kotarosandayoneの日記

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自転車で世界遺産めぐり(5)新宮市~熊野市 花の窟神社・獅子岩

自転車で世界遺産めぐり(4)新宮の夜🐟️🍶と熊野速玉大社 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)【前回まではコチラ】

2024年8月24日(土)先負 ➡⛅ 新宮34℃ / 26℃

朝7時に新宮市の熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)に参拝に来ています。本当は朝6時に来なければ。日が高くなれば🚴のコンディションは悪くなるばかり。【先負】と記しているのは「負け惜しみ」です。

土曜日の朝一番という事で静か。境内を掃き清めている人に挨拶しました。「おはようございます。蒸し暑いですね」。

熊野速玉大社のご神木 梛(ナギ)の木

千早ふる 熊野の宮のなぎの葉を 変わらぬ千代のためしにぞ折る」藤原定家     

樹齢千年といわれ、およそ800年前に後鳥羽上皇のお供で熊野三山を訪れた、歌人としても名高い「藤原定家」がこの梛の木を和歌に詠んでいます。

©文化遺産オンライン「熊野御幸記」

新古今和歌集を編纂したことで有名な藤原定家が、京都から熊野本宮~新宮~那智大社~再び熊野本宮と旅した時の日記「熊野御幸記」は1967年に国宝指定されています。定家が感銘を受けた梛(なぎ)の木。その葉を懐に収めて熊野三山をめぐる習わしがあったとか。

私も以前、木の下で一葉拾ったのですが罰当たりな事にどこかへやってしまいました。

境内にある「熊野御幸」の石碑

鳥羽上皇 三十三度 後白河上皇 三十三度 後鳥羽上皇 二十九度。

まさかとは思うでしょうが、そのまさか。歴代の上皇達が「熊野詣」にやってきた回数を示しています。「一度参ったらもういいから(笑)」という上皇もいますね。

当時の天皇は「自分は人間の姿に形を変えた神」だと思っておいででしょうから、院政を敷いて都の政(まつりごと)を次の代に譲ると老後の楽しみ?は「熊野行幸」そのもの。

熊野速玉大社の曼陀羅 神倉神社の「お燈まつり」も描かれている

熊野灘には「唐船」も描かれているのが興味深いですね。熊野川では船の早漕ぎを競う「御船(みふね)まつり」も描かれている。

©和歌山県観光公式サイト

話はそれますが、2011年の紀伊半島大水害ではこの「御船島」の木もさっぱり流されてしまいましたが(すごい水量ですね)、何年か経過して、元の植生に近づきつつあるそうです。恐るべきは熊野の神々の力。

「自分も神様だけど、もっともっと、伝説の神に近づきたい」との上皇達の思いが伺えるような気がします。

さていよいよ、私は愛車と共に熊野川を渡って和歌山から三重に入ります。

熊野大橋は1935年(昭和10)竣工 今も現役です

以前はこの歩道の上で「三重・和歌山対抗綱引き選手権」が開かれ、勝負の結果により県境が毎年、「南北に数メートルづつずれた」そうです(両県友好の話です)

朝日が熊野川河口に差してキラキラ

熊野大橋を渡って「新宮紀宝道路」の下をくぐります。新しい橋は熊野川の一番河口側に架けられました。2024年9月29日(日)に完成記念式があり、ふたたび両県の住民が綱を引くそうです。好きですね~。まあ、手綱(たづな)の形は神社のしめ縄にもツナがりますから。

熊野速玉大社から次の目的地、熊野市の花の窟(はなのいわや)神社まで、電子地図で約21キロ。七里御浜(しちりみはま)に沿ったほぼ平坦なルートです。ロードバイクでは約1時間で着くけど「ミニサイクル」ではどうかな~。

「今走って(歩いて)いるのは熊野古道ですよ」という案内が路面にある

 

「ガチャン!」歩道の凹凸に乗り上げたはずみでタイヤのチェーンが外れてしまいました。ミニサイクルはロードバイクの様には「貫禄がない」ので、車道を走るのを遠慮して主に歩道を走るのだが、お店とかの入り口の度に歩道に段差があるのは皆さんもご存じの通り。

