kotarosandayoneの日記

街道歩きを中心に、風景などをアップしています

三重・亀山でプチプチ旅行 その2 東海道亀山宿~関宿(1)

タイトル その2なのに更に(1)とは申し訳ない。亀山のホテルで🌅前からもう一回屋上の露天風呂に入りました♨♨

【前回はコチラ】三重・亀山でプチプチ旅行 その1 ホテルで飲み放題🍺🍷🍸 - kotarosandayoneの日記

©カンデオホテルズ亀山/楽天トラベル

風呂から出て、部屋の窓から「亀山トラックステーション」が真下に見えます。

トレーラーの利用が多いので、道路と敷地の間のスロープがなだらかに作られています。

赤い矢印で示している地点です

東名阪自動車道と国道1号の連結点にあります。国道1号鈴鹿峠の交通量は少なくなったと別の日記に書きましたが、今でもトラックドライバーの貴重な休憩場所になっていました。

ホテルの駐車場に置いた自家用車のガラスが凍っていて出庫を焦りましたが、ほどなく出発出来ました。

本日の歩き旅は東海道53次の亀山宿から関宿までの約7キロ。ゴール地点であるJR関駅に車を停めました。

紙袋の中に駐車料金を入れてポストに納める仕組み

歩き旅日記でも繰り返していますが、自家用車と交通機関を併用する場合は「スタート地点ではなくゴール地点に車を置いておくのが一番です。列車の本数が少ない田舎に行けば行くほどそうです。

JR関駅のダイヤは昼間は上下線とも1時間に1本です。朝7時28分発亀山行の列車を待ちます。

ところがですね。肝心の列車がやって来ない

「おかしいなあ~ 時間とうに過ぎてる」

電線の鳥たちも首をかしげています。そのうちホームの女子高生たちも先輩に「遅延で集合に遅れます」とスマホで連絡している。うろうろしていると掲示板を発見。

動物と接触 列車の遅れ JR関西線 伊賀上野~島ヶ原 間 および 島ヶ原~月ケ瀬口 間で列車と動物が接触したので遅れが出ています」。

2カ所??🦌🦌( ゚Д゚)

山間の路線では「鹿アラート」が年中出ているといってよいだろう。動物が線路に降りて来るのは鉄分を補給するためと聞いた事もあるが。

ちなみに「乗り鉄の人達」がしばらく鉄道の旅をしていないと「最近鉄分が不足している」という言い方もする🚃🚃

ようやく行き先方向の信号が青に変わりました

お天気が読めないから少しでも早めに出発しようと、申し込んでいた朝食をパスして出て来たのに~。

「パスした朝食」のイメージ ©カンデオホテルズ亀山

帰宅してホテルの口コミを見たら朝食の評価が一様に高かった onz...

「次の列車の到着時間」近くになって、やっと来ました

旅の最初に「つまずき」があると(自己責任の事も多いが)、往々にして最後までうまくいく事が多い。気をつけるからかな?

JR亀山駅前は再開発で、ずいぶん前の印象と異なっている。

移転して2023年1月 駅前にオープンした亀山市立図書館

以前は駅前に能褒野(のぼの)神社 一の鳥居がありました(2021年撮影)

能褒野(のぼの)神社へ行きました。 | 亀山市観光協会【外部リンク】

銘菓「亀乃尾」で有名な和菓子屋さん 再開発に合わせて新装

人気のクレープ屋さんも駅前にあります

駅から、亀山の城下町であり宿場町である丘陵地に上がっていきます。

亀山宿の「江戸口門」で万歩計を「0」にリセットします

案内板にあるように江戸口門は「東海道番所」ではなく、1600年代に亀山城の門として築かれたようです。

90度右に折れて「亀山城下」に入って行きます

国土地理院の地図上に旧東海道をなぞってみよう。

赤い線が東海道 右➯江戸口門 左➯京口

平面図では分かりにくいのだが、JR亀山駅鈴鹿川の河川敷にあるのに対し、亀山城下および亀山宿は丘陵地の上にあって災害にあいにくい地形に開かれている。

東海道沿い(東町)から亀山駅方面を見下ろす

このような傾向は同じく三重県下の東海道でも「石薬師宿」「関宿」、また大和街道の「伊賀上野」でもみられる。

東海道」の標識に従って左に曲がる

お城を防御するための「桝形」が現在もS字カーブの様になっていて、大好きなポイントである。

遍照寺(へんしょうじ)の前に来ました

「頭で鐘つく遍照寺」と地元で親しまれた天台真盛宗の古刹。本堂は門を潜った坂の下にあり、逆に本堂からは鐘楼を見上げる形になる事から「頭で鐘つく」と謳われたようです。

ずいぶん立派な鐘で、びっくりしました

門は鐘だけでも相当な重量を支えています。

鐘楼門から境内の急な坂を下る

本堂の屋根にはシャチのほか、亀山藩の家紋、「上り亀、下り亀」があしらわれているとの事ですが、再度訪ねた時にしっかり見て来たいと思います。

亀山城の多聞櫓(たもんろう)が歩道にもデザインされている

石垣の上に立つのが多聞櫓。1600年代の建築で三重県内で現存する唯一の城郭建造物だそうです。というか他には残っていない事が驚きでした。

歌川広重の版画「東海道五十三次」の中でも雪景色の構図の見事さで「傑作三選」のひとつに数えられる「亀山宿」にも多聞櫓が描かれていますね。

もともと天守台には天守閣があったのだが諸般の事情で江戸初期には取り壊されて、多聞櫓が天守のかわりをつとめたという。

右下に旧東海道 正面奥に多聞櫓 歩きの休憩スポット

「右 郡役所 左 東海道」 拡大できます

「郡」というのは鈴鹿郡の事で、明治以降「三重県」が発足して行政区画の鈴鹿郡が出来、現在の鈴鹿市(および四日市市の一部)、旧亀山市、旧関町にまたがりその中心として亀山城跡に役所が置かれた。

「ますや」の屋号をあげている町家(旧舘家住宅)

亀山城の西の丸と外堀が発掘保存されています。

再び東海道を赤い線で記してみると、人や物が行き交う東海道亀山城のすぐ脇を通っている事が分かる。

亀山城主は江戸時代を通じて藩主の入れ替わりが多かったが、初代の外様大名をのぞいては譜代大名関ケ原の戦い以前から徳川家康に仕えた大名)が歴代の藩主を務めた。

外堀を別角度から見た所 小公園になっている

参勤交代の大名も城下町の亀山宿は通り過ぎるのみで、宿泊を遠慮した事から「市中にぎわいなし」と言われた。

街道筋の畳工場 機械を動かす準備作業の音が聞こえていました

西の出入り口「京口門跡」の案内

東海道53次 亀山「雪晴」は京口門から亀山城を見上げた構図になっています。

亀山の城下町(および宿場町)は丘陵地に作られたと説明しましたが、「遠くから見ると丘陵が亀の甲羅の様に見える事から【亀山】という地名になった」という説もあります。

現在の「京口坂橋」結構な急斜面で橋が凍ると大変です。

京口門跡のお隣の梅厳寺には「西国三十三所観世音菩薩」が祀られていて、境内で三十三所巡りをすることが出来ます。

最後に三十三所の寺院を訪ねたのは去年の冬。大阪府藤井寺市の「葛井寺(ふじいでら)」でした。

お顔に蜘蛛の巣が絡んでいたのでそっと取ってあげました

ここから西に、次の関宿へと向かって歩きます

続きは「その3」になります。

2024年12月28日 年末年始休みの初日に更新■■