【前のページ】「最古の官道」エピソードⅠ 大阪藤井寺の夜に大コーフン🥃🐃💕編(2) - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
前日は雨の古墳歩きから始まって夜は大コーフン🐃⚾️でしたが、本日は雨雲も取れて二日酔いもとれ?河内松原から藤井寺まで電車で移動。古市(ふるいち)古墳群を周遊します。
朝8時半ころ藤井寺駅をスタート👟。ゆうべお世話になった「ミスターバファローズ🐃」栗橋茂さんのお店をかすめて、商店街を抜けたところに市の名の由来である葛井寺(ふじいでら)があります。
【葛井寺(ふじいでら)】7世紀前半の創建。国宝の十一面千手観音菩薩は日本最古とされ、毎月18日に御開帳。西国三十三所第五番札所として知られる。
葛井寺が「ふじいでら」と読むとは知らなかったので、西国三十三所だと気づいたのは何と帰宅してから。(休日の朝から参拝者が絶えないなと思っていたのですが)
千手観音と藤の花を「両取り」しようとすると4月18日になるが、そうタイミングよくいきますかどうか。
葛井寺の表参道の様なたたずまいを南に下ると、見た事もないような形の建物が。
船形埴輪を模した建物で正式には「藤井寺市立生涯学習センター」。1994年の開館で市の財政も融通が利いた頃の設計とみられる。
見た目の迫力だけでなく日本最古の「船形埴輪」「水鳥形埴輪」、市内の古墳の模型などが展示されていて、開館前の時間で立ち寄れなかったが興味深いと思いました。
そこから西に進むと、世界遺産「古市古墳群」の中でも3番目の大きさを誇る「仲哀(ちゅうあい)天皇陵古墳」に行き当たりました。例によって全体像がつかめる「前方部」の角の所に移動する。
第14代:仲哀天皇 第15代:応神天皇 第16代:仁徳天皇 の直系3世代となり、古墳の大きさも歴代の天皇と比べても申し分ないが(墳丘の長さ245メートル)、初代神武天皇~仲哀天皇はいわゆる「神話時代の天皇」となるらしい(諸説あり)。
住宅地の中に突然現れる古墳。一辺20メートル程の方墳でさすがに世界遺産登録はされていないが、立ち入りを禁じられている。近くには、今から訪れる「仁賢(にんけん)天皇陵」に納めた埴輪を焼いていたという窯跡も発掘されている。
第24代仁賢天皇は仁徳天皇のひ孫にあたるが、立派な拝所とはうらはらに世界遺産登録のリストからは外れています。どういう基準なのか調べても分かりませんでした。墳丘の長さは122メートル。
赤い線のルートを歩いて来ました。前回歩いた最古の官道「竹内(たけのうち)街道」に接近している。この後青いルートを歩きます。ひときわ大きいのが「応神天皇陵」。
公式の看板はつねに古墳の正面にあるとは限らず、見つけるとホッとした気持ちになります。
応神天皇陵までは、ささっと紹介します。何せ古墳は同じような写真ばかりなので(^-^;。
単なる子供の遊び場の様な、これでもれっきとした世界遺産登録の野中古墳(方墳)。よく宅地造成等でブルドーザーにペチャンコにされなかったものです。出入りも自由。
古い写真と新しい写真を見比べると、道路やまちの移り変わりが良く分かって面白い(古墳の形が変わっていたらビックリするかも?)。
いよいよ応神天皇陵の外堀に差し掛かりました。大きすぎて良く分からない。後で見つけた案内板の写真を引っ張って来ましょう。
【応神天皇陵】(大阪府羽曳野市)第15代・応神(おうじん)天皇の墓と定められている。「鍵穴」の形が仁徳天皇陵(堺市)とくらべても太い。その墳丘の長さだけで425メートルを測り、
仁徳陵が全日本プロレス(百舌鳥古墳群)のジャイアント馬場とすれば、こちらは新日本プロレス(古市古墳群)のアントニオ猪木。
空からの映像でないと双方の比較になりません。とかなんとか言いながら歩みを進めているのですが、
なんとか古墳の角っこに来ました。これで長辺が全部見えているのかな?
