kotarosandayoneの日記

街道歩きを中心に、風景などをアップしています

「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その③

🎍新年あけましておめでとうございます。

正月三が日も実家からどこへも出かけないので、昨日の大晦日に続いて日記を更新します。(ほかにする事ないんかい)

過去2回は京都方面(西日本)から善光寺を目指す善光寺西街道」を紹介しました。

今回からは3回に渡り、東の江戸方面から善光寺を目指す善光寺街道を紹介します。

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国宝の善光寺本堂(2021年1月撮影)

再三出している手書きの地図ですが、赤い線が「善光寺西街道」黒い太線が「善光寺街道です。

中山道はすでに踏破しているので、その続きというか、分かれ道の「追分」宿から歩いて3日間で終着の善光寺を目指します。

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名古屋からは在来線のJR東海「しなの」で終着手前の篠ノ井まで乗車、そこから折り返す様にしなの鉄道で「信濃追分」駅まで。

時間も料金も費やしての善光寺街道」歩き旅のスタートになります。

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2021年1月29日(金)晴れ(善光寺街道 追分⇒田中)

次第に田んぼが雪景色になって、浅間山が近づいてきた頃はもう午前11時近くになっていました。

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駅の看板には「ようこそさわやか軽井沢へ」の文字。全然さわやかじゃない。

標高958m 極寒の中、善光寺に向けて2泊3日の街道旅のスタート。お昼前だったからまだ良かったが、早朝だったらちゃんと出発できたのかしら?

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うーん。確かに軽井沢らしいと言えばらしいけど。シーズンオフ!!

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「追分」宿の中にはこのような本箱がいくつかあって、自分の本と本箱の中の本を交換できるとありました。

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「追分分去れ(おいわけわかされ)」中山道善光寺街道の分岐点。標高981m。

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近くには処刑場がありました。ブルブル。

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同じ敷地内には名探偵シャーロック・ホームズの像がありました。謎です。

善光寺街道に沿うようにしなの鉄道(もと信越本線)が通っているのでいざという時にはエスケープできますが、時間の限られた初日にどこまで歩けるか。どこで計2泊するか。

いつもの予定表を書いて、家に置いて来ました。(歩数やお天気は帰って記す)

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初日は信濃追分から「田中(たなか)」宿(田中駅)まで歩いて、上田駅まで電車で移動して宿泊し、2日目は続きの田中から上田を過ぎて「下戸倉(しもとぐら)」宿あたりまで歩き、再び上田で泊まる計画にしました(2泊3日)。

「道中はいろいろ寒々とした行程なので、宿泊はやはり町の真ん中で」。スタートしたばかりですが、「あー早く、上田のホテルの大浴場に浸かりたい」。。

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さすがにド迫力の浅間山(あさまやま)。標高2568mの日本百名山活火山のために登頂が禁止されています。

大きく口を開けているような崩壊地もすっぽりと雪に覆われていました。この景色が見たかったのです。先を急ぐ旅ではありますが。

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標高2404mの黒班山(くろふやま)浅間山外輪山で、こちらを登ると浅間山の代わりに100名山を登った事になるのだそうです。

外輪山とは思えない堂々とした姿でした。いつかあの頂上から浅間山を眺めてみたいな。

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国道18号線を「小諸(こもろ)」宿に向かってどんどん下って行きます。

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出ました!!「平原の松(ひらまつのまつ)」善光寺街道の名所です。

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かつての参勤交代の大名も絶賛したという、一本の幹から左右に長く長く伸びた黒松。植木職人が何代かかって面倒を見ているのでしょうか。(小諸市指定保存樹木)

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その名も「唐松」という交差点から真ん中の細い道を小諸の街に入っていきます。

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立派な「袖うだつ」の建物があったり(着物の振袖のようなものです)。

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シックな石造りの建物があったり。

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いかにも「祭りだワッショイ!」的なお店があったり。

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しまいには、建物がないのに門だけが残されてあったり。さぞかし名門なのでしょう。

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小諸宿の脇本陣代をつとめた「そば七」。さすがに通りかかった午後には売り切れ。おそらく並んでも食べたいお店のはず。

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中心部をなす小諸城はかの武田信玄の築城で、大手門は国指定の重要文化財です。

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同じく重要文化財の三の門。日暮れまであと2時間しかないので写真に収めるまでに。

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地元出身、江戸時代の最強力士と伝えられる雷電(らいでん)の碑がありました。

大関(当時の最高位)に昇進し、さあ全勝優勝へ、という中で江戸中にインフルエンザが流行して本場所の途中で打ち切り。

一つ場所前には第一人者の力士・谷風が連勝中のままインフルで亡くなったそうです。流行り病はいつの時代も恐ろしいものですね。

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拡大して読めます

急いで歩きましたが、終始下り坂だったのと晴天に恵まれ、初日は予定通り、「田中(たなか)」宿に着きました。現在の東御(とうみ)市の中心部です。

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田中駅で観光列車「ろくもん」(ろくもんと言えば真田家です!)を見送った時に夕陽が落ち、ゾクリと寒くなりました。さすが内陸部の冬。

各駅構内にはダルマストーブが置いてあって、電車待ちの学生らがストーブに当たっていました。

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ここでポケットから片道240円の切符を落としてしまったのは内緒です。

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北陸新幹線も停車する上田(うえだ)駅前は賑やかで、大手チェーン店のホテルに落ち着きました。1階のレストランで食べたのは牛ではありません(ヒヒーン、です)。

明日はまた田中宿に戻って歩き始め、いよいよ上田城入り(格好いい)、更に北へ向けて歩みを進めます。

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六文銭をあしらった上田市のマンホール

善光寺街道善光寺西街道を歩く(その④)に続きます。

2022年1月1日(土) 三重県津市の自宅にて更新

「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その④ - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

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