三重県亀山市と岐阜県関ケ原町を起点とし、東海道と中山道をつなぐ「巡見道」のルートに戻って(笑)その②は、菰野町からいなべ市北勢町までの道のりを紹介します。
2021年6月6日(日)☀晴れ
菰野町の中心部・東町商店街から歩き始めます。この区間は菰野町と四日市市を東西に結ぶ「湯の山街道」と重なっている区間です。
酒店の看板もいくつか目にしましたが、「????」となったのがこちら。
菰野の地酒「大物(おおもの)」やるなあ。飲んでみたい。大物になれるかしら
四日市市の中心部を流れる「三滝川」の源流は御在所岳(写真の一番高いピーク)と隣の国見岳の間の谷です。
この辺りでは洪水を防ぐ堤防が二重に築かれました。
「つい先週登ったばかりなんだよな」とつぶやきながら巡見道を北に向かいます。
各地への距離を示す道標から「巡見新道」と「巡見旧道」に別れていましたが、後述するように「伊勢西国三十三所霊場」の尾高観音(おだかかんのん)により近い旧道を進むことにしました。
【リンク】こちらの地図を参考に歩いています。
みえの歴史街道/ウォーキング・マップ:巡見道 (mie.lg.jp)
「巡見道マップ」の表紙にもなっている常夜灯に近づいて来ました。
朝明川の左岸の丘陵地をどんどん登っていくと「三重県民の森」に入ります。
ここは1980年(昭和55年)に全国植樹祭が、13年後の1993年(平成5年)には全国育樹祭が行われました。
全国植樹祭で昭和天皇が植えられたヒノキを、全国育樹祭では今の天皇陛下(当時は皇太子殿下)がお手入れされたそうです。
三重県民の森で「おじいちゃんが植えた木」をお世話したわけですね。そうと知っていれば探したのに?またの機会にでも。
サツキはちらほらと咲いていますが、きれいに刈られた芝生を見ていると何だかゴルフがしたくなってきました(笑)。そんな雰囲気ありませんか?
【リンク】園内マップ | 三重県民の森 (mie-mori.jp)
乗馬クラブの角を曲がって西に進むと「尾高観音(おだかかんのん)」の境内に入っていきます。
尾高観音は「伊勢西国三十三観音霊場」の元?二十五番札所となっていて、この六角堂は1851年に建立されました。150年以上前ですね。
千手観音が祀られているようです。お堂の中の様子は分かりませんでした。
歴史街道マップでは巡見道から尾高観音まで往復するように紹介されています。
【リンク】みえの歴史街道/ウォーキング・マップ:巡見道 (mie.lg.jp)
竜ヶ岳は名の通り、竜が尾を手前にとぐろを巻いて座っているような形で、冬は真っ白になります。
いなべ市大安町にある距離標識「東京まで422粁(キロメートル)津まで59粁」
東京と津が併記されているのは格好いい さすが?県庁所在地
遅い昼ご飯 調べてあったカフェで日替わりランチをまだ頂けました!
コンビニ等もないので助かりました お水もお代わりしたような 「Cafe きら」さん。
この道「巡見道」はかの伊能忠敬が測量のために1814年(文化4年)に通っているそうです。
名高い幕府のお役人の一行を街道筋の集落はどこも総出でもてなしたのでしょう。
忠敬はその時すでに70歳。(全部三重県の歴史街道マップの受け売りでござる)
三岐鉄道の名の通り、昔は三重の四日市から岐阜の関ヶ原まで、まさにここから進む「巡見道」のルートに沿って鉄道が計画されていたようです。
三岐鉄道は岐阜県まで伸びることはありませんでした(今のいなべ市藤原町内が終点)。
ここからもうひと踏ん張りで、もう一つの三岐鉄道「北勢線」に乗って帰ることにしました。
いえ、これはかつて三岐鉄道(旧近鉄)北勢線を走っていた電車の展示で、今終着駅に入って来たクリームと緑のツートンカラーの電車に乗って帰ります。
これも「三重交通」時代の復刻カラーです。レールの幅は76センチしかありません。
JR在来線の「狭軌」(1067mm)よりもずっとせまい「特殊狭軌」(762mm)で現在も地域の貴重な足であると同時に鉄道ファンも全国からせっせと足を運びます。
その①では亀山⇒菰野 その②では菰野⇒いなべ と歩いて来ました。その③では県境を越えて岐阜県側の巡見道の起点、関ヶ原まで歩きます。
ブログを書いているこの冬は大雪で、とてもではないが歩けない区間です。
2021年6月6日(日)☀晴れ 巡見道歩き その②
三重郡菰野町 菰野駅~いなべ市北勢町 阿下喜駅 歩行(所要)時間 6時間10分
2022年2月22日(火)更新
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