kotarosandayoneの日記

街道歩きを中心に、風景などをアップしています

「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その②

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その①では善光寺西街道の出発点「洗馬」宿から「松本」宿まで歩きました。その続きです。その②では松本から善光寺街道との合流点「篠ノ井追分」まで歩きます。

2020年12月27日 善光寺西街道歩き 2日目)

2日目は松本宿から青柳宿まで歩き、もう一泊するために電車で松本まで戻ります。

朝寒いより夕方寒くなって心細くなるよりはと思って暗いうちにホテルを出ました。

マイナス4度位でした。

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まだ松本の町中を歩いているうちに、空がうっすらと明るくなり、北アルプスが浮かび上がって来ました。真ん中は日本百名山のひとつ「常念岳」で「北アルプス表銀座」周辺を代表する三角形の山容を誇ります。毎日こんな景色が見られてよいなあ。と旅人は思ってしまうのです!

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1767年に建てられた「日本廻國供養塔」。旅に倒れた人も多かったのでしょうか。

「松本」宿から「岡田(おかだ)」宿を経て、次の「刈谷原(かりやはら)」宿まではひとつめの峠越えです。

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標高1025mの刈谷原峠に着きました。きのう午後の観光気分から一転、今日は冬山登山の気分です。それでも松本のホテルから2時間10分で着きました。良いペースです。まだ朝8時40分だから、予定通り歩けるかしら。アイゼンやスパッツを着脱したり、休憩していると時間はすぐに経っていきます。

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旧道沿いの「道祖神」には正月のしめ飾り 毎年欠かすことがないのでしょう。

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刈谷原」宿を過ぎて「会田(あいだ)」宿に近づいて来ました。

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山間の村には似つかわしくない立派な村役場(現松本市役所支所)

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メインストリートがこの景色ですから。キャッチフレーズは「人と自然にやさしいまち」と支所の入り口にありましたが、税金の使いみちを少し考えた方が良いような?

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「会田」宿から街道は峠に向かってぐんぐん登っています。対になっているのは善光寺常夜灯です。難所の峠に臨む旅人を励ました事でしょう。

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善光寺街道で最大の馬頭観音(観音様の頭に馬が載っている)を過ぎると、きょう2つめの峠までは胸を突くような登り坂。もう正午を回っています。

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1005mの「立峠」。写真ではピントが手前に来ていますが、遠く日本海まで眺められるような景色でした。

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「あれは北アルプスの富士、有明山かしら。あちらは爺ヶ岳かしら」などと縮尺の小さな地図にコンパスを当てながら、ゆっくり峠を下って行きました。

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「松本」宿から「青柳」宿まで、無事2日目の行程を終えました。峠越えの26キロ。最寄り駅のバックの山が素晴らしく、「あちらは爺ヶ岳 右は鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)」と、なぜか地元の人に山を教える?事に。

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松本まで戻る車中、朝見た常念岳大天井岳(おてんしょうだけ)に続く稜線。

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松本駅に戻ってきました。

歩くときは山の中。泊まるは街の真ん中。(笑)」知らない土地でのギャップを楽しみたいのです。コロナ禍でなくても翌日の事があるので、だいたい大人しくしていますが。普段は冬休みで大いに賑わうであろう高速バスのターミナルも静かでした。

2020年12月28日 善光寺西街道歩き 3日目)

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続いて3日目、ハイ山の中。歩き始めて15分でこの絶景。

街道を通すために戦国末期から大岩にノミが穿(うが)たれ、その後3度にわたって切り広げられたそうです。一番下は現代の削岩機によるものですが、その上には江戸時代のノミの跡が残っています。善光寺西街道 大切通し」

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持参して歩いた本には詳しい道筋と解説が記されています。こちらをもう一度めくりながら文章を載せています。上の「大切通し」の解説は全くの受け売りです。

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まだ登りだからよいけど、下り斜面で滑ったら事故になるので要注意です。

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「麻績(おみ)」という難読地名の宿場を後に、最後の難関、猿ヶ馬場(さるがばんば)峠に向かいます。まっすぐ下から歩いて来るつもりだったが、道を間違えて左から登ってきました。鹿と私の足跡が交差している。

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964mの峠は開けていて、聖湖(ひじりこ)、奥にはスキーのリフトが見えています。ちょうど東屋があったので腰を下ろして、早めにパンを食べました。

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長野県ならではの風景と言うのでしょうか。お天気も素晴らしい。

後はもう下るだけだから、と思いますが今回の旅は松本方面から長野方面へ、南から北に歩いているので、「南斜面を登って、北斜面を下る」という図式。お分かりのように下りの方が積雪が多いのです。

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時にはひざ下まであるような雪道を何と1時間以上下りました!

