日本一のびわ湖を歩いて一周・その3です。その前に「項目別・都道府県別偏差値」のような個人様のサイトを見つけました。これで「滋賀県が全国上位(下位)のものを調べる事でより滋賀県(県民)らしさがわかるというものです。長い事歩いていてその辺にも興味が出て来ました!では気になる項目をあげます!
・立命館大学合格者数 2005人で全国1位👑(2017年)全国偏差値93!(京都府じゃないんですね~)
・女子Vリーグ(バレーボール)選手出身地 10人で全国1位👑(2014年)全国偏差値78(実業団の東レもあるけど、あくまで出身県ですからねえ~)
・25歳以上日曜大工/子育て支援活動人口(2016年)ともに全国1位👑(全国いち家庭的?)
・40代男性未婚率 19.64%で全国47位 全国偏差値28 これってどうなの?ワーストじゃなくてベストじゃん??
要するに 滋賀県は暮らしやすくて学歴が高くてなおかつデートスポットが多い という事ですね。
今回の歩き区間は滋賀県の中でも人口が集中していて名所旧跡も観光地も豊富だから、上の統計が肌で感じられるかしらん?
滋賀県のランキング - とどラン (todo-ran.com) 【個人様のサイトにリンクします】
ある意味滋賀県らしい風景というのかな?
石山寺もしばらくぶりに詣でたかったのだけど、今回は見送って琵琶湖の南湖の続きを歩きます。
晴れて「比叡おろし」の風が強い時には湖岸の松林が嵐の様にざわめく事から名づけられました。往時の風景は失われましたが松の植栽は今も続けられています。
外来種を無理に回収しようとして電気ショックを与え、そうでない魚も処分してしまう事があった(過去?)ようです。そもそも「さかなクン」たちに罪はない。
膳所(ぜぜ)城は、関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が、琵琶湖南岸の交通の要衝を固めようと、後の津藩主・藤堂高虎に設計を命じたもので、西北?から湖を伝って瀬田の唐橋を落とそうとする(水)軍勢を防ぐのに絶好の位置にありました。高虎が「この場所が適正至極に存じまする」と言ったかはどうか。。
さてこのまま湖岸伝いに行っても良いが、東海道(赤い線)が一番近いところにあるのでそちらを行きます。
これは、中山道を不破の関を越えて関ヶ原から近江に入った時にも感じたので、「国境」を越えると急に赤い旧家が目立ちます。その関ヶ原にちなんだお寺がこちら。
本堂も一見の価値があるが、横にある樹齢600年以上というイチョウは「関ヶ原の戦いで敗れた西軍の大将・石田三成が括(くく)られた」イチョウだそうで!!
捕らえられた石田三成は、先ほど触れた不破の関から中山道を通って京都に護送される途中にこの木で休んだ(休まされた)といいます。とうに死を覚悟していたでしょうが。
関ケ原の戦いで陣形的には西軍が優勢だった事から、西軍に大きな裏切りがなければこの木につながれたのは石田三成ではなく徳川家康の方だったかも??
そうなると皆さんも「水戸黄門」も「遠山の金さん」も「暴れん坊将軍」もテレビで見る事はなかったでしょう。
さらに東海道を西に行きます。
「ぎちゅうじ」と読みますが、字の通り木曽義仲(きそよしなか)からとったものです。
北陸に「俱利伽羅峠(くりからとうげ)」での戦いを制して平家討伐を果たし、京の都に入った義仲でしたが、源義経らに「宇治川(瀬田川)の戦い」で討ち取られ、こちらに葬られました。
で、ここからが更にスゴイ。俳聖・松尾芭蕉は俳諧を広めながら諸国を徘徊、もとい、旅した時に木曽義仲の大ファンになり、元禄時代に「大坂」で亡くなったのですが。
「骸(亡骸)は木曽塚に送るべし」との遺言で、義仲と並ぶように葬られました。
義仲寺境内には芭蕉や弟子たちの俳句が石に刻まれています。
【行春を あふミの人と おしみける】芭蕉桃青(若かりし頃の芭蕉)
「比良山や琵琶湖のすぎゆく春を、ここ近江の人達と惜しみましょう」
「平家を倒そうという目的では木曽義仲は源頼朝と同じだったが、結局は朝廷に近づきたいがために2人は対立していて、義仲はいったん京に入るも、最後は瀬田川におびき出されるように義経の軍に討ち取られたんだよ。その伝説が残っていて、家康も瀬田川の守りを固めようとしたんだろうね」「ふう~ん(💗)」。
ここまで来たらあなたと同行の「歴女(歴史男子)」を攻略したも同然です?? 功を焦って逆に討ち取られませんように。
義仲寺には芭蕉が常に衝(つ)いていたとされる椿の杖が展示されています(必見)。
再び湖岸に戻ろうとしてお腹が空いて来ました。
同じ桟橋に泊まる「パトカー🚔」と「ポンプ車🚒」 近代近江八景?
