その①では長谷寺~大神神社~天理、その②は大阪玉造~南生駒を歩きました。「暗越(くらがりごえ)奈良街道」では生駒山地の上り坂自体が修業の場と化しました💦。
その③では、①と②の間の区間、天理から南生駒を歩きます。
仏教伝来の地・桜井から真っすぐ北に伸びる上街道で「ならまち」に突き当たり、90度曲がって奈良街道を平城京から難波(大阪)に向かいます。大阪や奈良と伊勢を結ぶ伊勢参宮街道の一部ともなっています。
「ならまち」という聞いた事のあるような、ないような響き。上の地図を拡大してみましょう。
興福寺と猿沢池の所で街道は90度折れますが、その南に「元興寺(がんごうじ)」という名前が並んでいます。
奈良時代に東大寺や興福寺と並ぶ隆盛を誇った元興寺の伽藍跡に出来た町を「ならまち」というのだそうです。気になる方は調べてみてください。
2023年10月29日(日)☀晴れ
近鉄伊勢中川~名張~桜井~天理と、近鉄とJRで移動しましたが、電車のルートが伊勢本街道(初瀬街道)~上街道にほぼ沿っています。
「これより東 ○○○○へ二里 左なら」と読めるけど、大きな文字が分からない。【追記】日本三大荒神のひとつ「笠山荒神」ではないか?
上街道(かみかいどう)を歩く。家並みは続いているが交通量も少なく歩きやすい。
おかきとあられで人気の「飯田製菓」さんの前を通りますが残念ながら日曜日定休。あられなら軽いから、歩き始めでも多分買い求めていました。
続いて街道沿いにあるのは「在原神社」。平安貴族で歌人の在原業平を思い浮かべますが。
「業平は美男子で色男」。ズバリそのように書かれていました。歌を詠んで男女が思いを交わす平安時代のベストセラー?「伊勢物語」の主人公は業平がモデルだそうです。ここが生誕地とも。
櫟本(いちのもと)という場所を通りながら「宿場町っぽいね」と同行さんが言うので後で調べてみたら東西南北の街道が交わる宿場町でした。さすが。現在も名阪国道(西名阪)が上街道のバイパス(国道)と交差しています。
このあたりの街道近くのパイパス沿いに「中西ピーナッツ」🥜という有名店があると聞いていたのですが、またしても日曜定休で縁がありませんでした (^^;)
続いては銅製の鳥居が目を引く「楢神社」(ならじんじゃ)。木の楢(ナラ)という文字を書くけど「奈良」に通じるのでは、と思って由緒を要約すると。
「第十代崇神天皇の勅命により、山陽道~北陸道を平定し、その神徳を称えられた『ナラツヒコ(奈良豆比古)命』を祀る」と書いてある。やっぱり。
こちらは「ならまち」ではなく「ならちょう」でした。
在原神社に楢神社。神様にはご縁がありますが、続いても上街道の真ん前にある帯解寺(おびとけでら)。
帯とは腹帯(岩田帯)の事で、安産や子授け祈願のお寺です。ここで祈願を受けて誕生したという「お名前」をお寺のHPで拝見するとー。
清和天皇が誕生(平安時代)⇒ 喜んだ天皇(父親)が寺を建立し、無事に帯が解けて生まれたので「帯解寺」と名付ける
徳川三代将軍家光 四代将軍家綱 何と二代続けてご利益 この2人がご安産でなかったら時代は?
そして、昭和~平成になって安産祈願されたのは、わかりやすく名前でお呼びしますが、美智子さま 雅子さま 秋篠宮紀子さま。すごすぎる。
街道を歩いたこの日も良い日和で、赤い着物をきた生まれてひと月位の赤ちゃんの初参りの家族や、七五三参りの家族で賑わっていました。
いよいよ「ならまち」に入って来ました。重要文化財の町家が目に入って来ます。
説明版を取り切って来たので拡大してご覧ください。
【外部リンク】創業安政元年の砂糖商、砂糖傳増尾商店 (satouden.com)
ちょうどランチタイムに差し掛かりました。それぞれ町家で営業しているので席数が少ない事もあってか、人気のお店は予約で一杯。柿の葉寿司のお店のお座敷がちょうど空いていたので座れました。ありがたや。
お料理が出て来る頃にはお客さん達が並び始めました。勘定をしてお店を出たら、目の前に猿沢の池が見えました。本当に「ならまち」のど真ん中でランチをしていました。ある意味贅沢かな。
【外部リンク】法相宗大本山 興福寺 (kohfukuji.com)
まるでフィナーレ🎉のような盛り上がりですが、今回の道中はまだ半分。ここで「伊勢街道」は北から西に90度歩みを変え、暗越(くらがりこえ)奈良街道に入ります。
この写真では西洋人の方の方が多いです。
伊勢参宮灯籠に腰かけて休む家族連れ 元々ここに建っていたのかしら。
あれは何?と同行さんが指さす先には平城京の復元建物が見えました。
【外部リンク】朱雀門|奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット|奈良市|奈良エリア|歴史・文化|観光 (nara-kankou.or.jp)
平城京跡を散策するのはまた後の機会とします。この後「矢田丘陵」の峠越えが控えているのです💦
スポニチが売り切れていました。前日のプロ野球 阪神8-0オリックス
垂仁天皇陵 安康天皇陵 を示す標識 ここから再び街道らしくなります。
地図で見ても奇麗な「鍵穴の形」=前方後円墳が尼ヶ辻駅のすぐ西にあり、宮内庁が「第11代垂仁天皇陵」と指定(治定)しています。
宮中に祀られていた天照大神を伊勢にお連れした倭姫命(やまとひめのみこと)が垂仁天皇の皇女と伝えられていますが、垂仁天皇陵の真横に伊勢街道(暗越奈良街道)が通っているのは何とも不思議です。
街道は現在の国道308号となっています。今回は生駒山地を越えた時の様に地獄のような(笑)上り坂ではないだろうと思っていたのですが、それでも結構な上り坂でした。
あまりにもハンサムなので、またグー〇ルマップで調べてみたら「間男地蔵尊」と呼ばれているらしいです。夫婦円満に、とりわけ奥さんを大事にという戒めなのでしょうか? 在原業平の化身だったりして??
追分(街道の分かれ道)に建つ本陣 道しるべには「右 大坂」逆からは「右 こうりやま」。振り返ったところにも古い道しるべがあって地蔵菩薩が掘られています。
地蔵尊から標高差200メートル近く登って、榁木(むろのき)峠に着きました。途中に警察犬の訓練所があって鳴き声のけたたましかったこと。保護犬の訓練も行っているとの事でした。
(横軸はキロメートル 縦軸は標高です)
天理からならまち、南生駒と今回は約23キロメートル歩いて、歩数は38000歩位でした。
「伊勢本街道~奈良・大阪」旧街道を3回に渡って紹介してきましたが、これで一段落とします。
2023年11月3日(金祝)最終更新■■
奈良の街道歩き/歩き旅 カテゴリーの記事一覧 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
ご興味ある方はこちらもご覧ください。
昭和ロマンよ、舞いあがれー。奈良の街道歩き:特別編(1) - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)