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道中3日間とも晴天で嬉しかったです。

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くつ打ち場「馬に草履をはきかせさせた場所である。時には旅人も、草履を履き替えるなど身支度と気持ちを新たに難路の峠に向かった」とあります。

立て看板の文字を控えて来たのではなくて、フォトアプリで写真データを拡大して読みました。便利ですわ。

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ようやく善光寺平が見えて来ました。ここでは道を間違えて、本来は下に見えるお墓のあたりを通るはずでしたが、おかげでより俯瞰の絵が撮れました(笑)。

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篠ノ井追分に至る最後の宿場「稲荷山(いなりやま)」宿にて。

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「左せんこうじ道 右東京並屋代道」

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善光寺街道善光寺西街道の分岐点「篠ノ井追分」道標。今回の旅はここまで。

よって、善光寺には参りません(苦笑)。すいません。今回は2泊3日で善光寺西街道を歩くルート(下の地図の赤い線の部分)を紹介しました。

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善光寺街道は仕切り直して、2022年の年明けにでも2~3回に分けて紹介したいと思います。(あしたからは2022年ですが)

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帰りの特急「しなの」の車窓から善光寺平 座席位置は選んであります。行きも帰りも車内はガラガラでした。

2021年12月31日(大晦日)自宅にて更新。

「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その③ - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

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「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その①

2019年9月にいわゆる江戸幕府直轄の五街道を歩き通した私は、五街道に次ぐ主要交通路である脇街道と呼ばれて多くの人々が足跡を残した善光寺街道に注目した。

現在の長野市善光寺門前町として発展してきたが、何でもご本尊の阿弥陀如来像は遠くインドから「仏教伝来」とともに日本にやって来たという。

阿弥陀如来像は戦国の世に各地を旅し、善光寺の「もとさや」に納まったらしいのだが、いずれにしても長野県の善光寺は「仏教伝来の地」ではないか!?

この日記をまとめようとして、初めてその事に気づいた筆者でありました。

(以下写真は筆者の撮影です)

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国宝の善光寺本堂 創建以来11回の火災にあったという(ギネス級?)

【リンク】牛にひかれて善光寺参りとは - コトバンク (kotobank.jp)

「思いがけないことが縁で、また、自身の発意ではなくて、偶然、よい方に導かれること」。

なんて心地よい響きなんでしょう。これだけで信仰心を集めそうです!!

しかし、私は根性が悪いですから

「良い」を「悪い」に書き換えてみるとー。

「思いがけないことが縁で、また、自身の発意ではなくて、偶然、悪い方に導かれること」。

「こんな事、俺、しょっしゅうだよ~」という恨みつらみが聞こえて来るようです。

そんなお嘆きの諸兄(諸姉)に一言。

 

「鰯(いわし)の頭も信心から」。

こうなったら自分で調べてください。

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自称「全国で一番簡単な」善光寺街道の図です!
京都方面から善光寺を目指すには、尾張経由で木曽街道(中山道)を通って「洗馬(せば)」宿から善光寺方面へ(善光寺西街道)。太い赤い線】

江戸方面から善光寺を目指すには碓氷峠(軽井沢)を越えて中山道「追分(おいわけ)」宿から善光寺方面へ(善光寺街道)。【太い黒い線】

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約1年前にさかのぼって2020年12月26日

名古屋から特急しなのに乗って長野県入りし特急停車駅の南木曽(なぎそ)で下車。普通電車に乗り換えてローカル駅の洗馬(せば)駅で下車しました。

特急の運転手は小柄で眼鏡姿のきりっとした(後ろからは見えないけど)女性運転手。

年末休暇初日の朝一番の下り電車の運転を任されるんだから中央本線のエースなのかな」とその時思いました。グリーン車の一番前を奮発したので運転席の彼女のデッキ越しの風景をみていましたが、動作がキビキビとしていました。カッコよかった~。

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南木曽ではホームに雪がついていたので洗馬駅で吹雪いていたらどうしよう!と少し覚悟したのですが、寒かったもののご覧の良い天気で恵まれました。ここが上の地図にあるように中山道善光寺西街道の分かれ道「洗馬分去れ(わかされ)」。

「洗馬(せば)」の地名の由来木曾義仲が戦の前に疲れ切った愛馬の足をこの地で洗ったとところ、勢いを取り戻したという事です。格好いい!!

