2020年6月20日(土)☀晴れ つづき
紀伊長島を出発点に南伊勢町の海岸に沿って歩いています。「7つの海」のうち方座浦(ほうざうら)から神前浦(かみさきうら)に向かいます。
坂はしんどいですが、特に旧南島町の中でも海岸が入り組んでいて素晴らしい景観です。
【問】全国津々浦々(つつうらうら)の「津」は一言で言うと港ですが、「浦」の意味は何でしょうか?
【答えその1】陸地に海が入り組んでいる地形(湾より小さい)
【答えその2】「浦」は海岸の集落(漁村)そのものを指す
阿曽浦 慥柄浦 贄浦 奈屋浦 神前浦 方座浦 古和浦・・それぞれが地名になっていている事から
【答えその2】も当てはまるようです。さらに、旧南島町周辺では
【答えその3】「紀州徳川藩に海上交通の水夫を提供した集落」という事を文献で知りました!しかもその見返りとして「浦」に対して漁業権が与えられたというのです。それらを集めて【南島七浦】という言い方があると知りました。
神前浦は旧南島町役場のあったところです。
【南島七浦】にはそれぞれ漁協があり、組織上は合併が進んでいますが漁業権そのものは浦ごとに残っているのだそうです。
ここからは現在の国道260号を東に向かいます。50年以上前に掘られたトンネルには歩道スペースがありません。
朝の出発から8時間以上歩いて今日の宿泊地 南伊勢町東宮(とうぐう)に入ってきました。日本の主な港を結び、江戸や大阪に米や材木などを運んだ「西廻り航路」「東廻り航路」は日本の歴史で習ったと思いますが、航路を開いた河村瑞賢(かわむらずいけん)はここ南伊勢町東宮の出身です。
【リンク】南伊勢町公式ページ
日本の偉人 河村瑞賢 生誕400周年記念サイト (minamiise.lg.jp)
【日本の歴史上の三重県出身の偉人】
有名なところでは本居宣長・三井高利(松阪)、松尾芭蕉(伊賀)などがあげられます。また、北海道を一周してアイヌ民族との文化交流に努め「北海道の名付け親」となった松浦武四郎(松阪)。
本州を一周する航路を開いて物流の発展に努めた河村瑞賢(南伊勢)、その航路で三重県の白子から江戸に向かって出発したものの何故かロシアのサンクトペテルブルグまで行く羽目になってしまった大黒屋光太夫(鈴鹿)など三重県出身者にはスゴイ人がいっぱい。
しかし私の一番のお勧めは発音の母音と子音を明らかにして「いろはにほへと」を「あいうえお」に並べ替えた津市出身の谷川士清(たにがわことすが)。
みなさん、今も「いろはにほへと」だったらどうしますか? 例えば「中村」を「NAKAMURA」とローマ字に置き替えて外国人に自己紹介すら出来ない。
パソコンで日本人は全員「かな変換」で打っている。
スマホのメールもラインも、、
今も「いろはにほへと」だったら文字打てますか??
この事に気づいているのは世界中でたぶん私だけなので、あえて南伊勢の偉人・河村瑞賢の所で脱線(🚢難破?)させてください。
「だからこたろーのブログはいつも【大廻り航路】でなかなか到着しないんだよ~」
国道260号に沿って、古いトンネルが歩道用に残してくれてありました。「道隧宮東」(右から左読み)とあります(指で拡大)。
何だか異様なトンネルを抜けたら、コンビニがあります。元スーパーで色々なものが売っていて、私にとっても「ビールやらなんやら」を買い込める!(明日のお昼ご飯も)
紀伊長島を朝出発して今日もまた9時間。夕方5時40分に東宮のお宿「ニューまつおか」さんに到着!
ど~です。中々豪勢でしょ。と食べ進めていたところで
今日のメインディッシュ カツオのハラモ(腹の身)が登場。
腹は鮮度が命🙌これこそ地元料理。今ブログを書いている2年半前の旅先の晩御飯だけどインパクトがありました(とても美味しかった)。
お風呂も頂いたし、朝ごはんも食べたけど、疲れていたのかあんまり覚えていない。翌朝は早めに出発して三重県最大の漁船の基地である【南島七浦】のうちの奈屋浦を訪ねます。(3)に続きます
2022年11月13日(日)更新
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三重県の海岸線を歩く 紀伊長島~志摩市の海岸線をのべ5日間で歩く🐾(3) - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)