kotarosandayoneの日記

街道歩きを中心に、風景などをアップしています

街道最大の難所🏞️笹子峠越え 甲州街道歩き(2018)【その5】

二代目歌川広重「諸国名所百景 甲州矢立の杉』より

2018年8月4日(土)甲州街道歩き のべ5日目 山梨県大月宿~鶴瀬宿

のべ5日目は標高1100メートルの笹子峠(ささごとうげ)を越える約28キロメートル。厳しい行程の上に、スタート地点が三重県の実家から遠く、東京都八王子市に前泊。仕事帰りだと八王子までが精一杯でした。

「寝るだけ~」のスペース 都会のビジネスだとこんなかな

それでも余りのコンパクトさにちょっと驚きました(^^)。翌日は始発電車で八王子から大月へ。

大きなリュックを担いだ人達が大月で富士急行に乗り換えます。写真の時間で朝6時前。

見づらいが、案内板の右端から左端まで、きょう1日で歩く

富士急行 河口湖行き 登山電車っぽい

私は登山客らと分かれて、大月駅から徒歩で甲州街道を西に進んで行きます。

大月宿溝口本陣跡 すぐ先で「富士山道」を分ける

互い違いに設けられていた車いす乗降スペース

白野(しらの)宿 右へ旧国道を入る

この街道筋は、主な集落ごとに宿があり、2つ~3つの集落で問屋業務(人馬の用立てや継飛脚など)を月のうち交代で行っていたそうです。

峠越えの前に最後の買い物をしました

甲府方面に行く特急に後ろから追い抜かれました

親鸞聖人の念仏供養塔

ガイドブックなどによると「毒蛇の姿になった地元有力者の娘を親鸞が成仏させた」とあります。

「1919年創業の蔵元」と解説にあり

街道から中央道・笹子トンネルへの坂を登っていきます

2012年の12月にトンネルの換気ダクト用の天井板が崩落し、9人が死亡した事故現場の近くです。私が立っている場所付近に翌年(2019年)慰霊碑が建てられました。手を合わせて犠牲者を弔うとともに、旧笹子峠を越えていく自分の安全を願いました。

東京からの距離を示す標識 この奥に笹子峠

購入したガイドブックに道路を書き入れています。大月市から甲府盆地に入るには先の中央道国道20号県道212号(旧国道20号)、そして赤い線の甲州街道

地図を指で拡大してみてください。

通行可能な地道を行きます また舗装路に戻る

早朝に大月駅を出た時には23℃前後と少しひんやりしたぐらいでしたが、峠に差し掛かる時間帯には汗が噴き出してきました。

ここを大名行列も通って行ったのでしょうか

頭の上の木々が日光をさえぎってくれるとはいえ「涼しい」とは言えない。標高1000メートル近いが。車やバイクの通行はありません。

峠の名所「矢立(やたて)の杉」の看板があります。歌手の杉良太郎さんそっくりのお地蔵さんがありました。「峠の杉様」。

周りの杉の木と比べても圧倒的な存在感です。昔、峠を越えていく武士たちがこの杉を敵に見立てて矢を放ち、戦勝を祈願したとされ「矢立の杉」と言われるようになりました。

大月駅を出発してから5時間余り。「初代」笹子トンネルが見えて来ました。

昭和13年(1938年)開通

甲州街道歩きの出発点とした東京駅丸の内口の駅舎のデザインに見えなくもない。初めて掘られた笹子峠のトンネル。あたりはシンとしています。

潜りたいのはやまやまだったけれど、トンネルの手前から笹子峠を越えていきました。

ここからJR中央線・甲斐大和駅まで歩く事2時間。

直射日光にさらされる、午後イチの峠越え

「駒飼宿」の風情

笹子トンネル手前で見送った中央道を再び潜って、標高620メートルの駅に着きました。午後1時15分到着でした。街道歩き5日目はここまでで、宿泊を求めて甲府まで電車で先に行きます。翌日はまたこちらに戻って、甲府まで歩きます。

途中下車した、JR石和温泉(いさわおんせん)駅

石和温泉駅前の足湯

駅舎には甲州市で作られたワインの試飲が出来るワインサーバーもありました。暑さのせいか、🍷酔いのせいなのか?? なぜか写真が残っていません。

甲府駅に着いてみたら、激しい夕立でした

甲州名物の「おざら」(夏の冷やしつけ麺)量が多い

こちらも名物の🐔もつ 頑張って食べたけど半分残した

次回「その6」は体感気温39℃?の甲府盆地歩きです。

甲州名物🍇そして🌞🌞 甲州街道歩き(2018)【その6】 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

〈2023年9月 最終更新〉■■