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「確か馬の足を洗った場所の写真があったよなあ」と思い出し、2018年に中山道を歩いた時のアルバムを引っ張り出してきました!(データで残していないのが残念。。)

洗馬宿から次の郷原(ごうはら)宿までは一本道、歩いて約1時間。

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「本棟造り(ほんむねづくり)」という長野県中部から南部にかけての伝統的な住宅形式です。屋根の中央に「雀返し」という飾りがついているのが特徴。
郷原宿から今日の宿泊地、松本に向かって北に歩いていきます。

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郷原宿から歩いて1時間余りの村井宿にある「神明宮(神明社)」。

全国にある、伊勢神宮をお祀りするお社です。伊勢神宮のある三重県から歩いて来ましたよ。のべ何日もかけての道のりですが。

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村井宿の本陣 標高620m 出発点の洗馬からゆっくり下って来ました。

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重要文化財に指定されている「中田家」。鶴亀の彫刻がされています。

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松本の市街地に入ってきました。「国道十九号線」とは旧国道の名残で、地図によると現在は県道295号です。

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パルコのある野麦街道の出発点です。

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日本一の振り子時計が出迎えてくれる「松本市時計博物館」。ゆっくり見たかったのですが、松本城と旧開地学校の「ダブル国宝」を今日中に見学する予定なので、観覧は次回に持ち越しました。

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一番日の短いこの時期、松本城の旧三の丸にあるホテルにチェックインして、登山用のリュックを置いて出発します!(善光寺西街道歩きの翌日は冬山の峠越えなのです)

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松本城天守を映す内堀を伝って、先に旧開智学校に行きました。

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学校の建物が国宝に指定されているのはここくらいなのでしょうか。

「近代教育の黎明を象徴する最初期の擬洋風学校建築として、文化史的に深い意義を有する」と評価されました。国宝指定は2019年。めっちゃ最近やん。

この校舎は明治9年から昭和39年まで90年近く使われ、そのあとすぐに博物館として公開準備が進められたようです。

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明治の開校当時から松本は就学率が全国一で、現在も長野県は教育先進県のイメージがありますね。

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「成績不良児学級児童調査簿」(明治41~43年。。。あららこんなのもありました。

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冬の西日を受けて明るく輝く旧開智学校を名残惜しく後に、松本城天守に戻りました。すっかり観光客気分です。

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複雑で急な階段を登って、6階の天守最上階から見た北アルプスです。

f:id:kotarosandayone:20211230191925j:plain戦乱の世が過ぎ、太平の世。徳川家光をお月見でもてなそうと増築された月見櫓(つきみやぐら・左手前の赤い手すりの建物)から振り返ると。

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東にお月様が上がってきていました。家光も同じ景色を見ていたのかと思うと感慨深いですね。

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日も暮れてイルミネーションが輝く丸の内で、食事をとろうと和食の店に入ったつもりでしたが。

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まちがって隣のタイ・ベトナム料理の店に飛び込んでしまったのですが、ソフトシェルクラブ(脱皮したばかりの蟹)を使ったカレー料理に満足しました!
後半はすっかり松本市の観光日記になってしまいましたが、善光寺西街道歩きは明日からが本番。千メートル級の峠を2つも越えなければいけません。

その②に続きます。

「牛にひかれて善光寺参り」善光寺街道・善光寺西街道を歩く~その② - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

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伊勢街道~伊勢別街道を歩く JR紀勢線一身田駅~高茶屋駅 約13キロ☀

2021年も残り20日を切りました。

自宅では換気扇のお掃除などをしましたが、同居の家族が2人から1人になったので

ご飯をつくっても余るので、出来合いのものを買ってくることが多くなりました。

料理でも食べてくれる人がいないと張り合いがありませんね。

もし将来1人暮らしになったらどうして生きていくのでしょうか?

そうならないように今からでも何とかするとしましょう(笑)。

そもそも「1人暮らし」ほど不経済なものはありませんからね。

収入のある現役のうちはまだ良いとしてもです。

前置きはこれくらいにして、趣味の街道歩きです。

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「ちゃんと歩ける 伊勢参宮道 善光寺街道」(山と渓谷社

常に持ち歩くので本の縁をあらかじめ補強しないとぼろぼろになってしまうのです。

長野県善光寺まで連れて行きましたから(本に連れて行ってもらった、とも)。

ところで4年位使っていたカメラを新調しました。全く同じもの

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左が通販サイトで買った中古品(状態良) 右が新品で購入し愛用してきたもの 値段は倍

