優良物件」でした。

壁には工業地帯をイメージしたアート

朝6時20分。部屋の窓から。

SCの奥には高度経済成長期以降の日本を牽引し、社会でも習った「播磨臨海工業地帯」の煙突やクレーン群がよく見える。

2026年7月10日(金)姫路☀ 最低23℃/最高31℃ 昨日とほぼ変わらない。

今日は加古川市内の名高い神社仏閣を歩いて巡り、加古川駅前で「山陽道」に合流し、そのまま姫路まで歩く。全部で約25キロはありそうだ👟

まずは海の神様・住吉大明神をまつる「尾上神社」(おのえじんじゃ)。

伝統的な婚礼の儀🎎で「高砂や~」と謡われる一説に出てくる「尾上の松」の由来で、本殿と拝殿の南側にはとても大きな松の木が手入れされ保存されている。

神功皇后(仁徳天皇の2代前、仲哀天皇の皇后)をしたうように播磨から見て東の都方面に大きく枝を伸ばしたという松の3代目だと書いてある。

3代目の松も東西に延びてそれは見事 一見の価値あり

境内には「7代目」「8代目」の松も祀られている。3代目の様に大きく育つのはいつ頃であろうか。

山陽電車の踏切を渡って続いては、「西の法隆寺」と言われる鶴林寺(かくりんじ)を訪ねます。こちらも期待大です。

案内をそのまま文字に起こしてみるとー

【高句麗(当時の朝鮮の1国)出身の僧から仏の教えを受けるために聖徳太子が播磨を訪れて学問所を立て、のちに建立されたお寺。日本の仏教建築様式を代表する本堂や太子堂は国宝】

仁王門(兵庫県指定文化財):室町時代

仁王門だけでもすごい貫禄。門をくぐると奈良斑鳩・法隆寺の伽藍をほうふつとさせるお堂が並ぶ。

三重塔(兵庫県指定文化財):室町時代

江戸末期の大修理で大半が新材料で補修された事から「県指定文化財」にとどまっているが、軒廻りや鬼瓦など細部にわたって室町時代の建築と思われる。

続いては国宝指定(明治34年指定)の鶴林寺本堂。

本堂【国宝】室町時代・応永4年(1397年)建立

「和様・唐様・天竺様の3つの様式を取り入れた折衷様式としては日本を代表する建築物」という。本尊は薬師如来、日光菩薩、月光菩薩 ほか。

「おせんこう 1本10円」

本堂に坐する「おびんずるさま」にすがると、自分の体の悪い所が治癒されるといわれ、こたろーは首回りを中心に丁寧に丁寧にさすって来ました。この半年間痛みやしびれに悩ませられている首が少しでも良くなりますように。

「小さい手裏剣」を丸く重ねたような飾りがたくさん置いてあって「お寺にゆかりのある、お体の不自由な方が祈りを込めてひとつひとつ折ってくれた」との事。

売り物ではありませんでしたので、お賽銭をお礼代わりにしてありがたく頂いてきました。これで鶴林寺とつながりが出来たかな。

太子堂【国宝】平安時代・天永3年(1112年)建立

兵庫県最古の木造建築物。本尊は釈迦如来で、元は僧の修行道場である法華堂。聖徳太子の像が壁に描かれて以来「太子堂」と呼ばれるようになる。

宝篋印塔と手前に置かれている石風呂。「湯浴みのための浴槽」とだけ書かれているが、成仏した人を洗い清めるためのお風呂ではないかと思われる。

鐘楼【国重文】室町時代・応永14年(1407年)建立

このほか、観音堂・常行堂などのお堂で一大伽藍を構成し、朝早くから多くの人がお掃除にご奉仕する様子はまさに西の法隆寺。

側面から見た本堂

「西の」という注釈は付くが考えてみたら法隆寺と姫路城、日本初の世界文化遺産を2日間で見られたのだから満足至悦。還暦の年の良い記念になりました。

鶴林寺の仁王門から出て、加古川市内のきれいな水路を眺めながら本日の出発から1時間歩いて前回のゴール地点であるJR加古川駅前に戻って来ました。午前8時7分。

本来ならここが「加古川~姫路間を歩く」のスタート地点なのですが、どうやら「前段」にて力が入りすぎたようです。

【外部リンク】山陽街道、中国街道を大阪から下関をめざして歩いています

加古川から姫路まで、ほぼJR山陽本線にそって一直線です。

江戸時代は「加古川宿」としてにぎわったアーケード街から出発。朝の通勤通学時間帯で自転車の学生と多くすれ違いました。うろうろしてたら危ないんですが。

江戸時代の「加古川役所」であった陣屋(旧山際邸)

アーケードが微妙にカーブしているのは旧街道の名残。どんな賑わいだったのでしょう。「下に~下に。」西国大名が通るときはシーンとしていたかも。

橋が拡幅工事中の加古川を渡ります。江戸時代には両岸に舟桟橋がありました。

橋の上から見る 播磨臨海工業地帯

前方の焼肉ダイニングの所から国道2号と分かれて旧山陽道(西国街道)に入っていきます。

しばらくはこのような通りを歩きます

一駅分歩いて、JR宝殿駅前に着きました。

ちょうどこの辺りが加古川市と高砂市の境界で、街道から神社への分かれ道がある。

分かれ道の道標は随分と傾いています。

「・右 宝殿」と何とか読める

生石神社 一の鳥居

山陽道からまっすぐに神社に参拝する道であったようだが、後ろには家が建っていて表参道は随分前にすたれてしまったのだと思われる。

どれも大事な道しるべだと思うが、こちらは土地勘がない上に多くの道標の下半分が埋まってしまっているものが多くて読みづらい。

撤去するのもなんだし(道路改良で動かされる場合も多い)、倒れないように基礎部分から補強するとなるとこのような「保全」となってしまうのも致し方ないか。

この辺りから見慣れた風景が広がって来ます。というのも2024年のちょうど桜の時期に「高御位山(たかみくらやま)」(別名:播磨富士)に登った記憶がよみがえってきたからです。ほんの2年前ですが。

ちょうどこの辺りを歩いています

岩肌を伝う、ものすごい急な斜面だったことを思い出します。

山頂付近から姫路方面

今思い出しても足がすくみます。2年前のことながら「もう一回登れる?」と聞かれたら自信がありません~。

山頂がよく見える所はないかな~と街道沿いを進んでいたら。

高御位山の山頂をしっかりと拝むことが出来ました🤗

岩がむき出しのところが山頂です。あそこでお弁当を広げている人もいました。今思い出してもあな恐ろしや。

「平坦な」街道歩きよりも「高低差」のある山歩きの方が写真が映えますよねえ。ゴールの姫路までもう少しお付き合いください。

左奥から山陽道を歩いてきて

振り返って、また左奥に進んでいきます

旧街道と国道2号がX文字の様に交差している様子が分かりますね。

明治天皇が行幸で休憩したお寺「地蔵院」「安養山」の文字を刻む

明治18年の夏に山口・広島・岡山の三県を巡幸したそうです。

高架橋の下に集められている「阿弥陀往還道」に関する各道標

JR曽根駅を見て進みます。2年前はこの駅に降りて登山に出発しました。

学校の上にある山は「大谷山」だったかな。山の稜線をずっと歩きました。

工場の敷地で街道が途切れた所で姫路市に入ります(回り込めました)

蓮の花が咲く調整池などを見ながら、高御位山を右後ろに振り返っていきます。

一番奥右の「滑り台」みたいな岩の斜面を登って行ったなあ。当時の写真がこれ。

ロープも何も使っていません。靴底の摩擦だけで登りました。

本日のお昼ごはんに選んだのは「洋食堂 食べ亭」。マップによると手造りのオムドライカレーピラフが人気のようです。

歩いていて、こういう地元の店に入ると嬉しいですね。幹線道路沿いではなく本当に街の中といった感じです。

「夏にぴったり カニコロとトマトソースのオムドラ」

空調の効いたレストランで汗を引かせてもらって、お腹も満たしてさあ、姫路🏯まであと一息です。

旧山陽道の上を高架で渡る 山陽新幹線

集落ごとに水を分配する装置の先には江戸時代に起こった洪水の供養塔があるので少し上がった所に見に行きました。

碑に刻まれた文字や案内によればー。

「江戸中期に姫路城下に大規模な洪水が発生して川があふれ、男132人・女205人・無縁(行方不明)71人の合わせて408人と数えられており洪水の凄まじさを物語っている。(碑の両側の)石灯籠は供養碑は7回忌に合わせて建てられた。」

立派な親柱のある「市川橋」を歩いて渡ると姫路の街です。

外堀川を渡る京口橋(北向き)

©姫路城が見える風景写真 / 世界文化遺産 国宝(個人様のサイトより)

山陽道(西国街道)の道筋は「外京口門」から外堀の内側に入り、「内京口門」の手前で中堀沿いに南下して大手前通りを東西に横切る。街道は中堀の内側には入らないルートになっています。

