kotarosandayoneの日記

街道歩きを中心に、風景などをアップしています

ひたすら暑かった🌻 甲州街道歩き(2018)【その3】新宿~八王子 編

 

ゴッホの【ひまわり】を地上42階のフロアで見る」。

中山道歩きも並行して行っていましたが、その時は初日に日本橋から浦和まで歩いて、浦和のホテルにチェックインした後、京浜東北線で上野まで戻って来て「国立西洋美術館」めぐりをしました。今回は新宿を通るので、超高層ビルを下から眺めるだけでなく上からの景色を楽しみたいと思っていました。

現在の損保ジャパン本社ビルは1976年に安田火災海上本社ビル」として開業。ビルの下に行くにしたがって、すそが広がっているデザインは当時「パンタロンビル」と呼んでいた人もいたようです。左隣にはその2年後に開業した「野村ビル」が建っています。

ビルの真下近くまでやって来ました。子供の頃新宿の写真を見て、このビルが一番カッコいいなと思ったのを思い出します。ビルの高さはちょうど200メートル。43階建てで、今回私が「用事のある」ギャラリーは42階です。ワクワク。

ハイ、あっという間に42階のフロアに着きました。東方面の展望で、やや雲が出ていますが先ほど通りがかった新宿御苑新宿駅、隣にはコクーンタワーがデンとそびえ建っています。

東郷青児「望郷」1959年 東郷の代表作とされる(公式HPより)

SOMPO美術館(新宿駅 徒歩5分)|この街には《ひまわり》がある。 (sompo-museum.org) 【外部リンク】

東郷青児美術館(当時)】はビルの開業と同時にオープンし、「日本でもっともビルの高いところにある美術館」だったとは思いますが2020年、ビル敷地内の別棟に移され「SOMPO美術館」となりました。東郷をはじめとする日本画家の作品や今から見るゴッホの「ひまわり」もずっと階下に下りて行った訳ですね。

ですからこのような、来館者向けの新宿・都心の風景を案内するパネルも片付けられたのでしょう。一般の人は上まで上がって来ませんからね。では「ひまわり」です。

想像していたよりずっと大きな作品でした。というか、カメラ📷で撮影していいのか?

ー良かったはずです。作品名の下に ※複製画です と書いてある。という事は本物は新宿にはない??ー その辺のところはHPにも明記されていないのですがおそらく「真筆」は作品保護のため、人目に触れないところで厳重に保管されているのでしょう。

「ひまわり」の前には観賞用の長椅子が置いてあって、熱心なファンは椅子に座って何時間も作品を見続けているという事です。(今は分かりません)

フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》 | コレクション| SOMPO美術館 (sompo-museum.org) 【外部リンク】

ゴッホの「15本のひまわり」は、新宿の他、ロンドン、アムステルダムにあってそれぞれ本人が自身の作品を真似して書いたという事ですが、ロンドンでは環境保護団体が作品にトマトスープを投げつけたり、新宿の「ひまわり」についても元の所有者から返還するよう裁判を起こされているようです。

ゴッホ自身もかなり対人的な事で悩みがあったり、東郷も重婚など三角四角の女性関係を持っていたという事で、この両名はプライベートでもどうもお騒がせのようです。。。

・・街道歩きのブログでした。損保ジャパンビルからの景色を最後にもう一度目に焼き付けて私はビルを後にしました。

題名「損保ジャパンビルからの風景」2018年

ビルを下りるとすぐに行き先には東京都庁のビルが目に飛び込んできました。

「やっぱり高いなあ」と思ったらやはり新宿のビルの中でも2023年現在、一番高いビルの様です。先ほどの個人様のサイトによると高さは243メートル。48階建てで45階には無料の展望台、32階には一般利用できる職員食堂があるそうです。1990年のオープン。もうそんなになるんですね。

小池知事のいる知事室はどの階にあるのかな

新宿を出ると甲州街道(現在の国道20号)は渋谷区から世田谷区へ、鉄道の京王線はほぼ甲州街道に沿って新宿から八王子に伸びています。「京王」の名の通りですね。

新宿からは首都高が上に並行していて圧迫感があったのですが高井戸(下高井戸・上高井戸宿)を過ぎてからは、旧道にも入ったり生活感が出て来ました。

日本橋から22キロ ケヤキ並木の歩道を行く

新しく建てられた「子育て地蔵尊」大切なことを伝えていく

東京23区を出て調布市に入りました。この辺りは「布田五ヶ宿」といって5つの宿場が日替わりで「問屋業務」を行っていました。大名行列などのために人馬を用立てしたり、荷役や継飛脚(つぎびきゃく)の仕事です。

先に書いたようにもともと「将軍様の逃げ道」として開かれた街道なので、東海道中山道に比べても宿場の規模は小さく、また都市化が進んだことにより宿場町の風景と言ったものは残されていないように感じました。

調布駅前のパルコ 初日の歩きはここまで

計画ではもう少し先の府中まで行けるかもと思って府中にホテルをとったのですが、都会疲れ?したので京王線調布駅から6駅先の府中駅まで移動しました。

共に京王八王子行きの電車。特急が普通を抜いていくのだが、普通電車の方が新型のような気がする。それより八王子・高尾方面の列車の本数の多い事!