古い方を誰かに差し上げようとも思ったが、2つを比べてみると性能も落ちて来ているのが良く分かったので、思い切って処分しようかなと思います。

右のカメラは全国をずいぶん歩いてまわりました。松尾芭蕉並みとはいかないまでも。

なので、今日は新しい方のカメラのデビュー戦です。

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まずは津市一身田の自宅からJR一身田駅まで 寺内町と奥に錫杖ヶ岳

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JR一身田駅から高茶屋駅まで 鉄道でワープして、高茶屋駅から伊勢街道を北へ

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同じお家を2方向から撮ったもの 松の葉が黄色くなっているのが気にかかります

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このあたりの地名の元となっている高茶屋神社 11日正午ごろ

【リンク】三重県神社庁のページ「高茶屋神社」なかなか興味深いです

神社検索 (jinja-net.jp)

今日の歩き旅は、回り道をしても15キロにも満たないので気楽です。

写真には上げませんでしたが、伊勢街道は思ったより休憩場所が少ない(東海道などと比べて)ので、ここを歩くときはベンチと囲いのある「藤方」バス停で小休止します。

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『高郷井用排水路改修竣工紀念碑』三重県知事田中覚 署名は直筆でしょう

田中覚知事は昭和30年から昭和47年まで三重県知事を務め、初当選時は全国最年少の知事だったそうです(45歳)。

四日市コンビナートとライフラインの整備を進め、一方で四日市ぜんそくの公害訴訟で企業側が敗訴した時に、企業側に控訴しないよう働きかけたという事です。

激動の知事時代だったようです。

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思案橋」津からまっすぐ伊勢に向かうか、香良洲神社に寄ろうか思案した街道の分岐点です

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明治天皇が八幡地区を訪れた時の記念碑です 新しいお家の庭にあります

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安濃郡と旧一志郡の境にあった子安地蔵

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「寛保三年」とあります 知られた元号ではないが将軍吉宗の頃 今から約280年前

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明治20年創業の山二造酢株式会社

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会社のHPから拝借いたしました

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市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)地域の氏神様です

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エンマ堂の閻魔様 2代目津城主が津の城下町の南側の守護としてお寺を建てたそうです

【リンク】みえの歴史街道/ウォーキング・マップ:伊勢街道 (mie.lg.jp)
この辺りのところはリンク先に詳しいので、いちど検索してみてください。

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一度に4人が亡くなった国道23号線 中央分離帯の開口部です 以後ふさがれました

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高茶屋駅から歩いて1時間半で、岩田橋に着きました

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津の最高気温は18℃でした 風もなく暖かかったです 

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伊勢街道は日本三観音の津観音に向け直進します(南から)

現在でも節分祭の時は賑わいますが、往時はどれほどの賑わいだったのでしょうね。想像もつきません。

伊勢街道は津観音の仁王門前で90度曲がります。

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37年前にこのお店でエレキギターを買いました 今もたまに触ります 音楽を弾くというよりも、将来に向けた手の指のリハビリです(笑)

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津銘菓の平治せんべいでお土産を買いました

津の観音様を拝んだりして、ゆっくり旅人のように時間を過ごしました。

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津市安濃川の塔世橋 戦時中の弾痕跡を保存しています 機銃掃射の跡でしょうか

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四天王寺 何と織田信長の母親のお墓があります!

織田信長の母、土田御前(どたごぜん・つちだごぜん)と信長の弟の信包(のぶかね)は津市で暮らしていたのですが、土田御前が信長を生んでいなかったら今の世の中はどうなっていたのでしょうか?? 

ドラえもんに聞いてみたいですね。(みんな英語をしゃべっているとか??)

2020年のNHK大河ドラマ麒麟が来る」では檀れいさんが土田御前を演じ、信長を大変疎んじていました。

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津駅前 伊勢街道沿いにある焼肉屋さんです

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先日、こんなお肉をここで食べました! これで1品5000円 !(^^)!

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津駅周辺は再開発や建て替えが進んで、伊勢街道の名残が少なくなってきています

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江戸橋の常夜灯 安永6年(1777年)建立

伊勢参りに江戸から歩いてきた人、京都から歩いてきた人が最初に落ち合い、伊勢からの帰りにはここでお別れするという日本有数の追分の常夜灯にしては、現在、やや遠慮がちに「江戸橋」のたもとに立っています。

子供のころから見慣れた風景ではありますが、今も昔もこの鳥居が行きかう人々や車を見つめています。

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近鉄江戸橋駅前を行く 特急アーバンライナー8両編成 名古屋と大阪を結ぶフラッグシップ車両の座は「特急ひのとり」に譲ったものの、まだまだ現役です

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伊勢別街道 津宿~窪田宿と、最初に紹介した伊勢街道 津宿~雲出宿の写真

