大阪・兵庫の岩山を登る 中山連山(その2) - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)
大阪駅から宝塚市の山・中山連山(連峰)の山頂を目指しています。
両側をフェンスに囲まれた登山道を中山最高峰に向かってゆっくりと登っていきます。
道からひょいとのぞいたら、三角点の石積みが見えました。中山連山最高峰です。標高478メートル。出発の阪急電車の駅から休憩時間を含んで3時間20分でした。
山頂は広く、休日は沢山の登山者で賑わいそうです。お昼を食べるため景色の開けた場所でリュックを下ろしました。
そして、登山靴のチェックで靴を脱ぎました。前回の山登りでは爪先にストレスを感じたのでインソール(中敷き)を入れ替えて歩いて来ました。今回は良い調子です。
山頂のミツバツツジはまだつぼみでした。ここから中山寺奥の院に向かって下って行きます。
西国三十三所・第二十四番札所として、また安産の神様として知られる中山寺の伽藍は、戦国時代までは現在の奥の院にあったとされています。
堂塔伽藍・奥之院|大本山 中山寺|安産祈願・子授祈願|兵庫県宝塚市のお寺 (nakayamadera.or.jp) 【外部リンク】
「応神天皇 武内宿祢 御座」と書いてあります。神話時代になりますが応神天皇の頃、国に大変な疫病が蔓延して、世の人々は応神天皇との勢力争いに敗れた忍熊皇子(おしくまのおうじ)の祟りだと恐れました。(中山寺HPより)
現在も忍熊皇子は日本最古の疫病神として畏れられ丁寧に祀られているそうです。
「疫病神」。いや~な響きですね。ここから現在の中山寺まで「奥の院参道」を下って行きます。ふもとから一丁~十八丁の丁石(道のりの目安)があります。
立派な石にしめ縄がかけられています。これはひょっとして封印された疫病神??
この写真を撮った時は気づかなかったのだけど、家で拡大したら衣冠束帯の人物が写っていました。
「元祖疫病神」かと思ったら菅原道真公で、「宇多天皇が自ら石に道真を掘った」と案内があります。中山寺のおこりとは関係あるのか分かりませんが、こちらも「大宰府に送られた道真の祟り」を恐れたものだそうです。
「十五丁」。奥の院からぐんぐん下っていますが、まだ18等分(18丁)のうち3丁しか下っていません。「享保年間」と彫られた丁石もたいへん古い。
奥の院参道の途中に「夫婦岩」そして「展望所」があり、急な上り下りのお休み処となっています。
空を見上げると飛翔体、もとい 飛行物体を発見。
山中からずっと「ゴウゴウ」と空が鳴っていた音の正体は伊丹空港を発着する飛行機でした。山だから特に響くのか、平地ではどうなのだろう。
私の家は田んぼに囲まれているので水が入ると一晩中「ガアガア」とカエルが大合唱しますがお互い、音に慣れるまでは辛いかも?
同じようなミツバツツジでも種類が違うのが分かります。上はコバノミツバツツジ?詳しい人に聞いてみます。
写真にはありませんが、参道を登って来る大勢の人とすれ違いました。中には「自分の健康を確認するために毎日奥の院まで登っています」という女性もいました。すばらしい事です。
「壱丁」まで降りて来ました。奥の院から標高差約280メートル。
桜が満開の中山寺。ちょうどよい時期に来れました。お天気に感謝。
大日如来を祀る大願塔。すごく大きいです。桜とのコラボ。
1603年に豊臣秀頼の発願により再建された本堂。秀頼本人も父・秀吉から「中山さんのお参りでお主を授かった」と言われていたのでしょう。
お堂の装飾は見事の一言です。本尊の十一面観世音菩薩像は秘仏で普段は厨子を閉じ、毎月十八日に御開帳だそうです。(中山寺HPより記載)
本堂正面右奥にそびえる五重塔。2017年再建で、珍しい青色に塗られています。
青い色が珍しいのもあって、すごくカッコいいです。
山門へはエスカレーターを下りていきます。「~手すりをお持ちになり、足元に・・」とSCで聞きなれたアナウンスには違和感がありました(笑)。
山門を境内側から見たところ。阪急中山観音駅から山門までたった2分、電車が便利です。
ここから阪急宝塚~西宮北口~神戸三宮。三宮でJRに乗り換えて、車窓から須磨浦海岸を見ながらホテルのある西明石まで行きました。その4に続きます。
2024年4月14日(日)更新■■
大阪・兵庫の岩山を登る 高御位山(その1・前泊) - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)