土日の8時台、に下りの八王子方面が1時間に16本。

休みの日に高尾山にどれだけの人が行くの?(笑)ちなみに休日に東京競馬場(府中)に行く人はまた別路線です。

平日朝の上り新宿行きがどれくらいの本数🚋🚋🚋があるのか。「電車が渋滞」していたりして。始発の八王子からほぼ満席という事で、府中~調布を過ぎるころにはどれほどのラッシュになっているのか想像もつかない。通勤通学の皆さんお疲れ様です。

秘境駅全国3位 飯田線小和田駅のダイヤ(比較用)

あ~このダイヤの方が落ち着くわ。俺。

府中にチェックインして、どんなものが頂けるかと思ったら大当たりの居酒屋で。

良心的なお刺身盛り合わせ 種類食べたいもんね

「今日は岩ガキありますよ」と言われて、「美(うま)しくに」三重県出身の私もビックリ。普通の大衆店(失礼)ですよ。チェーン店ではなかったけど。

「やっぱり都会には何でもあるなあ。」

またホテルの朝ごはんのヘルシーだったこと。たしか「東北牧場」という名前がついていたな。

牛乳2杯飲んできました。

明けて6月18日。京王線調布駅まで戻って再出発。今日は高尾駅までの27キロ。昨日より長いが途中寄り道しないので。お天気は🌥で一日中気温が変わりませんでした。(18℃前後)*過去の気温データ(2018.6.18)を検索

現在の調布市の出身、新選組近藤勇(こんどういさみ)の像に迎えられました。まるで睨まれているようです。こちらのお寺・西光寺は徳川将軍から御朱印地の指定を頂いたお寺で、新選組は倒幕の志士を取り締まっていた事からこのお寺の入り口に座っているのかも。

本心では「官軍には勝てない。倒幕は免れることが出来ない」と悟っていたのでしょうか。戊辰戦争に敗れた新選組近藤勇は敗走に従って甲州街道を上り下りしたのち官軍に捕えられ、東京板橋の処刑場で斬首にされます。満33歳。(1868年・明治維新の年の5月)

その目は何を見つめていたのか。

西武鉄道多摩川線を渡ります。

ボートレース多摩川から敗走するお客さん達をJR中央線に運んでいるとの情報アリ。

交差点に立つ観音菩薩

この場所での交通安全を願っているそうです。今日もよろしくお願いします。

東京競馬場のお客さんを運ぶ ひと駅区間の路線

勝負事ですから勝ち馬に乗って、意気揚々とひと区間でも乗車したいものです。

府中のシンボル、ケヤキ並木は源氏が戦勝のお礼に神社に苗木を寄進したもので千年近い歴史があるそうです。

府中宿は新宿よりも大きな宿場だったようです。古くは武蔵国国府が置かれました。

宿場の決まり事を掲げていた高札場が現存している

「秋葉常夜燈」火災に遭わない事を交代で祈る

幕府専属の馬医者を代々務めた名家で、殿さま方が馬に乗ったまま門を潜れる高さになっているそうです。確かにここで馬を下りろとは言えませんものね。・・

「わしの黒姫号の調子はどうじゃ。最近足が重いのだ」「ややお太りになったようで」「黒姫がか」「いえ馬上の殿さまが・・」(^^)

「たわけ者!今、何と申したか!」「殿様お許しを、、」・・府中ならではの馬にまつわる小噺でした。

続いては馬に代わり、牛に関係あるお話。

歩いて5分も経たないうちに、次の「谷保(やぼ)天満宮にやって来ました。天満宮(天神さん)と言えば学問の神様、菅原道真を祀る神社です。

思い切って「世界最大の電子辞書」からコピペしてきました。。

天満宮において神使(祭神の使者)とされているが、その理由については「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「道真はに乗り大宰府へ下った」「が刺客から道真を守った」「道真の墓所太宰府天満宮)の位置は

だそうです。関東では湯島天神などと並ぶ大変由緒ある神社で、牛の「後ろ」には絵馬(絵牛?)が一杯。ちらっと覗いてみましょう。

わざとぼかしてあるので、忖度してください

「事故なく 安全に 楽しく 運転できますように。」偉い。

瀧〇さんあなたなら出来ますとも。ところで「そんな野暮なことを」の野暮の語源となったのがここ、谷保天満宮だそうです。どうしてかというと、そんな野暮なことは書けないなあ。谷保天満宮 野暮」で調べてみてください。

甲州街道は谷保から、多摩川を渡って日野自動車で有名な日野宿、八王子宿へとつながって行きます。

多摩川の渡船場があったところ

現在はモノレールで川を越えていきます。

なぜか日野では昼食のカレーしか写真に残っていない

続いて、多摩川の支流を越えると八王子に入る

八王子空襲の焼夷弾の跡を覆っている

戦時中のアメリカ軍の標的にされた八王子市は、徳川家康が臣下に命じて発展させた町で甲州街道の宿場としては随一の規模を誇り、単なる逃げ道づくりだけではなかったようです。「八王子は都会だよ」と聞いてはいたのですが確かに。

休日の午後、路線バスがどんどん駅に入って行きます

八王子から高尾まではイチョウ並木が延々と続く

2日間歩いて疲れ切った頃、雨が落ちて来た高尾にゴールしました。

駅の高架から高尾山~小仏峠方面を見やる

高尾からJRで八王子~新横浜へと戻り、新幹線で帰路につきました。次回は高尾から県境を越えて甲斐国の大月までの2日間です。暑さが大敵でした。

甲州道中 小原宿 清水本陣跡(次回)

2018年6月17日(日)~18日(月)☁ 江戸日本橋⇒ 府中(泊)⇒八王子(高尾)1泊2日(約75000歩)

 

新宿から高尾まで【その3】は長くなりました。続きは下です。

ひたすら暑かった🌞 甲州街道歩き(2018)【その4】八王子~大月 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

2023年2月12日(日)更新 ■■