姫路城下の東「外京口門」には兵庫県立高等女学校の記念碑などがありました。

中堀の手前で街道は南に曲がる(写真は北向き)

城下町によくみられる桝形(ジグザク)の道を進んでアーケード街に入りました。姫路宿の中心部でもありました。

アーケードがいったん途切れたところが「大手前通り」で今回の歩き旅はここまで。

前日に「攻略」した姫路城を眺めて、また次回です

山陽道を姫路まで進みました!(26年7月現在)

【山陽道歩きの一覧はコチラから💁‍♀】シリーズ山陽道を歩く 2026年5月~ カテゴリーの記事一覧 - kotarosandayoneの日記

2026年10月1日(木)最終更新🏯🏯

【おまけ】三国堀に写る天守閣(写真を反転)

山陽道を歩く⑤ 加古川~姫路(約23キロ)+α その1:明石焼と姫路城

【前回はコチラ💁‍♂】山陽道を歩く④ 明石~加古川(約20キロ) - kotarosandayoneの日記

山陽道歩きものべ5日目。仕事休みの日取りや体力を考えて「1泊2日」を基本に旅を計画しているが。ここで一考。

① 国宝・姫路城🏯はゆっくりと訪ねたい

②姫路~岡山 間は【1泊2日✖2=4日間】で歩ける見込み。

紫色は鉄道 緑色は歩きのルート

今回は初日に姫路城を観光して、山陽電車🚋で加古川に戻って1泊、2日目は聖徳太子ゆかりのお寺をめぐって山陽道に戻って姫路まで歩いてゴール。訪れるのはすべて初めてでワクワク。

2026年7月9日(木)姫路☀ 最低22℃/最高31℃

【その壱:自分史上一番美味しい食べ物🐙😋】編

今回はゆっくりめのスタート 12時13分JR大阪駅

いつものようにビューンと飛ばして、神戸も明石も通り過ぎて終着駅の姫路駅まで、ではなく手前の加古川駅で下車。

13時10分 JR加古川駅に到着 お天気は☀☀

ここでどうしても果たさなければならない【リベンジ】があるんです🐙🐙

前回、明石に宿泊しながら名物の明石焼🐙(現地では「玉子焼」)を食べるタイミングを逃すー。

調べてみたら山陽道👞👞をリスタートするJR加古川駅前に明石焼🐙の名店(高評価)があると知って、姫路城🏯に負けない位期待してきました。

エスカレーターで駅ロータリー正面のビル2階に上がる。

ビルテナントの一角に店を構える「わかさ」。入口に立つと自動ドアが重そうに開く。

ずいぶん前からあるお店のようで、メニュー表も手作り。「明石焼と🍚」「明石焼と🍜」などのセットがあってお値打ち。

色々なメニューがあって嬉しいが、やはり「ほろ酔いセット」に目が行く。「なんだよ結局いつもの昼呑みじゃん」と言われそうだが【明石焼🐙をビール🍺で頂かない事には申し訳ない】と思うのであります。

お店の雰囲気はこんな感じ。もう午後1時半を回っていてピークを過ぎているのだけれど、「混むのを嫌った常連さん達がおいしそうに明石焼を頬張っている」と都合の良い解釈をしてしまう🐙

ビールのコップがお茶のコップ様なのはご愛嬌。テーブルクロスも昔ながらでいい感じ。明石焼がそろそろ焼ける頃を見計らって先にお出汁が出てくる。

「出汁が熱いので気を付けて下さい」と店のお母さん。「一見さん」と雰囲気でわかるのだろう。

「今日は三重県の津から来て、姫路城に行く前にここに寄る事にしていたんです」と話しかける。「口コミを見ていらっしゃったんですか?」と、いかにもという顔をされる。これは期待できそうだ。

ポンポンに膨らんだまん丸い「玉子焼」が10個並んでいる。

美味しいものって、絶対【見た目おいしそう】だよね。まずは見た目でしょ。

「まずお出汁に漬けて食べてください。本当に熱いので」と念を押してくださる。

めちゃくちゃおいしそうでしょ。

最初からパクッと行かずに、半分かじるように恐る恐る口に入れてみる。

「ウア熱ツッ~!!🤣🤣🤣」

試しにもし、一口で食べたら熱さのあまり、口からポンと飛び出してしまうところだった💦💦 しかしすぐに、

「こんなうまいものが世の中にあったのか?」との思いがじわりとにじむ。嬉しい事にあと9個もある(笑)。

「今まで食べた一番美味しいものは?」もし尋ねられたら松阪牛でも伊勢海老でもアワビでもなくて「イカナゴ(小女子)の刺身」と答えるようにしている。残念ながら伊勢湾の小女子は10年前に海から姿を消してしまった。

写真はイメージ

上の写真は©海の男酒 清酒 磐城壽

人生に置いて、その「小女子の刺身」をまくる位の美味しさに打ち震えております。。

ふたつ、みっつ頂いたところで今度は卓上のタレをかけて頂いてみた。これはこれで良いが、やはり熱々の明石焼をこれまた熱々のお出汁に漬けていただくのが最高かな。気分はまさに、

勝利のタコ踊り~🐙🐙🐙笑笑

加古川で途中下車🚋してホントに良かった。お出汁の味の秘訣は「白だしとカツオ🐟」との事でした。という訳で食べながら既に再訪決定🙌

中はこのように大きなタコがいます

写真をまとめていて、アップを撮影することに気を取られて明石焼1人前(10個)の写真を撮っていないことに後で気づく💦

こんな感じで出てきます セットも同じ

写真はどこからかお借りしてきたものですが明石焼きのおいしさに免じてどうか許してください。

もう一度載せちゃいます ©グーグルマップ

お店の外観をもう一度のせて勝手に宣伝しちゃいます。読者の皆さんも「明石焼を食べるために」加古川駅で下車するのをお勧めします。

🐙🐙🐙🐙🐙🏯🏯

この時間は新快速姫路行きが15分おきにありました🚋🚋🚋

兵庫県では神戸に次ぐ人口の多い街、姫路についてみたら。

🏯真正面に姫路城がお出迎え🏯

聞いていた以上に、これはすごい。

写真は望遠で撮っているので歩くと距離がそこそこあるが、今の姫路駅前付近に姫路城の外堀があって城下町は巨大だったらしい。

外国語通訳アテンダントが常駐する「観光案内所」

©姫路城が見える風景写真 / 世界文化遺産 国宝(個人様のサイトより)

ここが外堀の正面の門付近なので、いかに大きいかがイメージできますね。現在では外堀はほとんど埋められているようです。

大手前通りを北へ進む

西国街道 相生・岡山方面(西向き)現在はアーケード

2026年にオープンしたばかりという専門店

こけしが店内に300体も並んでいるそうです。

駅から700mばかり歩いて、ようやく「中堀」付近に来ました。

現在地を示す案内図がありました

今この辺 ➡城下町復元模型(城内展示)

更に300mくらい歩いてようやく城郭への入り口「大手門」の前に来ました。

これだけ近づいても「難攻不落の要塞」感は一体何なんだ??

桜門橋 桜の季節に訪れてみてください

『桜門橋』は古い史料を基に2007(H19)年に復元されたとの事です。

1938年に完成した「大手門」

ここから城郭に入っていきます。

ここまで歩きながら既に「旧山陽道歩きのついで」ではなくて、姫路城観光の為に1日(半日)空けておいて良かったなあ~」と思う次第でございました。天守閣はまだまだこの先。

「この威容を見よ!」

カメラを引いたら(今立っている場所)ここなんですが。

「三の丸御殿」とありますが、幼少時に豊臣秀頼と結婚し、のちに大坂夏の陣の戦火の中で救われた徳川秀忠の娘・千姫のために、「江戸」を思わせる御殿(武蔵野御殿)が立てられた場所です。

説明が下手ですいません(^^;)

城郭の入り口「菱の門」前で姫路城の入場料を払います。ここまでは無料です。

日本人なので左上のボタンを押しました👉

そしたら日本語のチケットが出てきました(^^)

【その弐:国宝・世界文化遺産の姫路城を攻略せよ】編

詳しい「姫路城の攻略本」は他にいくらでもあるのでそちらを参照してください(弱気)。

【菱の門】姫路城の表玄関にふさわしい格式高い楼門(パンフレットより)

屋根を支える柱に「花菱」があしらわれている

門の外からは天守すら見えない。

門を潜ったら、ちゃんと姿を現せてくれました

さて入り口で頂いた「日本語のパンフレット」によると、まっすぐ天守に進むルートがあるのに対して、向かって左側からぐるっと西の丸を伝うコースがお勧めらしい。

入場料に含まれている「靴入れ」

そう言えば、姫路城の「入城料」は2026年3月から一般が1000円から2500円に、2.5倍に値上げされました。

姫路市民は1000円のまま据え置き。一方18歳未満(小中高生)は一律300円だったのに対し、3月からは何と無料となりました。

高校3年生同志のカップルで行くと、仮に誕生日の過ぎた彼氏(A君)は2500円。一方彼女(Bさん)はまだ17歳なので無料。

戦(ケンカ)が起きないと良いのですが🔥🔥

「菱の門」からいったん後退するように西の丸に上がっていきます。

桜の古木と西の丸 かなり広い

姫路城は城主が入れ替わるごとに立派になり、「天下分け目」の後も西国大名への警戒のために大きな石垣が作られました。

内堀と西の丸からの眺め 西国ににらみを利かす

さてもともと信長や秀吉に仕えながら秀吉の没後に家康に接近して「関ヶ原」以前に軍功を立て、1600年には豊臣氏と入れ替わるように姫路城の城主に収まったのは池田輝政。