この辺でチェーンが外れた 30秒で直ったけど

国道42号に沿って、半分くらいは旧道が伸びていて車にもさほど気を遣わずに走りやすい。歩道の凹凸もないしね。

熊野と新宮の間にもやや大きな川があって、こちらの旧道より橋げたの高さが高くなっている。高潮などの被害にあわない様にしているのでしょう。

JR紀勢線阿田和(あたわ)駅の前を通りがかりました。御浜町のメインステーションなんですが、ほかのローカル駅と同じで静かな雰囲気。近くには「道の駅・パーク七里御浜」があります。

電子辞書に載っていた昭和21年の阿田和駅

「今と全然変わらんやん」と思っていたら「阿田和駅は老朽化のため2025年めどに駅舎を建て替えへ」という記事も見つかりました。

8時4分阿田和駅発 多気行きの普通電車を見送りました

少年野球の子どもが阿田和駅から乗って行きました。どこかで試合があるのかな。

朝8時30分過ぎに【世】花の窟(はなのいわや)神社に着きました。熊野川を渡って約1時間15分。途中ほとんど寄り道しなかったせいか、「追い風参考」だったのか、ロードバイクの時間とは大きく違いませんでした。

手水鉢の隣には神霊が宿るとされる丸石神があり、なでるとご利益があるという

南紀熊野地方では最も大きい丸石神」と案内にありました。

こちらは水害の折に那智の滝の滝つぼから出現したという神霊石(みたまいし)

【世】花の窟(はなのいわや)神社 熊野市有馬町

日本書紀にも記されている「日本最古の神社」。社殿はなく、熊野灘に面した高さ45メートルの岩塊がご神体とされている。神々の母親である「イザナミノミコト」が火の神である「カグツチノカミ」を生んだ時に焼かれて死んだ。との記述がある。『花の時には亦花を以って祭る』とされている事から「花の窟」と呼ばれて崇敬を集めている。2004年に「紀伊半島霊場と参詣道」の一部として世界遺産認定された。

巨岩の足元には七里御浜の丸い石が敷き詰められている

熊野地方では丸い石を「神への手向け」とするのが習わしで、ご神体のくぼみのあちこちに丸い石が挟まれたり、置かれたりしている。

熊野灘の波の音が巨岩にぶつかって、境内や周辺に響き渡ります。今と違って周りに何にもない時代に、伊勢神宮から熊野を目指して歩いてきた人々は突然現れた巨岩に畏敬の念をもって参り、更に熊野三山に向けて歩んだことでしょう。

愛知からの少年野球のチームが参拝していました 親御さんたちを後ろから

野球のボールの様な丸い石を撫でて、ご利益はどうだったかしら。

続いても世界遺産の一部として認定されている「獅子岩(ししいわ」。旅行のスナップ写真によく登場しますが、近年は特に「写真映えするスポット」として脚光を浴びています。それがこちら。

©観光三重「2024熊野大花火大会写真コンテスト」より

毎年8月に開催される「熊野大花火大会」では七色の花火をバックに獅子岩の影が良く映え、毎年のようにコンテストで「入賞」?するので、近年、花火大会当日は獅子岩の前での場所取りが白熱していました(今は写真撮影場所は事前申込・抽選などに移行しています)

獅子岩の向こうに見えるのは同じく世界遺産鬼ヶ城(おにがじょう)です。

新宮の民泊を朝7時に出てここまではすんなりでした。ところが熊野から尾鷲に向かうには自転車の場合は標高400mの矢ノ川(やのこ)を越えなければいけません。

これは熱中症対策に使われる「暑さ指数」です。直射日光や湿度、実際の気温などを総合して数字が出るのですが、24日当日の熊野地方の暑さ指数がコレ。

午前8時には指数30を越えて「厳重警戒」、10時以降は31を越える「危険」となっている。

曇りの予報を期待していたのに青空が広がってきました🌞 午前9時前

「24時間テレビ」のマラソンランナー・やす子のように周囲にサポーターはいません。それどころか目撃者も誰一人としておりません。果たしてどうなってしまうのか!

自転車で世界遺産めぐり(6)熊野市~尾鷲市 矢ノ川峠🚴💦 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)【続きはコチラ】

2024年9月21日(土)最終更新■■