応神天皇陵の拝所に着きました。やはり背筋がピンと伸びますね。国家(世界)の平安を願ってもし叶うなら、この頭(ワタシ)などいくらでも下げるのですが。持続可能な社会づくりに自分たちが出来る事はなんでしょうか。
いよいよ古墳めぐりの旅も終盤です。
「大鳥塚(おおとりづか)古墳(藤井寺市)」。墳丘の長さは110メートル。大王級の古墳に次ぐ大きさで、天皇の側近の墓ではないかと考えられている。木が茂っていないので前方後円墳の形が良く分かります。
「赤面山古墳」。古市古墳群のうち、現在も保存されている中でも最小クラス。西名阪自動車道に覆いかぶせられているが、今もしっかりと「大鳥塚古墳」に仕えている。高速道路の側道も曲げて作られている。
あと3つです。続いては歩いて登れる世界遺産、古室山(こむろやま)古墳。墳丘の長さ150メートルで古市古墳群中第9位の大きさ。
紅白の梅が咲いていて何だかうれしい。柵に囲まれているが、向こう側に出入口があるようで中では親子連れが散歩していました。
○○王の墓とは定められていないが、やっぱり緊張するな。
⇧スマホで思い切り拡大して、あべのハルカスと六甲山?が見えたあなたは神。
高さ15メートルの頂上(後円部)に着きました。幾度となく眺めた二上山や葛城山が良く見える。
今回の写真で一番「前方後円墳」の形が分かるのではないでしょうか。ちなみに手前(前方側)に生えている大きな木は🌸🌸。1か月後にぜひ訪れてみたいな。
あと2つ。古市古墳群の中で2番目に大きい「仲姫命(なかつひめのみこと)陵古墳」。応神天皇の皇后だそうでその大きさも納得。
案内板の写真を見ると、まるで大奥の様に「お付きのもの達」を従えています。
さきほど応神天皇陵を新日本プロレスの「アントニオ猪木」に例えました。この古墳を応神天皇の「伴侶」とするなら、倍賞〇〇子さんではなく、同じレスラーの「藤波辰爾」に例えます。
一方、初日の最初に拝んだのが第19代・允恭(いんぎょう)天皇陵(⇩)。こちらは世代交代を唱える維新軍の「長州力」。
【※以下はこたろーの妄想ストーリーです・・・】
長州「猪木。次はお前の首(世代交代)を狙ってやる👎️」。藤波「俺と勝負しろ💥俺に勝たないと猪木さんとは勝負にならない」。猪木「どっちでも来るなら来いよ❕🔥」。
古墳の配置や向きを考えると「時代を超越した天下取り」に見えてきます。真の帝王はいったい誰なのか? 馬場?猪木?藤波?それともプロレス史上最強と云われたジャンボ鶴田?
さて2日間かけて歩いて、「長州と藤波」古墳⚱️対決のレフェリー的な位置にある近鉄土師ノ里(はじのさと)駅に戻って来ました。皆さんもお疲れ様です。
おっと忘れていました。古墳を訪ねる旅・最後のひとつは可愛らしい名の「鍋塚(なべつか)古墳」。駅の出入り口の本当に正面。
鍋塚古墳は本来の大きさより小さくなったが、「世界で一番駅チカの世界遺産⚱️」に認定しておきます(笑)。
言われなくても、駅舎の屋根が前方後円墳に見えたあなたは免許皆伝です。
全日本プロレスと新日本プロレスの総帥同士、馬場と猪木は決して戦う事がありませんでした。百舌鳥(もず)古墳群と古市(ふるいち)古墳群。それぞれ別の団体の様に堺市と藤井寺市・羽曳野市に点在していますが、ものゆわぬ巨大な土の塊。「日本のかたち」を紐解く古代ロマンの象徴を訪ねる旅でした。では最後に皆さん一緒にお願いします!
「1、2、3、古墳にコーフン💕💕💪」
待ってろ藤井寺のヘラクレス。今度行ったらボトルを入れてやるからな!(笑)
2024年3月2日(土)初回更新~エピソードⅠ おわり■■
(スポーツ選手の敬称は存命・故人を問わず省略させていただきました)