ミシガンはスクリューで推進するのではなく「後部外輪船」です。
かつてミシシッピ川で運行された外輪船をモチーフとしている。船名は滋賀県の姉妹県州のアメリカのミシガン州に由来する。日本最大の外輪船で国内での現役の外輪船としては最も長く運航されている。【以上、世界最大の辞書の完全コピーです⇒自慢出来ない】
とにかく大津は「何でもデカイ」。そして遊ぶところは沢山。お金があってもなくても楽しめる。そしてお金を増やしたい人が行く場所はー。
ボートレースびわこ! ここで軍資金をつくって雄琴温泉♨で豪遊。ジェントルマンのあこがれ?であります。(私は先を急ぐことにしました)
往年のボートレースファンによると『「ミシガン」の通った後はレースの展開に影響する』のだそうです。知っていて当たるか、知っていなくても当たるか。その逆か。
【Project_15】大津城と大津百町の今昔地図 | 京津測量株式会社 (keishin-survey.co.jp)【外部リンク】
京津測量さん(さすがプロ)の地図を参考にさせて頂きます。かつての大津城があったところです。赤い線が東海道などのメインルートで、西の堀は今の琵琶湖疎水の一部、歩いて来た「なぎさ通り」周辺は湖で、のち埋め立てられた事が分かります。
琵琶湖疏水とは | 日本遺産 琵琶湖疏水(びわこそすい) (kyoto.lg.jp)【外部リンク】
さて大津京~坂本の湖岸ルートは交通量も多いので、琵琶湖疎水が山に潜るあたりから三井寺(みいでら)に参ることにします。
西国三十三所 第十四番札所としても有名な三井寺の観音堂。本尊の如意輪観音は三十三年に一度しか公開されない秘仏です。
○○番札所といえば番号札。そうだ【背番号】に置き換えてみよう!という事で、
WBC侍ジャパンで「背番号14」の選手は誰だったでしょうか??
思い出せますか? ノーヒントです。
【14】佐々木 朗希投手でした。そうか、三井寺は佐々木か~中々だな。では、
背番号【1】山田哲人選手と同じ番号(札所)の西国三十三所の寺院は?
和歌山県の那智山にある青岸渡寺(せいがんとじ)です。では最後に。
WBCの背番号【16】は、さすがにみんなが覚えているように大谷翔平選手(投手)でしたが、大谷選手と同じ番号(札所)の西国三十三所の寺院は?
期待してよいですよ。西国三十三所の背番号【16】は・・
京都の清水寺は西国三十三所 第十六番札所です。もう忘れませんね。これを「すり込み効果」といいます(笑)
三井寺の観音堂(第十四番札所)は境内でも一番高いところにあり、辺りからは琵琶湖の対岸が良く見えます。
808段の階段しんどかったな~。ちなみに31番のWBCの選手はおりません。
「お賽銭」を納めて鐘を突いて来ました!(長命寺でも突いたので)
【近江八景:三井の晩鐘(ばんしょう)】
本日の「ビワイチウォーク」約24キロメートル のはずが、石山から三井寺までで3分の1の約8キロしか歩いていない。
今一瞬、ブログを見るのをやめてお風呂に入ろうかと思いましたね? ここから残りの区間は超特急🚈です。山上からの琵琶湖の風景もご覧に入れます!!
坂本と比叡山を結ぶ「👈坂本ケーブルのりば」。時間も体力も残っているし、いくぞ。
ロープウエイとは違って空中にぶら下がっていないので、下の景色は見えたり見えなかったり。途中トンネルにも入ります。
山上の滑車を経由して、2両の車がつながっている。エレベーターと重りのように、どちらかが上がったり下がったりする仕組みです。
ケーブル山上駅からの眺めは素晴らしい。手前から坂本~雄琴~堅田のまち。
対岸の奥には、「ビワイチウォーク」初日に風の中を歩いた長命寺山の周囲と、左に沖島。うんと奥には、鈴鹿の山々や伊吹山も見える。
やっぱり、お天気を選んで来ただけの事は、あった。
公式HPによると、東塔には「大日如来をはじめとする五智如来が祀られており、塔の上層部には仏舎利と法華経が安置されています」だって。ほら~、塔は観光用じゃないじゃん、ウ〇キペディアさん!(←普段から大変お世話になっています)
比叡山まで上がって来たのは中学1年の時以来、43年ぶりなんだけれど(年取ったな~)今回は「ビワイチウォーク」と琵琶湖の景色を眺めるのが目的なので、入山料を払う入り口の前で潔く引き返してきました。(いさぎよいのか、どうか)
さっき乗って来たケーブルカーの発車まで5分。上からの景色をもう一度収め、
ホームに入ろうとしたところ、とんでもない景色が。
皆さん指で拡大しまくって下さい。というか最初にこの景色を案内しろよ。
駅舎出口の反対側だから最初は全然分からないじゃん。分かった!謎が解けた!
「この景色に満足してしまって動かず、観光客が参拝客とならずに、入山料を払わない(ワシ)のは困るから~。」(チコちゃんに叱られる風に)
この景色みたのは、📷のシャッター切ったのと合わせて10秒間でした。
ケーブルカーの麓には日吉大社があるのだけれど、手前の早尾地蔵尊を拝んでおきました。子育て地蔵尊大好き。持続可能な社会づくりはまず、子育てから。
スタートのJR石山駅からゴールのJR堅田駅まで、全部で8時間半かかりました。
「ビワイチウォーク」その③まで、のべ4日間で全体の「5分の2」を歩きました。これからはびわ湖の景観そのものが中心となり、ともすれば単調になってしまわないか、やや不安です。海津大崎(かいづおおさき)なども桜並木あってのものだし。
自宅のある津からも行き帰りの時間を要するため、残り6日間の周遊は「1泊2日×3回」になりそうです。
2023年5月14日 母の日🌹に更新 皆さんお母さん孝行しましたか?
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