別名「白鷺城」と呼ばれ、のちの令和8年に「入城料」を2500円に値上げしても持ちこたえられるほどの白亜の要塞・姫路城を完成させたのが池田家であります。

「のちの天下人について何が悪い。わしの目利きじゃ。毛利家も出し抜いてやったわ、ハハハハ」と輝政が言い放ったかどうかは想像にお任せします。

「百間廊下」と言われる西の丸の櫓と櫓を結ぶ廊下を歩きながら、姫路城の成り立ちから戦国~江戸時代、また明治になると広大な敷地の「三の丸」では旧日本軍の演習が行われた事など、城にまつわる歴史を学ぶことが出来ました。

廊下の途中にいきなり現れる「千姫?」の人形

徳川秀忠の長女・千姫は豊臣家と和睦を結ぶために僅か7歳で豊臣秀頼に嫁ぎますが、大坂の陣で秀頼が自害すると先述したように炎の中から助け出され、「徳川四天王」のひとり・本多忠勝の孫・忠刻に嫁いで10年間、姫路城で過ごしました。

戦国の世に翻弄された女性の一人・千姫の人生の様に長い長い廊下をやっと抜けると再び大天守が姿を現します。

大手門(桜門)から入場して約30分経っているが、天守はまだ先の方。

戦国以前の積み方よりも整然としている石垣

いよいよ天守が近づいてきました。

左から ➡乾小天守 ➡大天守 ➡西小天守

手前の石垣と正面(奥)の石垣では積んだ時代が違うのかな??

「にの門」から入っていきます

「大坂の陣」ならぬ「姫路の陣」があったとして、ここを通過できる足軽たちは軍勢のうち10人にひとりもいないだろうな。それくらいに堅牢です。

大天守を囲む3つの小天守

後で本丸から天守を見上げた写真。外観が五層(5階建て)に見えるのだが、内部の造りは地下1階・地上6階の「7階建て」になっている。膝の屈伸運動をするのはこれから(笑)。

「地上5階」までを通す、東大柱

三の丸広場と大手前通り 正面奥にJR姫路駅

2階の武具掛け

大天守の構造の説明を見る外国人の若いカップル

「西の丸」から大体ずっと一緒でした。

ようやく「5階」にやって来た

各階(重)の屋根に乗っている「しゃちほこ」

ついに、大天守の最上階(6階)に上がりました!

「シロトピア記念公園」と天守閣から北方面の眺望

東方面 学校や医療センターなどがある

先程と同じ 南(姫路駅)方面

西の丸と画面正面に小さく、千姫が化粧をしたという「化粧楼」

白鷺城・誰が呼んだか「白亜の要塞」姫路城は1931年(昭和6年)に初めての国宝指定(昭和26年に再指定)、1945年の姫路空襲でも奇跡的に生き残って(アメリカとの「本土決戦」でも落ちなかったことになる)、時を経て1993年、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

奈良の法隆寺・屋久島・白神山地と並んで日本初の世界遺産登録となります。

こたろー、乾坤一擲のアングルからの写真📷をご覧ください(^^)

「山陽道歩き」はどこへ行ったの?という感じだが、仮に加古川から姫路まで1日歩いて、最後に姫路城を見学していたら全部一周どころか城内でひとり「討ち死に☠」していたと思う。

攻め入った足軽達も足踏みする?「三国堀」

二の丸にある「お菊井戸」について

「1ま~い、2ま~い、3ま~い・・9ま~い。1枚足りない」。

怪談話「播州皿屋敷」のセリフを聞き覚えのある人も多いのでは。時は黒田官兵衛の勧めで羽柴(豊臣)秀吉が初めて姫路城に入城(1580年)する約80年前。

城を乗っ取ろうとする一味の企てを知った女中「お菊」は、城を後にして別れた武士の代わりに乗っ取りの武士から求婚されるがこれを拒んで、武士は腹いせに家宝の10枚の皿うちの1枚がなくなった事の責任をお菊にかぶせて責め上げた挙句、城内の井戸にお菊を放り込んだという。

すごく手短にしたのでこちらを拡大してお読みください💦💦

千姫やお菊の物語だけでなく、姫路城にまつわる話はどれだけでも出て来そうです。

振り返ってそびえる白鷺城(姫路城)の威容は写真などで見るヨーロッパの古城と比較しても何らそん色なく、専門家たちも揃って日本独特の様式美を誇るお城の造りを認め、日本初の世界文化遺産認定へとつながった事でしょう。

ところで、姫路城の入城で頂いたパンフレットは西松屋が協賛してしているのだが、そもそもベビー・子供用品のお店として知られる西松屋ってなんだか名称がイメージに合わないなあと以前から思っていたら。

西松屋 姫路本店(JR姫路駅前 大手前通り)

「着物の西松屋👘」が発祥って、知らなかった。(1956年に赤ちゃん部門👶を設立・現在は別の資本)

🏯🏯🏯🏯🏯🚤🚤

さて続いては、姫路城のおひざ元で「運試し」!果たしてお小遣いは増えるのか?それとも山陽道歩きの旅費を使い込んでしまうのか??

2026年9月19日(土)こたろー、還暦の誕生日の翌日に更新🎂🎂

【次回はコチラ💁‍♀】山陽道を歩く⑤ 加古川~姫路(約23キロ)+α その2 - kotarosandayoneの日記 

山陽道を歩く④ 明石~加古川(約20キロ)

【前回はコチラ💁‍♂】山陽道を歩く③ 兵庫駅~明石(約18キロ)その2 - kotarosandayoneの日記

旧山陽道と明石駅前~港湾通りのちょうど十字路にあるホテルをとりました(6/21)。

今、ここにいます🏨

「お疲れさん🍺」を口にしながらホテル最上階の部屋から明石海峡を臨む。貨物船が2隻通って行きます。向こう岸は淡路島。

しばらくすると大きなフェリーが神戸方面からやってきた。手持ちの📷をズームしてみる。

「阪九フェリー🚢」だ!! 明石海峡大橋を潜ってきた。大阪・泉大津⇔新門司、神戸市・六甲アイランド⇔新門司 の2ルートがあるという。こちらは泉大津便か。

北九州と阪神間を結ぶ船舶🚢のエースだ。やはり明石のホテルの景色は素晴らしかった(やや手の掌返し?)。

角部屋のもう一つの窓から「晩ご飯候補🍶🐟のお店」が見えるが決心がつかないでいる。

ホテルの並びのお店も2千円位の定食でお腹がいっぱいになりそうなお店があった。グループだったら手堅くここにするけどちょっと独りで入店するのは寂しい気がして交差点の横断歩道を渡った。

目の前は明石南部の主要交差点 右にホテルも写っている

お店の前まで来ても少し思案した挙句、暖簾をくぐりました。直前にベビーカー👶を押した家族連れが入って少し安心したというのもある。

想像した通りカウンターとボックスが半々の店だ。注文時に2人以上の時と独りでは気分が違うのはなぜだろうか。緊張するというか。

胡麻豆腐に筋子、タコと野菜の煮つけのお通しを頂きながら、「お造りの盛り合わせ🐟を2千円位(確か)でお願いします」と頼んだ。

お刺身なら毎日でも頂きたいクチだが、盛り合わせには「単品メニュー」のお刺身がほとんど載ってきたので楽しめました。明石の鯛やタコは勿論、鱧(ハモ)の湯引きもありました。

当所限定の芋焼酎(手元のメモにそう残っている)を口にしつつ、カウンターに山盛りになっている魚の唐揚げに見入った。「こちらは何でしょうか?」

「アブラメの新子です」。一瞬アブラメとは?と思ったがそれ以上聞くのもアレなので「1人前お願いします」。

1人前とは思えないボリューム!!」

塩は振ってあるのでレモンで頂く。サックサク。後で調べたら「春から夏にかけての明石の代表的な味覚」とあった。ごちそうさまでした。

おとなしくホテルに戻れば良いものを「あるもの」が見たくて商店街から駅前の通りをふらふらと歩いていく。

時間もよく覚えていないのだけれど、JR明石駅前を過ぎて明石城の堀にやってきました。

このライトアップが見たかったのです

明石城は1619年、徳川2代将軍秀忠の命で築城されたが元々、天守はなかった。400年前の築城当初から残る「辰巳櫓」と「未申櫓」がシンボルとなって一年中、夜の11時までライトアップされる。詳しくは下のリンク先まで。

明石城ライトアップ 年間プログラム | 明石公園【公式】

お酒のつまみだけでは足りなかったのでコンビニでご飯類を買い足し、方向を間違えそうになりながらもホテルに戻りました。部屋の窓からは。

明石海峡大橋🌉がライトアップして待ち構えてくれました!!

