中山道との分岐点「信濃追分」駅から善光寺を目指す歩き旅の3日目。宿泊した上田駅前から電車で昨日のゴール地点・千曲(ちくま)駅にやって来ました。
2021年1月31日(日)☁⛄くもり 時々雪(善光寺街道歩き 千曲⇒長野)
本来の赤とグレーのコーポレートカラー「しなの鉄道」を眺めながら北上します。今日の長野県北部の天気は「曇り時々雪」の予報でした。
街道に近い千曲市のお寺の前を行きました。「六地蔵」とあるのに7体??真ん中はお地蔵様ではなく石造りの観音様でした。
やはり赤とグレーのコーポレートカラーは目を引きます。
明治21年から90年間使われました。玄関や窓など和洋折衷のつくりが松本市の旧開智学校と似ています。
何となく「松本の教育に追いつけ追い越せ」のような精神を感じました。建物の色が良いですね。
「昭和53年まで使用」。昭和41年生まれ(私と同い年)の人は「学び舎と一緒に卒業」したのですね。
どれだけ感慨深かった事でしょう。
この写真は前回、善光寺西街道と善光寺街道の合流地点を過ぎて撮った写真ですが、再び前を通ります。「歯瘡医殿(しそういでん)」。
江戸中期の創建で歯槽膿漏や歯痛に霊験あらたかだそうです。
歯の病気は消化器のガンや二次感染症など万病の温床になるという事なので、口内の健康には努めたいですね。(歯周病が進んでいる人はコロナ感染で重症化しやすいというデータがあります)
午前11時過ぎでしたが、並行するバイパスに西友があったので総菜のチキンカツを買って、持っていたおにぎりと共に食べました。イートインのスペースがあったので。
観音堂(地蔵菩薩もおわす)を過ぎれば、善光寺手前の宿場「丹波島(たんばじま)」宿です。犀川(さいかわ)の川渡しを控えて賑わったそうです。
オロナイン軟膏のホーロー看板は大村崑のオロナミンCと並ぶ昭和の「大看板」です。だんだん見かけなくなってきました。「アース渦巻」「ボンカレー」・・・
長野駅前からまっすぐ北に向かって、表参道はゆるい上り坂になっています。
コンクリート造りに見えるものの、何と木造3階建てで国登録有形文化財だそうです。
善光寺入り口の仁王門 存在感があります。お寺側からは街道の起点となります。
善光寺の仲見世通り「コロナ禍でも大賑わい」などとタイトルがつくのでしょうが。
わずか1分以内に撮った写真がこちらです。上とは全然違うタイトルがつくのでは?
撮影の仕方によって人通りは多くも少なくも見せられるので、皆さんもマスコミの印象操作にはご注意ください これからも。
善光寺の三門は1750年建立の国指定重要文化財です。奥に本堂がのぞいています。
東海道歩きでは「江戸日本橋」と「京都三条大橋」は街のど真ん中にある道路の起点という感じで私は「到達感」はあまりなかったのですが、長野善光寺は街道の終着にふさわしい存在でした。
伊勢神宮や日光東照宮を目指す伊勢街道・日光街道も同じ趣があります。
本堂は1707年再建の国宝 けっしてお寺本来の姿ではないのでしょうが、今日も善男善女が参拝に訪れます。
大きな町だなあ。長野市。原田が、船木が大ジャンプを放った1998年長野冬季五輪の開催中心地でもあります。
東京五輪はいったいどうなるのだろう。エンブレムをみてつぶやいた2021年1月末の善光寺街道歩きでした。
2022年1月5日(水)三重県津市の自宅で更新
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「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その① - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)