三重県伊賀地方南部の街・名張は関西では大阪のベッドタウンのイメージが強いと思いますが、もともとは「隠(なばり)」といいます。
天照大神(あまてらすおおみかみ)を都の東方・太陽が出ずる伊勢にお連れした倭姫命(やまとひめのみこと)が、大神のご鎮座の場所を探して立ち寄ったり、歴代の天皇に代わって伊勢神宮に仕えた古代の斎王(さいおう)が隠居する(諸説あり)など、「かくれ(隠)の里」にふさわしい、奥ゆかしいところでもあります。
夏見廃寺|名張市 (nabari.lg.jp) 名張市のホームページより【リンク】
今回は、2021年6月に歩いた、伊賀盆地を南から北へ、名張から伊賀上野を目指した「名張街道」の風景を紹介したいと思います。
【リンク】こちらも参考にさせていただきました 掲載の地図でイメージをつかんでください
"菅笠”で伊賀盆地を歩く。名張街道(名張→伊賀上野) - 2013年07月28日 [登山・山行記録] - ヤマレコ (yamareco.com)
ではいつものように私の居住地である「三重県津市」からスタートします。
一般に行政区をまたぐところは通学路がなく、そのために歩道が整備されていなかったりします。
心配の向きは、ストリートビューで実際に撮影された道をたどっておくと良いでしょう。行程を全部見るとネタバレしますが。
「子やすみち」と読めますが、小さい「す」の文字が重なっているようにも見えます。「子やす」「すてみち」?(※確証はありません)
「子安」というと安産祈願を想像しますが、いわゆる「養子縁組」のお寺でもあったのでしょう。跡継ぎが授からない家がある一方で、子供を育てられない家庭もあったはずです。(稲荷神社は別の敷地にありました)
将軍様の「お庭番」も伊賀者(伊賀忍者)だったと言われています 江戸城(皇居)にも服部半蔵の名を冠した半蔵門がありますね 甲州街道のスタート地点です。
江戸城が攻められていざという時、東海道を使わず家康を江戸から逃がす手配を整えたのも伊賀忍者だと言われています。(ハイ、得意の脱線でした)
【あるき参考タイム】2021年6月26日(土)くもり
・近鉄名張駅 午前7時20分スタート
・桔梗が丘駅 8時10分通過(旧伊賀線~桔梗が丘西団地経由)
・上野名張バイパス合流 9時50分 ⇒大田酒造~蓑虫庵 経由
・グリルストーク 入店 11時50分
・伊賀鉄道上野市駅 12時40分ゴール
皆さんも「名張街道」を訪ねてみませんか。(終わり)
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