いや~、本当に良いホテルに当たりました、笑。

この後、旅の疲れもあって間もなく意識がなくなりましたzzz🛏

 

2026年6月22日(月)明石 予報☁ 最低21℃/最高25℃

©ウエザーニュース

ホテルの窓から。大型船が早朝の明石海峡を通過している。拡大しよう。

「さんふらわあ」です🌞🌞 カッコイイ~!!

これは朝からめっちゃテンション高まるわ\(^o^)/(注:寝起き)。

【公式】関西↔九州 商船三井さんふらわあ

思い出せば高校の修学旅行で大分・別府港から大阪南港まで乗ったな。たしか男子は雑魚寝、女子は個室だったはず。

朝ごはんはマス形の小鉢を取っていただく仕組みで、茹でタコ、タコの塩辛を選びました🐙🐙。

部屋に戻って支度していると、もう一隻大型船が神戸~南港に向かって通り過ぎていく。

「パン スタークルーズ」と読める

韓国籍の開運会社で釜山と大阪を結んでいるという。初めて知りました。いや~ホントに素晴らしい(もういい)。

翌朝は少しゆっくり目のスタートになりました。

明石の要諦にある山陽道標(ホテル前)

「みぎ ひめぢ道 ひだり 大坂道」と彫られているのは裏の車道側でした😅

今日はここをリスタートして明石からJR加古川駅(加古川宿)まで休憩込みで約6時間で歩く。

こんな感じで、旧街道を一直線に歩きます

マップに「第4回目終了地点」とあるのは先人のサイトにリンクしているからで、拡大しても旧道がどこなのかすぐわかるので重宝します。

山陽(中国)街道を歩いて見ました。【外部リンク】

歩き出してすぐ、明石港に立ち寄ります。淡路島と結ぶ定期船があります。

淡路ジェノバライン「子午線ライン」とも呼ばれるとか

淡路島から通学する高校生らが下船し、島に出勤する人たちが乗り込む。会社かな、それとも学校かな?

これが明石の日常なんだなと思いました。三重県の鳥羽でも毎日このような風景に出会います。

明石から西明石へ 旧街道は上り坂になる

大きな五輪塔のある墓地などを見ながら西に歩いていくと、出発から1時間ほどで西明石の街に入っていく。山陽新幹線の駅がある。

駅前へは国道2号から分かれて旧道に入る

新幹線と在来線がつながる西明石駅。以前摂津と播磨の山を2日間で登った時に途中泊で駅前のホテルをとった。朝食バイキングの明石焼も美味しかったな。

・・今回まだ、明石焼きを食べていない🐙

加古川17km 姫路32km 岡山115km

姫路まではもう1日、岡山までは更に4日間歩き続ける計算になる👟👟👟

「回転しない」寿司屋の看板

回転しないんだったら素直に「寿司」ではあかんのか🍣 元は回転していたのだろうか?

山陽道はしばらく国道2号と分かれ、大久保宿に入っていきます。

「東」と書かれた祭りの山車の倉庫

祭りの賑わいの様子と、担ぎ手など参加者募集の張り紙がしてありました。

「左 住吉社二〇道」の道標 〇は「晃」かな?

「これより播磨八〇道」後で調べます💦

JR神戸線大久保駅を過ぎて国道2号に合流して、また分かれていく。

案内によると「コカ・コーラボトラーズジャパン明石工場の敷地内を古代山陽道が通っています」。

工場の敷地で山陽道を分断したのが申し訳ないと思ったのか、古い地図と現在の地図を比較してくれている。

1923年の地形図。鉄道と山陽道の表示以外はほとんど田園となっている。

何だ、ほんの少し街道をかすめただけじゃん。しかし「街道ウォーカー」としては町の移り変わりを知ることが出来て、親切に痛み入りました。ありがとうコカ・コーラボトラーズ🙌

金崎地区の氏神様「金ヶ崎神社」の鳥居を見て歩く(左方向)

こういう道ならいくらでも歩いていられる。近くで並行する国道に合流すれば食事等にも困らないし。

振り返って「大山寺道」との分岐

先程の金ヶ崎神社の方向にまっすぐ向かう道らしい。ここで「待ってました」の自販機を発見。

「ありがとうコカ・コーラボトラーズジャパン」🙌(2回目)

飲むと通常の3倍のスピードで歩ける?「赤いヤツ」をゴクゴクやっていると、管理者のお母さんが出てくるので隣の🚮を見ながら「自販機は良く儲かっているようですね」とヨイショしたつもりだが、

「違うのよ、他から持って来て捨てるのよ」。

返答に困ってしまった。かく言うこたろーも飲み干したペットボトルなどを🚮に捨てさせてもらう代わりに新しいのを必ず買う事にしているのだが、それじゃダメ??

この辺りは農業用のため池が多い

「じゃがいも1袋100円」。お代は缶の中に入れる仕組みだが、1つでも売れたらうれしいだろうな。

明石市立魚住小学校には「西国街道」の大きな案内がありました。

案内にある元・本陣前の井戸 敷石に歴史を感じます

ものすごく「ひねり」の大きな樹木に出会いました🌲

「是より はり満(はりま)名所道」

「この道標は見落とせない」と事前に調べて来ました。横には何と書いてあるかわからない。

「左 別府手まくら松 をのへ(尾上)の松 高砂相生まつ 道」。瀬戸内を臨む白砂清松の名所だったのでしょう。東播磨地区に住んでいる人なら良くわかる地名のはず。

左奥に見えるあれは何の建物だろう。

明石のホテルから3時間以上歩き続けているので、そろそろ休憩でもと思ったら旧街道沿いには似つかわしくない(失礼)イオンがありました。これはありがたい。

よくあるエスカレーター横の自販機と休憩スペースに腰を下ろす。

淡路島牛乳使用のチョコパン 前日コンビニで買いました

年輩のお買い物客に席を譲るようにして立ち上がると「お中元コーナー」のそうめんに目が行く。

「そうめんやっぱり揖保乃糸」。CMでおなじみだったが、恥ずかしながら揖保乃糸素麵が播磨名産だったとは知らなかった。

姫路市の西(たつの市)に揖保川という川があってその流域では昔からそうめんが作られているらしい。

普段スーパーで買う「揖保乃糸」は赤帯(上級)だが、その上に黒帯(特級)があって、更に上の黒帯があるという。

重いそうめんを背負っては歩けないが、兵庫県内を歩いているうちに考えてみよう。そうめんの名産地を歩くのは次々回になりそうだ。

こういう微妙な曲がり具合が街道の特徴なのです

JR神戸線の新快速は最高130キロ🚋🚋(写真は普通電車)

この列車は姫路と相生の中間にある「網干(あぼし)」行きだが、JR西の新快速は赤穂線の播州赤穂から福井県の敦賀まで最長275キロの距離を1路線で結んでいます(途中切り離しを含む)。

曹洞宗のお寺「長松寺」の山門を見ながら、街道筋の瓦版にも目が行く。

牛とお寺の小坊さん 何と書いてあるのだろう

なんと含蓄のある言葉だろう。仕事は追い求めるもので、追われているようではまだ発展途上だという事か。

なんだか歩いているとためになる事ばかり。

そろそろお昼前になって来ました。加古川の手前、東加古川に入っていきます。ラーメン店の所から旧道は右に分かれていく。

「それいけ!ラーメンマン」とマップにあったから派手な中国拳法漫画の絵でもあるのかと思ったら違いました。

「それ行け!」でも良かったが、JR東加古川駅前の別の🍜店に入ることになります。

「冷やし麺」の青いのぼりに誘われてしまいました

あてにしていた訳でもないけど、せっかくだからマップで目の前のお店を調べてみよう。

「らー麺櫻ぐみ」グループ名のような店名だ。「トッピングの唐揚げが大きい🐔」よろしいじゃありませんか~🍜

どうやらこちらが「夏の看板メニュー」のようですな。

このから揚げが、ピリ辛ソースがついて非常に旨かった。店内を見回すと平日のお昼時、若い人・サラリーマン・年配の人が代わる代わる店を出たり入ったりしている。

「らー麵櫻ぐみ」。これは地元の名店に入ったのか。

平麺のもちもち感が独特らしい。

もちもちというか、歯ごたえしっかりの麺でした

天粕や刻みのりをトッピングとして頂く。甘酸っぱさと魚の出汁の効いた「夏の冷やし麺」結構なお味でした。もう一息(ひと駅)頑張れそうだ👟👟

旧山陽道はイオン加古川店の敷地を突っ切って、続く集合団地の中は突っ切れないからイオンの敷地の外を伝って団地の裏側に出ました。

「関係者以外出入り禁止」集合住宅の裏から

黄色い「車両進入防止柵」の延長上が旧山陽道なのでした。

神社の南東の境にある道標などを見ながらに山陽道を北西に歩いていきます。そうすると今回の旅でも見かけた宝篋印塔(ほうきょういんとう)があったのですが。

案内板によると何と「和泉式部の墓」と書いてある!これは今回の歩き旅のラスボスにふさわしい。

蓮などの装飾が「ほぼ完全な形」で残されている。今では普通の生活道の脇に佇む。

国道2号の脇を通ったり、くっついては離れたりを繰り返しながら安全に加古川までの距離を稼ぐことが出来ました。最後にいわれのありそうな傍らの地蔵尊。

「胴切れのお地蔵様」

山陽道を行く西国大名の行列を誤って横切った人が危うく切り捨てられるところだったが気づいてみると自分は無傷で、傍らには胴体が真っ二つになったお地蔵さまが転がっていたという伝説にちなむ。

