津市内のホテルで今日も原稿(ブログ)を書いております 写真のアップロードが自宅の無線LANより早いので(笑)
三重県鳥羽市の離島・神島の民家に籠って「潮騒」を執筆した、三島由紀夫のレベルには到底及びませんが (^^)/
「潮騒」は現地取材をそのまま書き記した最高傑作なのでしょう。「この火を飛び越えて来い!」2013年の朝の連続テレビ小説「あまちゃん」でもオマージュとして描かれましたね。
「大和街道」に戻って来て頂いたところで(笑)、前々回の続き(JR関西線でいうと新堂駅~島ヶ原駅)を、去年の夏に歩いた写真を整理しつつ紹介したいと思います。
伊賀市の代表的な名所を、桜の時期の写真も織り交ぜて行きたいと思います。
【リンク】
では大和街道歩きの続き JR新堂駅から出発し、西に伊賀上野を目指します。
JR新堂駅から西に、大和街道を柘植川(つげがわ)沿いに下ってきます。
拡大したら「伊賀の東北」と謙遜していますが、伊賀に代わるものはありませんよね。
(ぜひ桜の時期に来たいと21年4月に再訪したのが上の写真です)
【コラム】
宿場町や集落の両端がジグザグになっているのは大名行列を街道の遥か彼方から見せないためなんでしょう。目の前を通りすぎる30分前から土下座させられたら町の人たちも堪ったものではありません。
「有事」の時は、集落や宿場町そのものを守るためにジグザグの道は意味を持ちます。
大名の一行は、本陣 脇本陣 上級旅籠 中級以下の旅籠 以下、人数に応じて宿泊が割り当てられます。参勤交代の事前情報を知った一般の旅人は宿場町の先に進むかして「間の宿(あいのしゅく)」に追いやられる格好になるのでしょう。
いわゆる「場末の~」というやつです☺️
「間の宿」や、峠、川上の宿屋は普段は需要が少なく、調整役として宿場が機能するのでしょう。東海道大井川などの「川止め」などでもずいぶん調整が行われました。
参勤交代制度について私たちは教科書で「地方の大名の親族を人質に取らせて幕府(徳川家)に対する忠誠を誓わせ、交代にかかる費用をあてがわせて藩の財力をそぐため」と習いました。
様々な人たちや行列が通る事で、主要な街道の「発展や組織作り」に何役も買ったのであろうと推察されます(対応も面倒くさかったことでしょう)。
佐那具町の街道集落を行きます。右のフェンスで囲まれているお家は以前どのような役割を果たしていたのでしょうね 覗きはしませんが想像するだけで楽しいのです!
「右東海道せき||左ならはせ山上」
伊賀上野赤坂の途中にある「厄除け地蔵」です。(城下町の北東にあたる)鬼門であり、ここに地蔵が祀られているのも偶然ではないのでしょう。
「江戸口」というのは実は地方にとっては鬼門なんでしょうね あらゆる「流行」や「お達し」が江戸からやってくるのは今も昔も変わらないようで
(2021年4月 桜の木に囲まれている赤坂の厄除け地蔵)
「右ならはせ〇道」「左東海道せき〇」 すいません読めません⤵
(おそらく伊賀上野を代表する大きくて立派な桜の木だと思いますが有名ではありません 隣の三階建てと比べてください 切られませんように!)
「松尾芭蕉 誕生の地」碑 キリスト教で言えばここがエルサレムです。おかしいなあ誰も歩いていないし写真も撮っていない・・(注:ベツレヘムでした すいません⤵)
菅原道真公を祀る上野天神宮 拝殿は新しくなっています。
伊賀上野城へと続く「白鳳門」
お城に近いホテル部屋からの眺めです。 「くノ一」が隠れて(走って)いますね。
暑い中での街道歩きでした。サミットの乾杯酒「半蔵」でひとり乾杯。
ホテル二食付「伊賀牛のミニすき焼き御膳」みたいなお値打ちなプランでした。
お題「伊賀の秋 近し」 (→→ホテル)
ホテルでの朝ごはんの前に、先ほどの白鳳門を潜って散歩です。
伊賀上野城のお堀の高さは「日本一」らしいです。家康の命を受け藤堂高虎はここから遠く「大坂」方面ににらみを利かせたのでしょう。
松尾芭蕉が菅笠をかぶった旅姿を表したという「俳聖殿」上野公園内
伊賀忍者博物館(営業時間前)同上野公園内
伊賀鉄道 西大手駅 ホテルの屋根が奥に顔を覗かせています。 昨日とは真逆のアングルですね 電車も同じ(^^)
JR伊賀上野駅 ひと駅先の島ヶ原駅まで乗車します(結構距離があります)
大和街道 京都と接する三重県西の端 木津川 ここから伊賀上野にまた戻ります。
旧島ヶ原村の名物?「与右衛門坂」(よえもんざか)標高差40メートルを一気に登ります。「伊賀の守りは堅い」のです(笑)
三本松池 旧上野市と旧島ヶ原村の境 近くには「芭蕉の尻もち坂」もあります。
旧大和街道は地道も一部残っています。
「見とどけ地蔵」織田信長の伊賀攻めでここで火の手が上がったのを地蔵が見届けたという伝説が残ります。
木津川 ゲゲゲの鬼太郎のお家みたいに見えるのは増水時には田んぼに水を流す排水機場。下流の多くの人たちのためにいざという時に田んぼが犠牲になる?仕組みです。
「伊賀越えの敵討ち」で知られる鍵屋(かぎや)の辻 道標は拡大してみると「みぎいせみち ひだりなら道」 上の方で紹介した「赤坂」とは反対側の「京口」になります。
伊賀上野に帰ってきました。現代の道しるべ 暑いなあ🌞
お菓子屋さん 兼 タバコ屋さん 後ろに入道雲🌥
伊賀鉄道 上野市駅前(忍者市駅) 行きつけのピザ屋さんで「旅の反省会」です。
追記にしては長くなりました⤵⤵ 伊賀上野城下と街道筋は見どころが多いです。
今回もありがとうございました。図は大和街道の振り返りです。
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