2019年9月にいわゆる江戸幕府直轄の「五街道」を歩き通した私は、五街道に次ぐ主要交通路である脇街道と呼ばれて多くの人々が足跡を残した「善光寺街道」に注目した。
現在の長野市は善光寺の門前町として発展してきたが、何でもご本尊の阿弥陀如来像は遠くインドから「仏教伝来」とともに日本にやって来たという。
阿弥陀如来像は戦国の世に各地を旅し、善光寺の「もとさや」に納まったらしいのだが、いずれにしても長野県の善光寺は「仏教伝来の地」ではないか!?
この日記をまとめようとして、初めてその事に気づいた筆者でありました。
(以下写真は筆者の撮影です)
【リンク】牛にひかれて善光寺参りとは - コトバンク (kotobank.jp)
「思いがけないことが縁で、また、自身の発意ではなくて、偶然、よい方に導かれること」。
なんて心地よい響きなんでしょう。これだけで信仰心を集めそうです!!
しかし、私は根性が悪いですから
「良い」を「悪い」に書き換えてみるとー。
「思いがけないことが縁で、また、自身の発意ではなくて、偶然、悪い方に導かれること」。
「こんな事、俺、しょっしゅうだよ~」という恨みつらみが聞こえて来るようです。
そんなお嘆きの諸兄(諸姉)に一言。
「鰯(いわし)の頭も信心から」。
こうなったら自分で調べてください。
自称「全国で一番簡単な」善光寺街道の図です!
京都方面から善光寺を目指すには、尾張経由で木曽街道(中山道)を通って「洗馬(せば)」宿から善光寺方面へ(善光寺西街道)。【太い赤い線】
江戸方面から善光寺を目指すには碓氷峠(軽井沢)を越えて中山道「追分(おいわけ)」宿から善光寺方面へ(善光寺街道)。【太い黒い線】
約1年前にさかのぼって2020年12月26日☀
名古屋から特急しなのに乗って長野県入りし特急停車駅の南木曽(なぎそ)で下車。普通電車に乗り換えてローカル駅の洗馬(せば)駅で下車しました。
特急の運転手は小柄で眼鏡姿のきりっとした(後ろからは見えないけど)女性運転手。
「年末休暇初日の朝一番の下り電車の運転を任されるんだから中央本線のエースなのかな」とその時思いました。グリーン車の一番前を奮発したので運転席の彼女のデッキ越しの風景をみていましたが、動作がキビキビとしていました。カッコよかった~。
南木曽ではホームに雪がついていたので洗馬駅で吹雪いていたらどうしよう!と少し覚悟したのですが、寒かったもののご覧の良い天気で恵まれました。ここが上の地図にあるように中山道と善光寺西街道の分かれ道「洗馬分去れ(わかされ)」。
「洗馬(せば)」の地名の由来は木曾義仲が戦の前に疲れ切った愛馬の足をこの地で洗ったとところ、勢いを取り戻したという事です。格好いい!!
「確か馬の足を洗った場所の写真があったよなあ」と思い出し、2018年に中山道を歩いた時のアルバムを引っ張り出してきました!(データで残していないのが残念。。)
洗馬宿から次の郷原(ごうはら)宿までは一本道、歩いて約1時間。
「本棟造り(ほんむねづくり)」という長野県中部から南部にかけての伝統的な住宅形式です。屋根の中央に「雀返し」という飾りがついているのが特徴。
郷原宿から今日の宿泊地、松本に向かって北に歩いていきます。
郷原宿から歩いて1時間余りの村井宿にある「神明宮(神明社)」。
全国にある、伊勢神宮をお祀りするお社です。伊勢神宮のある三重県から歩いて来ましたよ。のべ何日もかけての道のりですが。
村井宿の本陣 標高620m 出発点の洗馬からゆっくり下って来ました。
重要文化財に指定されている「中田家」。鶴亀の彫刻がされています。
松本の市街地に入ってきました。「国道十九号線」とは旧国道の名残で、地図によると現在は県道295号です。
パルコのある野麦街道の出発点です。
日本一の振り子時計が出迎えてくれる「松本市時計博物館」。ゆっくり見たかったのですが、松本城と旧開地学校の「ダブル国宝」を今日中に見学する予定なので、観覧は次回に持ち越しました。
一番日の短いこの時期、松本城の旧三の丸にあるホテルにチェックインして、登山用のリュックを置いて出発します!(善光寺西街道歩きの翌日は冬山の峠越えなのです)
松本城の天守を映す内堀を伝って、先に旧開智学校に行きました。
学校の建物が国宝に指定されているのはここくらいなのでしょうか。
「近代教育の黎明を象徴する最初期の擬洋風学校建築として、文化史的に深い意義を有する」と評価されました。国宝指定は2019年。めっちゃ最近やん。
この校舎は明治9年から昭和39年まで90年近く使われ、そのあとすぐに博物館として公開準備が進められたようです。
明治の開校当時から松本は就学率が全国一で、現在も長野県は教育先進県のイメージがありますね。
「成績不良児学級児童調査簿」(明治41~43年)。。。あららこんなのもありました。
冬の西日を受けて明るく輝く旧開智学校を名残惜しく後に、松本城の天守に戻りました。すっかり観光客気分です。
複雑で急な階段を登って、6階の天守最上階から見た北アルプスです。
戦乱の世が過ぎ、太平の世。徳川家光をお月見でもてなそうと増築された月見櫓(つきみやぐら・左手前の赤い手すりの建物)から振り返ると。
東にお月様が上がってきていました。家光も同じ景色を見ていたのかと思うと感慨深いですね。
日も暮れてイルミネーションが輝く丸の内で、食事をとろうと和食の店に入ったつもりでしたが。
まちがって隣のタイ・ベトナム料理の店に飛び込んでしまったのですが、ソフトシェルクラブ(脱皮したばかりの蟹)を使ったカレー料理に満足しました!
後半はすっかり松本市の観光日記になってしまいましたが、善光寺西街道歩きは明日からが本番。千メートル級の峠を2つも越えなければいけません。
その②に続きます。
「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その② - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
■■