「真っ二つ」かどうかは、お着物の上からではわかりません

地蔵尊の祠とは水路を挟んでレンガ造りと木造の建物がありました。

「寺家町」交差点で今回の山陽道歩きの旅は加古川にゴール。次回は加古川から姫路間となります。

14時前にJR加古川駅に着きました

大阪方面行きの新快速は本数も出ているのに、昼食後そんなに経っていないという事もあって明石焼き🐙の店を探す事も忘れて帰路についてしまったのでした💦💦

JR神戸線で旧山陽道を戻るように大阪に向かう🚋🚋🚋

余韻に浸る間もない位、新快速は最高時速130キロで明石海峡の横をすり抜けていきます。

昨日、須磨浦山上遊園🚠から見た「海づり公園」。

夕方には津について、本日の歩数は32000歩でした

山陽(中国)街道を歩いて見ました。【外部リンク】の地図より。スタートの大阪から加古川までのべ4日間で歩きました。

次回も1泊2日の旅を予定しているが、(1)国宝で日本初の世界遺産・姫路城🏯をゆっくりと見学したい(2)「西国の法隆寺」と呼ばれる鶴林寺を参拝したい(3)明石焼リベンジを果たしたい🐙🐙🐙

との理由で、加古川~姫路間を2日間でゆっくりと楽しむことにします。

こうご期待。

2026年9月5日(土)初回更新■■ いくぶん涼しくなりました

【次回はコチラ💁‍♀】山陽道を歩く⑤ 加古川~姫路(約23キロ)+α その1 - kotarosandayoneの日記 

山陽道を歩く③ 兵庫駅~明石(約18キロ)その2

【前回はコチラ💁‍♂】山陽道を歩く③ 兵庫駅~明石(約18キロ)その1 - kotarosandayoneの日記

2026年6月21日(日)兵庫駅➡明石 歩き旅の続き👞👞

新長田の鉄人28号像に力をもらって、山陽道は神戸と明石の中間「須磨浦公園」に差し掛かりました。👟👟 

山陽電鉄須磨浦公園駅からロープウエイ🚠が直結。「須磨浦山上遊園」に立ち寄りましょう。長い長い「山陽道歩き」の中でも屈指の景観🔭のはず。

歩いてきた神戸市を空中から振り返ります お天気は最高(^^)/

地図にも乗っていた「海つり公園」 神戸市営の施設

「須磨浦山上遊園」は昭和32年の開業。70年近い歴史があります。

©須磨浦山上遊園

東部展望台からの景色です。西に淡路島と明石海峡大橋。

「実況天気図」を見ても明石の天気は日中曇り。日頃の行いが良かったせいかな😆 ただし風は強くて山上のリフトなどは運行休止でした。

ロープウエイ(往復)+カーレーター(往復)+回転展望閣(入場料)のBコース料金はお得。というか「カーレーター」って聞きなれないけれど?

展望閣に向かって真っすぐのびるコチラがそうらしい

「祝カーレーター60周年」。おめでとうございます。向こうから何かがやってきたぞ。

カゴに2つのイスがついた「乗り物」。

いざ座り込んでスタートすると、「ゴゴゴゴゴ⚡」という音が鳴り出し、

かつて経験した事のないものすごい振動に襲われた!!

【カーレーター】車の「カー」と「エスカレーター」を組み合わせたという。

アトラクションという枠を超えて、まるで自分が「選果場のミカン🍊」になった様な気分を味わえます😆

実は「かの有名なアノ人」も乗車体験をしていて、写真が飾ってありました。

一体タモリさんがどんなコメント📺を残したのか気になる。放送翌日以降すごく賑わったんだろうな~。

お尻にまだ違和感を残したまま「展望閣」に上がる。実は床自体がゆっくり回転していて、何と座ったまま「360度の景色を楽しめる」という仕組み。

開園直後🕙とあってほぼ満席だったが何とか場所をキープして、ドリンクを注文します。

ここは王道の「クリームソーダ🍹」にしようかと思ったけれど、「缶ビール(大)」と値段が変わらないので結局🍺に。

今、ここに居ります(地図上の青い◎)

ロープウェイの山上駅から見るよりも更に明石海峡大橋が正面に見える🙌

風のため本日の観光リフトはお休み

展望閣のごとくお客様も「一回転」したのか空席が出て来ました。またすぐに埋まったけれど。

フロアが回転して再び神戸の景色に

朝一番は「家族連れ」が多かったけど、しばらくして「2人連れ」が多くなる。皆さんまったりとしていました。

こちらは相変わらずリュックが相席の「1人連れ」。まあ「お仲間さん」もいたけど。

再び猛烈な振動を楽しんで(?)、ロープウェイで降りてきました。

手に持ったスマホ📱が飛んでいく位の振動です(笑) 撮影時は気をつけて

写真でも雰囲気は分かるけど動画が見たいという方はコチラ📹をどうぞ。

神戸市須磨区 須磨浦山上遊園ロープウエイ 2026年6月【こたろーのYouTube】

有名観光地も良いけどこういう景色でまったりしたい、という方にはお勧めします。穴場というにはもったいない、今年(2026年)で開園67年目の山上公園です。

【外部リンク】須磨浦山上遊園

須磨浦公園駅近くのお蕎麦屋さんでお昼にした後は西に向いて再び歩き出し、旧摂津の国から播磨の国に入りますす。

「平野部」は道路と線路の敷地のみ

振り返って撮影したら山陽電車の普通「姫路」行きでした。

海の見える丘に建つ「旧グッゲンハイム邸」

明治末期に建てられたと考えられる、外国人のビーチリゾート 兼 交流の場だったようです。現在は様々な催しに使われ、この日はコスプレ👗のイベントが行われていました。

【外部リンク】旧グッゲンハイム邸

「いかなごのくぎ煮」発祥の地 碑 

このあたりは海岸に近い方から国道2号(旧山陽道)、JR神戸線、貨物線 一番上を山陽電車が走っていました。

山陽道 ここから明石の中心部まで6キロ、姫路まで42キロの表示。

海峡大橋の一部が見えてきました!

【明石海峡大橋】神戸市垂水区と淡路島を結ぶ全長3911mの吊り橋。1998年供用開始。建設費用は約5000億円。

中央支間の長さは1991mで、2023年にトルコに架けられた橋に抜かれるまでは世界最長の吊り橋だった。(それでも24m短いだけ)

岸壁一帯は海づり公園になっている。「海峡大橋を歩いてみたい」とやってきたのだが手前に洋館のようなものがあるのに気づいた。

「あちらの建物は何でしょうか?」

今はスマホがあるからその場で調べられるものを、何となく「旅の高揚感」に誘われてすれ違った男性に聞いてみた。「孫文に関する建物らしいです。」

「孫文、て中国の方ですよね。」

日清、日中戦争から現在に至るまで?🇯🇵日本と🇨🇳中国は仲が悪い様なイメージがあるのだけれどどうなのだろう。

孫文の銅像がある八角形の洋館入り口ではなく、別の建物から入って行きました。中でつながっているみたい。

「来館者の4割は中国人です」。記念館と海峡大橋プロムナードのセット券を販売してくれた中国人女性に代わって、日本人男性が答えてくれた。

【孫文】中国の近代革命「辛亥革命」の父と仰がれる。1866年清国生まれ~1925(58歳没)。こたろーのちょうど「100歳年上」か。

幼くして中国(清)からハワイに移住し西洋思想に触れる。香港に戻って医学を学び、マカオで医師として開業した。

中央の女性が孫文の母親 孫文は母親の右後ろ

清仏戦争の頃から政治に関心を抱き、立ち遅れた祖国の体制を打破しようと広州にてクーデターを起こすが失敗し、海外に亡命して以降、日本を足場に活動した。

「これからの日本は西洋の手先になるのか、アジアの守り手になるのか、皆さんはよく考えてください」(神戸市での講演より)

孫文のサポーターには渋沢栄一や南方熊楠の名も

孫文は神戸での「大アジア主義講演」の翌年、1925年に亡くなった。孫文の業績についてこれ以上語れるものではないが、狭い出入口の靴箱で中国人女性の観光客らと譲り合い、心なしか暖かい気持ちになったのでした。

