「最古の~」シリーズもその⑥に突入しました。今回は大阪府堺市をスタートして竹内街道を東に歩き、前回のゴールである太子町までの歩き旅です👞👞(下図)。
1泊2日の行程で、初日は世界遺産の「百舌鳥(もず)古墳群」を周遊して、堺市の中心部で夜を少したしなみ(笑)、翌日は日本遺産の「竹内街道」を進んで「古市(ふるいち)古墳群」をかすめて最後は羽曳野特産の🍷を仕入れるという算段。
「計算」通りにいくのか、いかないのか。その誤差を楽しむのが歩き旅の醍醐味?
堺港は中近世まで貿易港として栄え、バスにも南蛮人や宣教師の姿が描かれています。
駅前の便利なホテルにリュックを預けました。今日は身軽に動きます。まずはお向かいの堺市役所高層館。
「上から百舌鳥古墳群を見てみよう」。21階の展望フロアは市役所休みの土日祝日も開いていて、360度の景色を見られます。日本(世界)ナンバー1の仁徳天皇陵はデカすぎて下から見ても良く分からないから、と思って来てみたら、
【百舌鳥古墳群】(もずこふんぐん) 前方後円墳など44基が現存し、いずれも堺市内にある。古墳の長さ(墳丘の長さ)が約500メートルある仁徳天皇陵を筆頭に、23基が2019年、「古市古墳群」と共に世界文化遺産に登録された。
せっかくなので360度の景色を眺めていきます。
お天気は⛅と言った感じだが、ボランティアガイドの人によると「今日は遠くまで良く見えますね」という事でした。フロアを一周しようとすると目の前に赤い壁が出現。
レンタルビデオ屋のパーテーションの様に見える(私のイメージ)が、堺市出身の劇画家「さいとう・たかお」氏の展示が常設されています。
単一漫画シリーズ210巻のギネス世界記録を持つ「ゴルゴ13(サーティーン)」や「鬼平犯科帳」などは今もコンビニや書店の棚を飾っている。
「俺もこの目で見た事しか信用したことがない(笑)」
私、こたろーの座右の銘である。というか今の時代には誰しも必要なポリシーではないだろうか。実際にはブログを書くのに「ウ〇キペディアのお世話になる」事はしょっちゅうである(ただし、あくまで参考とする)
「日本最古の官道」竹内街道は堺を起点に東に「ならのみやこ」に向かって伸びている。エレベーターを降りて、これから実際に歩いて、この目で確かめる(大層な)。
堺市役所を起点に、前半は竹内街道をゆき、後半は主な百舌鳥古墳を巡るコースを考えました。ちゃんと計っていないけど10キロ位はありそう。
こちらの方違(ほうちがい)神社は古くから方災除けのご利益があり、人々を吉方に導いてくれるのだという。あしたは節分会。多くの参拝者で賑わうだろう。
神社と古墳の東に沿う道はかつての熊野街道。2017年の暮れに歩いた区間が一部重なり、うろ覚えながらも懐かしい気持ちで歩く。
【反正天皇陵(はんぜいてんのうりょう)古墳】百舌鳥古墳群の北端にある前方後円墳で、古墳丘の長さは148mで6番目の大きさ。世界遺産。宮内庁が第18代反正天皇のお墓と定めている。
そのころは熊野街道(熊野古道)を制覇するのに関心があって、竹内街道をのちに歩こうとは思っていなかったが、また戻って来たんだなという感慨がありました。
推古天皇21年(613年)の11月、「難波より京(みやこ)に至る大道を置く」という記述が日本書紀にあります。
竹内街道はこの先まっすぐだが、駅へのアクセスや今日の行程を考えるとここまで。「あしたはジョリーパスタ🍝の所から続きだな」と覚えて、南西方向に進む。
可愛い「か・ん・ば・ん」。百舌鳥古墳群の大きさベスト1、3、4、7が描かれています。「ん」だけ残念ながら方角と時間の都合でまたの機会とする。
この4つの古墳の中では作られた順番に「ん」「か・ば」「ん」だそうです。いずれも西暦400年代の話。
こっちの看板はコワイぞ。
この辺はコフンだらけだけど、以前熊野街道を歩いていた時は堺辺りはフンだらけで避けながら歩いた事を思い出しました。失礼しました。
【御廟山(ごびょうやま)古墳】正面が西を向いている前方後円墳で、古墳丘の長さは203mで4番目の大きさ。世界遺産。宮内庁が第15代応神天皇のお墓の候補地としている(ただし応神天皇陵は羽曳野市にあり、古市古墳群の盟主となっている)。
堀の幅がとても広いので、古墳丘の全体が納まっているけど実際目にすると大きいですよ。さらに西隣の「いたすけ古墳」に進みます。
するとびっくり!古墳に木が生えていない。
手前が「後円」。斜め奥が「前方」。古墳本来の形がすごく分かるんだけど、どうして(はげ山)になった?? 知りたくてたまらなくなったところ、ちょうど女性2人が散歩していてこっちに向かってくる。
「すいません。この古墳はどうして毛がないんですか、違う、木がないんですか?」(落ち着け。今日は吉の方角に導かれているはずだ)
「さあ、私が越して来た時はまだあったけど、越して来たの何年前やったっけ?」。
どうやら数年前の事らしい。「その時は重機で木を刈って、草が生えてきたらまた秋に刈って。」「宮内庁?」「もちろん宮内庁。」
2人は古墳群のまわりを散歩コースにしているみたい。大きな古墳をつないで回れば、結構な距離を歩ける。
「古墳ごとに違う鳥がおって楽しいよ。ここには時々狸も来る」。「狸?(狸の森は消滅しているけど)」「まだたまに来るみたい。タヌキは泳ぐよ。なあ、私が越して来たの何年前やったっけ」。ずいぶん時間をとらせたような気がする。
お礼を言って別れて、前方部に回ってみる。四角と言ってもなだらかなピラミッドの様に中心部が高い事がわかる。ちなみに、はげ山でも世界遺産。
案内板には「かつて住宅地造成で古墳が壊されそうになった所を反対運動が起こって教師や子供たちがその役を担い、市が土地を買い取って(私有地だったのか?)保存した」と書かれている。
「いたすけ古墳」は市民の「おたすけ」で今にその姿を伝えているのだ。タヌキの親子もまた遊びに来るだろうか。
【追伸】こういう記事もありました。
大阪)タヌキがすむ「いたすけ古墳」で樹木伐採スタート [大阪府]:朝日新聞デジタル (asahi.com)
古墳めぐりはまだまだ続く。この後ナンバー2の履中天皇陵とナンバー1の仁徳天皇陵が控えている。仁徳陵は日本最大どころか世界最大だ。
ひとしきり古墳の周りを歩いた後は、駅前のお寿司屋さんに入って、成城石井でワインを仕入れて、ホテルで1人まどろむのだった。(⇩につづく)
「最古の官道で最高の感動を」その⑦(了)古墳と羽曳野のワイン🍷にコーフン 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
■■