「最古の官道で最高の感動を」のコピーはこちらから。
竹内街道・横大路(大道)について | 竹内街道・横大路 (saikonokandou.com)
URLからして気合が入っていますね。ぜひ⇧リンクして下さい。
先に知識を入れて頂くと私もブログの説明が長くなくて済みます。
・・というのは冗談で、いつものように(だらだらと)書き進めますが、この官道(昔の国道)を歩いてみて、あちらこちらで興奮&感動(≧▽≦)したので記憶が薄れないうちにまとめていきます。
最初から借り物の写真ばかりで申し訳ないのですが、奈良県高田市~橿原市~桜井市を東西に結ぶ「横大路(よこおおじ)」は、西につながる「竹内(たけのうち)街道」とともに日本書紀に「大道」と記され、
「優れた大陸文化が都にもたらされ、中世には堺と大和を結ぶ経済の道、江戸時代には西国巡礼や伊勢詣でなど宗教の道として栄えました」(大道沿い旧家の説明書きより)
というわけでその①は「古墳にコーフン💕」編です。
久しぶりにアーバンライナーのデラックスシート以外の普通席に座りました(偉そう)。名張から大和朝倉までは「急行」という名の各駅停車に乗り換えます。
2024年1月13日(土)⛅一時🌂 奈良市の最低/最高気温 2℃/10℃
駅の案内図です(拡大できます)。
大和朝倉駅は「横大路」とテレビでも良く取り上げられる「山の辺の道」の分かれ道にあたり、スタート地点にピッタリです。
歩きなれた「伊勢本街道」。その先で「横大路」と「山の辺の道」に分かれます。
サンドウィッチマンの漫才のつかみ風に言えば「世の中興奮する事いっぱいあるけど、古い街道の道しるべほど興奮することないね」「間違いないね」。👈私の場合こんな感じです!
「横大路」「山の辺の道」の分岐点なのに道しるべの半分はコンクリートに埋まって、もう一本は折れたように横倒しになってる。
「みぎ? ひだ里よ(しの?)」・・ひっくり返っている方は?
○の通ひ路」。どなたか手伝ってください~
ピンク色の国道165号と近鉄大阪線に沿って横大路(オレンジ色)を西に向かいましょう。
どうやら土塁が3重になっているようです。右から回り込んでみよう。
【国指定史跡】だって。「三段築成の前方後円墳」やっぱり、こたろーの3重の見立ては正しかった!!~ (ガッツポーズ)
『古墳時代前期のもっとも典型的なものとして重要な遺跡です』(桜井市教育委員会)※写真はそれぞれスマホで拡大できます
今回の旅ではホンの序の口。続いて目指すは「桜井」の名前の発祥となった井戸。非常に楽しみです。
道祖神やお地蔵さんなどが集められています。いろいろな信仰の道が交わっている様です。
黒っぽい旧家・商家の多い通りにあって朱塗りの家はよく目立ちます。近江地方でよく見ましたがそちらの出身でしょうか(商家)。
ここは横大路と上街道の交差点です。大阪工大建築学科制作の道案内図。下が北。
横大路を南北に横切る街道は「上街道・中街道・下街道」とあって、さらに「上ッ道・中ッ道・下ッ道」があります。しかも「中街道」が「下ッ道」にあたり、なんともややこしい。なんとか地図に落としてみましょう。
青い縦線が右から「上ッ道・中ッ道・下ッ道」となります。いずれも地図の東側が大阪湾からみて川上になるのでこういう名前がついています。
北に伸びる上街道 以前はアーケード街だったようです。
「桜の井」を通り過ぎそうになって、慌てて戻りました。
大和朝倉駅からスタートしてここまでちょうど1時間。見どころが多いですがこれでも多少「カット」してあります。
この日は結局8時間歩いて、1泊2日で計350枚の写真を撮りました。写真を厳選しながら、ブログは何回かに分けて更新していくのでどうかお付き合いください m(__)m
民家と畑の間からのぞく、「いかにも」な土積み。「この先立ち入り禁止」とあるから別のアプローチを探します。興奮を抑えつつスマホで国土地理院の地図を拡大します。
「くさ墓(ばか)古墳」というのだそうです。こんな字が使われているんですね。「草」の象形文字みたい。
正面に回り込めました。口が開いている・・
もう、コーフン度MAX💕です。中に入ってみましょう。。
🔦🔦🔦
・・中でものすごいものを見ました・・・!
【つづく】
2024年1月20日(土)更新
古墳探求からちょうど1週間 今も興奮がよみがえってきます。(続きは⬇️コチラ)
「最古の官道で最高の感動を」その② 三人寄れば文殊の知恵 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
横大路を歩く(慈恩寺追分の辻から八木まで) その1 ~現代に残る歴史の証人たち~ | ええ古都なら (nantokanko.jp) 【こちらもぜひどうぞ】
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