今では明石海峡大橋に居並ぶように立っているが、もともとは大正時代に建てられた中国人実業家の別荘で、1984年に孫文記念館として開設された時はまだ、明石海峡大橋はなかったはず。

「海峡大橋ぬき」の建物を撮ってみました 壮観です

【外部リンク】孫文記念館公式サイト | 日本、兵庫県神戸市垂水区東舞子町4−2051

孫文記念館の半券を握りしめて今度は明石海峡大橋の回遊歩道「舞子海上プロムナード」に行くために海峡大橋を潜る。山陽道歩き旅と称しているがこの日は特に「観光旅行」の要素が強い。

明石海峡大橋を歩いて潜るのも もちろん初めて

エレベーターで「最上階」まであがってプロムナードに進むとグレーヂング溝の歩道に気づいたのだが、海峡大橋は歩行者や自転車では渡れず、年に何回かある体験イベントのみ淡路島まで歩けて、中には主塔上部にまで上がれるツアーもあるという。

舞子公園と孫文記念館を見下ろします

海面は約50メートル下

「ズズン、ズズズン」。大型トレーラーなどが橋の継ぎ目を渡る度に低い音が響き、橋自体が揺れる。慣れるまでは少し怖かった。

みんな記念にこんな写真をスマホで撮っていました

プロムナードの休憩エリアには展望喫茶スペースや明石で有名な🐙のぬいぐるみをつかむ、UFOキャッチャーならぬ「たこキャッチャー」?があったりした。

雄大な景色をみるとつい一杯やりたくなります🤗

特等席です👑

夏の日差しを受けて歩いていると「水分」はどんどん汗となって流れていく(自分への言い訳💦)。

橋の下をちょうど小さい漁船が通り過ぎました

もともと「吊り橋」の造形やその構造が好きで奈良県十津川村の「谷瀬の吊り橋」などはお手の物だが、明石海峡大橋はやはりモノが違うな。3年前まで世界一🥇

橋の重量をささえる主ケーブルの断面を展示

よく見ると細い鋼鉄のワイヤーが束になって、束になって いったい何本まとまっているのやら?

「海峡大橋ビュー」の複合型マンション JR舞子駅前

「明石海峡と反対側の部屋」は安いのかなあ。さてゴールの明石まで歩き旅を再開します。

「昭和二年竣功」の橋 川は現在埋め立てられている

クラシックな橋と長い編成のJR新快速

天候は晴れから曇り 寄せる明石海峡の波

国道2号から旧道が分かれるといよいよ明石の街に入ります(写真は振り返ったところ)。

旧街道の趣 さっきまでの往来の喧騒🚙🚗はどこへやら

やっと「山陽道歩き」らしくなってきました。

これは珍しい?「兵庫さん」の表札

アップで掲載しているので何卒お許しを。

旧道の道幅は広く、昔の賑わいを想像します

「明石宿」本陣・脇本陣の説明と見取り図

本陣跡は現在、集合住宅と駐車場になっていました。

「右 加古川道」などの道標を見て歩いていたら、大事なことに気づいた。「明石は日本標準時🕛の子午線(東経135度)が通っている」事に。

今の「日本標準時」が使われ始めたのは明治21年。案内によると「当時の明石の人達はそれがどんなに凄い事かピンとこなかったが、学校の先生達が自分たちの給料をはたいて(死語・・子午線だけに)、この碑を建設したという。

今日の山陽道歩き👞は鉄人28号🤖から始まってシーワールド🐬、山上遊園🗻、海峡大橋🌉と本当に見どころが多かったです。

日本標準時🕛の記念碑はこのように、街道沿いに佇んでいる

考えてみたら、東西の山陽道☀️と南北の子午線🐭🐴が交わっているポイントなのだからもっとアピールしなきゃ📣📣

JR・山陽 明石駅の駅前通り

ホテル前に着いたのだけど、今日は歩きの移動距離としてはさほどでもないので(休憩が多かった)、先に駅前をぶらり見て歩く事に。

明石には「魚の棚(うおのたな)」というアーケード街があるというので寄ってみました。泊まるホテルからもすぐ近く。

【魚の棚商店街】明石城の築城と共に城下町の町割りで造られた魚市場通りで約400年の歴史がある。全長350mのアーケードには110軒のお店が並び、明石や瀬戸内海の海産物・練り製品などを扱う(公式HPより)。

訪れたのが日曜日の夕方4時半頃だったが、観光客の姿もありました。

明石と聞けば名物の「明石焼🐙」。見た目はたこ焼きに似ていますが中は卵汁がたっぷりで熱々を頂くのが通。看板の様に地元では「玉子焼」と呼ばれています。

タコ(明石焼)とハイボールで「タコハイ」か。うまく考えたな。自分にはちょっとカジュアルすぎるかな~。ソロ旅というのもあるし。

「魚の棚」の西側入口 商店街は2005年にアーケードなどをリニューアル

夢に出できそうな、おどろおどろしい3D立体アート。デッキブラシを持っているのできれい好きの様です。

結局どの店にも寄らずに15分くらい散策して、今日泊まるホテルに戻ってきました。

©レミントンホテル/楽天トラベル

「デラックスダブル・明石海峡大橋ビュー」で期待大🙌。

お部屋は最上階右上の904号室

しっかりコンビニの袋を下げていますが(笑)。

いざ入室・・・う~ん、想像していたよりも広くはない。

部屋からの「明石海峡大橋ビュー」🚢🌉

先ほどの様な海峡大橋真ん前の景観とは比較にならないが、やや期待が大きかった感も否めず。

無事の報告がてら、写真を家族に送って「津駅前のホテル」の景色の方が良いかもよ~と振ってみたら。

こちらが地元津のホテル 広角レンズは私使っていません(笑)

「明石の風景の方がうんと素敵ですよ✴」と返って来ました。海峡大橋は夜にはライトアップするらしい。

©レミントンホテル/楽天トラベル

先に部屋のロケーションが気になっていたので、やっと腰を下ろします。今日は手元の計測で約31500歩。

2026年6月21日の歩程 神戸市兵庫区~明石市(直線18㎞)

「一年で一番お昼の時間が長い日🌞」の歩き旅を終えました。夏至の日に子午線🐭🐴を跨げるとは素晴らしい!

さてと今から大事な大事な夕食の時間です。ビール🍺と明石焼🐙だけではアレなので都合2軒回る事になるのかな?

ホテルの周りにもお店は一杯。どうでる?こたろー。

🏨の景色に注文をつけたり、店を選り好みしすぎるとタコ大魔神🐙の罰が当たるかも~?

明石の夜はまだまだ続きます。「明石で夜明かし🌙」なんちゃって。

2026年9月2日初回更新🐙🐙

【次回はコチラ💁‍♀】山陽道を歩く④ 明石~加古川(約20キロ) - kotarosandayoneの日記

山陽道を歩く③ 兵庫駅~明石(約18キロ)その1

【山陽道を歩く①②③ 📂まとめは⤴️こちらへ】

大阪・高麗橋を山陽道歩きのスタートとし、1泊2日の日程で神戸市の兵庫駅まで歩きました。(’26 5/29~5/30)

「山陽道完歩」の旅は始まったばかり

続いては、2026年6月21日(日)兵庫駅➡明石、翌22日(月)明石➡加古川の行程を紹介します。

まずは兵庫駅➡明石の区間18キロ。

山陽街道、中国街道を大阪から下関をめざして歩いています【外部リンク】より

2つ上の山陽道(中国道)全図も先人のサイトから転載させて頂いております。

まずは「兵庫県」の名の由来となった【みなとまち】兵庫の歴史からごく簡単に。

江戸時代末期の「兵庫津」 ©神戸市立博物館 蔵

・古くは平清盛が港湾を整備し、中国との交易で栄えた(日宋貿易)。

・中世~近代まで「兵庫津」が政治・経済の中心であり、現在の神戸市兵庫区に初代の県庁舎が置かれた事から「兵庫県」という名がついた。(現在の県庁所在地は神戸市中央区)

朝8時半から山陽本線(JR神戸線)に沿って歩き始める

兵庫駅から西の「山陽道」はもう少し海から遠い所(上の赤い太線)を通っているのだが、「見たいもの」も色々あるのでルートを少し外れています。

「こたろー」の街道歩きの標準装備(👒🌞夏仕様)もここでご紹介。

帽子は2種類(キャップにサファリハット)、膝サポーター、トレッキングポール、傘、指なし手袋、首に掛けるライト、万歩計、タオル、日焼け止め、冷シップ など

傘は日よけにもなるのでお天気🌞☔☁に関わらず携行、あと体重のかかりやすい足の指の付け根にクッションを敷いています👟👟

震災以降、補修の行われた鉄道の高架

神戸市長田区に入ってきています。1995年の阪神・淡路大震災では最も多くの火災被害があった所。

イルカに乗ったご婦人 タイトルは「希望」

JR新長田駅前の商業・住宅複合ビル

2026年で震災から31年。「1.17」の未明、三重県津市の家で寝ていたこたろーは、布団の下から突き上げられるような揺れで飛び起きました。「震源がもし東京だったらひょっとして首都圏は○滅しているかもー。」

震源は関西。兵庫県でした。

©阪神・淡路大震災「1.17の記録」より 兵庫県新長田駅

©産経新聞「写真でたどる30年」

©毎日新聞

【外部リンク】阪神大震災 最後の復興事業終了へ 新長田駅南地区・再開発 | 毎日新聞

JR神戸線・新長田駅の南側は木造住宅や街工場が密集していた事から震災で大規模な火災が発生。神戸市長田区では921人が亡くなって4759棟が全焼しました。

駅前の複合ビルを南側から回り込んだ所、大きなモニュメントの「足」が見えてきた。

【ここで問題】一体何の足でしょう?

(A)マジンガーZ (B)がんばれロボコン (C)どちらでもない

答え・・(C)どちらでもない

【鉄人28号】神戸出身の漫画家・横山光輝による漫画で特撮ドラマやアニメにもなった。旧日本軍がアメリカに勝つための最終兵器として開発していた「鉄人21号~鉄人27号」が戦後10年以上たってある事件を引き起こし、さらに「28号」が目覚めて市街地で破壊の限りを尽くすー。

2009年に「震災復興と地域のシンボル」として作られた「鉄人28号」は直立時の設定約18メートル。(ちなみに機動戦士ガンダムのガンダムの身長と同じだ)

神戸市長田区:鉄人28号モニュメント【外部リンク】

「28号」の設定は色々あって、後発のアニメでは少年の操作するリモコンで28号が悪と戦う。

こたろーが生まれる直前に原作の漫画が終了したので(1966年)、もちろん28号の事は詳しく知りません。しかし「ロボットは操る人々の考え次第で殺戮兵器にも平和利用にもなる」というメッセージが含まれていた事でしょう。

【外部リンク】実物大・鉄人28号モニュメント【神戸新長田駅】 – トラベリングナビ

「鉄人テラス」から。窓枠を入れるとリアル感が増します!写真って不思議。

28号モニュメントのある公園から西に歩いていきます。

「立ち呑み歓迎」お酒の自動販売機

朝からお酒を飲んだら28号のごとく暴れ出すといけないので止めておきます。

朝から良いお天気。「鷹取商店街」と名の付く割にはキレイな建物が並ぶ。どれも「築30年以上」は経っていないでしょう。

新長田駅方面を振り返りながら「大国公園」に向かって歩く

焦げて電気の付かない公園の照明灯。震災遺構としてそのままの形で残されています。

照明灯の周りにも花壇が作られています。この日の朝は町内の人が公園清掃に精を出していました。ちょうど一息ついた所かな。皆さん東屋の下で休憩されていました。

大国公園の木は火災を受け止め、現在も木には焦げた跡が一部残っているそうです。普段は地域の憩いの場として、またある時は避難所として。公園はその役割を果たしていきます。

長田区から神戸市須磨区へ入ります。手持ちの地図では「須磨海浜水族園」というのがあって、覗けるものならと旧・山陽道よりも海側の国道2号を歩いていました。すると

「須磨海浜水族園」は「神戸須磨シーワールド」という複合施設に生まれ変わっていました。2024年にオープンしたばかり。

中心施設のひとつ「オルカスタジアム」

よく見るとお魚の形をしている シーワールドホテル

パッと見、ホテルには見えませんね🐬。水族館のオープン時間が近いのか、専用のホテルからお客さんがエントランスに降りてきている。ホテル代はともかく(笑)、入場料は幾ら位するのかな。料金によってはー。

大人1DAYチケット3100円。これはパスだわ。「ついで」ではなく最初からここを目指して来ないと。

オルカ(シャチ)のモニュメントで我慢しました🐬

海洋の最強の生き物、と言えばシャチですね。いやサメか。もしホオジロザメと対戦したらどちらが勝つのだろう。「オルカは居るか(おるか)?」関西のギャグですね。

ドルフィンスタジアム 外観のつくりは競技場そのもの

マンションの最上階からはイルカショーがタダで見えへんかな。

シーワールドを過ぎた所から須磨浦海岸に行けそうです。その手前に「須磨コレクション」という展示があって、砂浜海岸に目をやりつつ、先に中に入りました。

この地に「須磨水族館」がオープンしたのは1957年(昭和32年)。その後、昭和末期の1987年に「須磨海浜水族園」にリニューアルしました。(ともに神戸市営の施設)

小さいスペースですが鑑賞無料の水槽がありました。

ハイギョなど珍しい魚も見られて得した気分。

また震災の話になってしまうのですが、水族園の水槽も大破して「当時展示されていた生き物の約半分が犠牲になった」というプレートが埋め込まれていました。

また外に出ました。日差しがまぶしい。

神戸の魅力は人であるー。「BE KOBE」にはそんなメッセージが込められているのだそうです。

 

目の前には淡路島。左のずっと奥まで島。

 

本州など日本の主要4島や北方領土を入れても国内11番目の面積がある淡路島。兵庫県全体と比べても結構大きいですね。

視線を左にとると 大阪府の泉南~阪南地域が見える。

この位置のままで少し、レンズの角度を変えてみましょう。

同じ場所でも印象が変わりますね。先ほどの淡路島方面の景色はどうかな。

こんな感じになります。もう一度最初の写真と比べると、

こんな感じです

また、一旦フレームに収めた写真でもトリミングをする事によって「より訴えたいもの」を印象付けることが出来ます。スマホ写真でも同じです。

丁度沖をジャンボフェリーが通ったので手前の漁船と対比してみました。

少し上をカットしてみました このあたりは好き好きです

8月15日の高校の同窓会でも同じテーブルの人に「写真が上手いね」と言われたのに恥ずかしくて即時にお礼が言えませんでした。U君ごめんなさい。

もっと頑張ります📷。

砂浜を西に少し歩くと、「元・兵庫津🚢」の先(和田岬)にあった六角形の灯台がここ須磨浦に移されて展示してありました。

和田岬灯台の「2代目」だが、明治17年の建造と歴史は古い

今の建造物は橋脚でもトンネルでも住まいでも「無駄を排除した」シンプルなものが多いが、昔のものはちょっとしたデザインの工夫が随所にあって、ロマンを感じさせてくれます。

「現存する日本最古の鉄骨製の灯台」。ここに来ないと見られないものがありました。

格好良すぎますね ガス灯は昭和38年まで点灯していました

令和の建造物「オルカスタジアム」と「旧和田岬灯台」は約500mしか距離が離れていません。

中央のピンク色が山陽電鉄「山陽須磨駅」

国道沿いの「長屋の一角」の様な駅舎。限られた土地だからこうなったが、こういう佇まいも結構好き。

山が瀬戸内海に向かって突き出す、一番狭い場所にやってきました。

一の谷古戦場の跡の碑「戦の浜」

源平合戦の主戦場というと、「一の谷の戦い」「屋島の戦い」「壇ノ浦の戦い」というのを覚えているが、「一の谷」というからもっと山の中のイメージがありました。

車や電車のいない瞬間を撮った「須磨浦の古戦場」跡

取り出したメモによると「落下した地球儀」とあるが、目の前の地球儀は落下していない。

オーストラリアが下に、日本列島が上。ちゃんと台に載っているじゃん。

「ハハーン(※死語)、【海浜水族園】が【シーワールド】に変わったのと同じで、落ちた地球儀が元に戻されたんだな。これは」

全然違いました。

すいません。やっぱり落ちていました💦「落ちていない」のは、対になったもう片方のモニュメントでした。

「落ちた地球儀」はその証拠に南北がひっくり返って、30年の長い間に下が一部土に埋まっている。

せめて写真を回転📷させて「元通り」(北半球を上)にしてみました

大地震は早朝だったとは言え、解説にあるように重さ2.4トンの石が人の上などに落下しなくて良かった。

兵庫駅から歩き始めてちょうど2時間。今日は6月21日。ちょうど夏至の日🌞。

国道沿いから、少し丘の上にある駅に向かいます しんどい💦

【山陽電鉄 須磨浦公園駅】六甲山地の西端「須磨アルプス」の南の玄関口でロープウエイと直結している観光利用が主体の駅。

駅のエントランス 昭和っぽいでしょ

山陽・須磨浦公園駅からは登山コースもあって「ロープウエイ🚠」を使わずにここから歩いて登るハイカーもいるが、逆にここまで歩いてきてロープウエイに乗る人はこたろー(自分)くらいのものだろう(笑)。

さあ、ロープウエイに乗って出発!

「山陽道歩き」随一の絶景🙌となるはずだが、

続きは次回(笑)。

ビックリ!その名も「カーレーター」

下をくぐるだけでなく、中も通りました👟👟

明石名物と言えばやはりコレ🐙🍺

2026年8月17日(🌙)初回更新■■

【次回はコチラ💁‍♀】山陽道を歩く③ 兵庫駅~明石(約18キロ)その2 - kotarosandayoneの日記

「海の日⛵」に京都の山🌳に登る 2026年7月(その2)

京都・滋賀県境の音羽山(おとわやま・593m)に登っています。川沿いに歩いてここから山道に差し掛かろうという所(ピンクの➡の地点)

【前回はコチラ💁‍♂】「海の日⛵」に京都の山🌳に登る 2026年7月(その1) - kotarosandayoneの日記

音羽観音の参道 急な土の階段に汗が吹き出します💦

ふらつきながら登って、迂回するコンクリート道と合流。こちらもゲートがあって歩いてしか登れないのだが。

赤鬼・青鬼が待ち受ける「鬼門」

やはり迂回したら良かったと激しく後悔しました。こっちの方が随分傾斜が緩かった。

枕木材を組み合わせたような参道を進む

お寺の境内(山)を守る“神様”

お寺のいわれをみてビックリ。

【牛尾山法巖寺】山岳信仰のお寺で神話時代に山の上に社が作られたのがはじまり。音羽山清水寺の「奥の院」として親しまれている。

「音羽山 清水寺」って、あの清水寺??

音羽山 清水寺【外部リンク】

弘法大師をはじめとする高僧から山岳信仰のお寺としての「お墨付き」を与えられたという。ここからの山道は一種の修行という事なのか。

蒸し暑いのもあるが、どうして朝早くから疲れているのだろう。昨夜の記憶を戻してみると。

京都山科・ホテルの部屋 午前4時30分🌙

ワールドカップサッカー決勝を夜中にやっているのがいけないんだよ~⚽😂

うつらうつらで全部見ていたわけではないんだけど、夜10時半まで出歩いていて🍸、やはり睡眠不足😤 大丈夫なのか??

朝7時22分、お寺の境内の横から山道がスタート。こんな早くから歩いている人はいない。

15分位 急な坂を登って、平坦な場所で息を整える

混合林の中を更に急な坂道が続く。

2つ目の分岐に着く。南からトレースしてきた「東海自然歩道」と合流したようだ。

地図とコンパスを確かめながら辺りを確かめたら「牛尾山」という山頂札が木に巻かれていました。ここは551mとあるから音羽山(593m)までは標高差40mの登りだ。

ここから先、県境の尾根道は軽く登ったり下ったり

登山道の脇 見えないところに良い休憩スペースを発見

「ドドドドドドドドド~💦」

滝の音ではありません。水が喉を伝う音です。体を冷やすにも水が要る。アセトアルデヒド(🍺🍷の派生物)を分解するのにも更に水が要る。

500mlの水やお茶、スポーツドリンクを全部で3本背負ってきたけど、すでに2本目のペットボトルも半分空になっている。

地図の標高線通りに、緩やかに登ったり下ったりをしているとやがて音羽山(593m)の頂上に着きました。写真のデータで午前8時17分。

日帰り登山?では「自分史上最も早い」山頂到着時間となりました。

三等三角点▲のある音羽山山頂

早朝からこたろーを苦しめている?上空の湿った雲のせいで展望はすっきりとはいかないが、北方向・琵琶湖の西側がうっすらと見える。

ロープウェイ(索道)の様に送電線が山頂をまたいでいる

山頂の真下(かなり下)には🚄トンネル(音羽山トンネル)が潜っている。

山頂の西側、山科~京都盆地の眺めはガイドブックで想像していたよりも手前の木々が成長🌳してあまり広くは望めない。

それでも京都タワー(写真中央)はしっかりと確認できました\(^o^)/

15分くらい腰を落ち着けてパンなどを食べて、さあ進もうとした時にスマホの「キンコン🎶」という音。

「マヤ誕生日おめでとうございます!」会社の同僚からだ。

“マヤ占い”によると生年月日によってナンバー(自分はKIN223)が与えられ、今日はKIN223の日、という事で「マヤ誕生日」。

どうやら「力を発揮できる日💪」となるらしい。

降り際にもう一度、びわ湖方面を眺める

「力を発揮」した上に、途中で力を使い果たさないと良いのだが。さあ降りようとして山頂直下の広場ですごいものを発見した。

愛好家の2人と出会ったのだが、こちらは軽量のリュックでフウフウ言って上がってきたのに、彼らは「マウンテンバイク🚴」で登ってきたのだった。

岩でもパンクしない専用タイヤ。前も後ろもディスクブレーキ。ギア比は1.0以下が可能。サドル下にはバッテリーがあって今は「電動アシスト付き」が主流だという事だ。

彼らが残した「タイヤの跡」🚵

自転車を先に見ていなければ「大きな動物か⁉️」としり込みしてしまうところだ。

実は、上りの途中で「ヨッコラショ」と段を踏み上がった時に自転車を押して上がってきた人と「至近距離でお見合い」した瞬間、下手な野生動物達🐍🐗よりも(違う意味で)びっくりしたのだった。

「東海自然歩道」が自転車道だとは知りませんでした🚵

マップアプリ🗺📲も起動して、このあたりで「音羽山頂よりも景色が良いかも」というコメント✍があったので、道の左側が切れ落ちて不安だったが進んでみた。

いかがでしょうか?この景色

手前に山科、奥に伏見から洛南。確かにコメントどおりでした\(^o^)/ せっかくなので立ち寄って良かった。

送電線の真下なんですけどねww

青い➡が東海道新幹線 赤い➡が京都タワー

時間は午前9時ちょうど。歩き出してからちょうど3時間だ。何とかして登ってきた山はどうにかしても下りなければいけない。「力を発揮する」のはこれから。

下りに撮った写真は「振り返り」の1枚のみ

つたない登山経験からいわせてもらうと、山は上りよりも下りの方が「危なくて、迷いやすくて、実はバテて居るのに気づきにくい(休憩も怠りがち)」。なので山の上では食料も水もスタミナも半分以上残しておく必要がある。

鉄塔下の眺めの良かったところから1時間下って「逢坂の関」が見えてきました。良かった。ここで3本目の水が空になりました💦

滋賀県大津市・浜大津方面

京都・山科方面 右奥の分かれ道が旧東海道

交通量はものすごく多い。たまに汗をかきかき自転車が上がってくる。

旧東海道にはうなぎの有名店があって、お昼前から順番に名前を書いて車で待っている人多数(暑いからね)。

「うなぎニョロニョロ 飛び出し注意」

お店前の自動販売機で買ったコーラを一気飲み(笑)して、最終目的地の蝉丸神社に向かいました。

コーラがなければ登れなかった急な石段

「ウナギ待ち」の間に参拝していた人もいました。

【蝉丸神社】「芸道の神様」と「街道を守る神様」が鎮座している。

©全日本かるた協会

「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」(蝉丸・百人一首第十首)

「これがあの、京から出て行く人帰る人、知り合いや知らない人とも(一旦)ここで別れてはまた出会うと言う有名な逢坂の関なのだなあ。」

【蝉丸】出没年や出自は不明も第54代・仁明天皇(平安前期)の嫡子という説あり。盲で琵琶の名手、琵琶法師の職祖とされる。ここ逢坂の関に庵を結んで暮らしたという説もある。®Wikipedia辞書より

結局は精も魂も尽き果て(?)逢坂の関にたたずむ京阪電車「大谷駅」に到着しました。午前10時26分。京都や大津市街よりまだ多少は涼しいのかも。

線路幅は新幹線と同じだが、ホームが狭い

「音羽山 行きも帰りも 京津線 車輪きしませ 逢坂を行く」(こたろー)

来た電車に乗ってどっかりと腰を下ろしたいところだが「人間ここまで汗をかくのか」と思うくらい、長ズボンもぐっしょりで、座ることが出来ませんでした💦

京津線 上栄町駅~浜大津駅

という訳で立ったまま乗車。京津線を初めて見た人は突然側道から現れる4両編成の「市内電車」にびっくりするかもしれない。

「後方展望」を楽しんでいたが、電車よりも横を走る車の方が「やや」速度が速かった感じだ。

浜大津駅に入る京津線 一番前の車両が見える90度カーブ

石山坂本線に乗り換え、石山駅からJRで帰りました

JR草津線からみる三上山(近江富士)

草津線でも、お尻の下に登山で休憩するマットを敷いて、背中もくっつけずに終着まで乗り通しました。マットがこんな風に重宝するとは。

海の日の山登りは「半日で全身の水分が半分入れ替わったような」ヘロヘロ登山になりました。

熱中症予防というと気温や🌞直射が重要視されますが、体のコンディションづくり(栄養や睡眠など)が大切なんだなと身をもって体験しました。参考にすべきところはしてください(苦笑)。

2026年8月14日(金)初回更新■■

明日15日は戦後81年目の終戦記念日です。高校の同級生との「還暦祝いの集まり」が母校のある津市内で盛大に催されます(同級生約45人参加)。

高校時代に戻ってマイケル・ジャクソンを聴きながら日記を仕上げました(^^♪

【スリラー】マイケル・ジャクソン6作目のスタジオアルバムで1982年12月リリース。「全世界で一番売れたアルバムと」してギネスにも載っているという。

良い時代でした。