雰囲気もあまり変わらないという事で、今回もしめたいと思います。

2021年12月12日(日)更新

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初瀬街道を歩いて紅葉の長谷寺へ 2021年11月23日(火/祝)☀🌥

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長谷寺本殿から境内と表参道

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十一面観世音菩薩立像  国の重要文化財

【リンク】奈良・長谷寺 花とこよみ

花とこよみ|奈良大和路の花の御寺 総本山 長谷寺 (hasedera.or.jp)

勢と京・大和を結ぶ初瀬(はせ)街道を通って紅葉が見ごろの長谷寺に参ろう・特別拝観で「日本一の十一面観音菩薩」に触れよう!と今回も同級生と歩き旅を企画しました!

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伊勢神宮長谷寺を結ぶ道は「初瀬街道」と「伊勢本街道」のふたつがありますが、平面図で見ると南側の伊勢本街道の方が近い感じがします。

しかし全編通して歩いてみて分かったのですが「伊勢本街道」は険しい山道の連続でした。対する「初瀬街道」は伊勢の国と伊賀の国を隔てる「青山峠」以外は比較的平坦な道でした(ただし国道の路肩がない危険個所も)

【リンク】青越え伊勢街道(初瀬街道)

青越え伊勢街道(初瀬街道)ウォーキングマップ/奈良県公式ホームページ (pref.nara.jp)

奈良県監修のウォーキングマップに従って、近鉄大阪線三本松駅をスタートして初瀬街道を歩いて、長谷寺長谷寺駅にゴールする区間を歩きました。

【感想】とにかく寒かったです。榛原(はいばら)の寒さは想像通り・・

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近鉄大阪線 三本松駅 午前10時到着なのに寒い・・ 左は国道165号

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イチョウを見ながら、初瀬街道を西に歩き始めます

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榛原(萩原)と名張の中間にある 元三(もとさん)の宿場に差し掛かる

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「萩原(榛原)まで西に2里2丁 名張まで東に2里12丁」

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もと本陣 今は特定郵便局を務める「上ぬしや」

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元三の宿場を見下ろす「三代目の三本松」を見に行ったのですが、残念ながら枯れていました(._.)

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坂の途中にある「北向き地蔵」

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紅葉に覆われた「えび坂」を振り返る

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初瀬街道の各所にある、伊勢神宮に通じる常夜灯 1859年建立

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立派な小中学校がありました

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近鉄大阪線でも橋脚の長い鉄橋 室生口大野ー榛原

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下から見るとこんな感じ 国道165号と交差している

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花火がバン!と開いたような紅葉

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「大和富士」とも称される額井岳(ぬかいだけ)榛原を見下ろす822m峰 

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「ぬれ地蔵」という看板に従い川原に下ります

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同級生と手を合わせたあと、初瀬街道と伊勢本街道の合流地点である萩原宿(榛原)に入ります。お昼も榛原でとりました。

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登録古民家「奥田家住宅」軒先の街路灯が良い感じです。

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「右いせ本かい道 左あをこ江みち」

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明治初期まで商っていた旅籠「あぶらや」はちょうど伊勢本街道と初瀬街道が交わる三叉路にあります。

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お膳を並べて展示してあるのは良いアイデアです 賑わいがよみがえるよう。

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この松の木のすごい事!1本の木から反対方向にも同じ位伸びています。ここまで育てるのに一体何年要するのか?? その技術は? 分からない事だらけです。

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榛原から西は「伊勢本街道」と重なります。

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歩き始めから5時間、いよいよ長谷寺が近づいて来ました!

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長谷寺の仁王門 ここから長い廊下を登っていきます

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今回の初瀬街道歩きの目的の一つは、本尊の「十一面観世音菩薩像」のお体に触れる?というものでした。

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舞台のある長谷寺の本堂は国宝(1650年建立)

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西国三十三所観音霊場 第八番札所」長谷寺
本堂内の撮影はかないませんが、身の丈10メートルを越える観音様の足を触って「真下から見上げる」という大変貴重な体験でした。

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「長谷の舞台」から見下ろす紅葉は圧巻でした!日が差していれば更に良かったでしょう。

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本堂に向き合うように建っている「本坊」

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本堂の舞台から見た「本坊」奥正面

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逆に本坊からみた本堂 「登廊(のぼりろう)」も見える

【リンク】青越え伊勢街道(初瀬街道)

青越え伊勢街道(初瀬街道)ウォーキングマップ/奈良県公式ホームページ (pref.nara.jp)

近鉄三本松駅から歩いて長谷寺まで行き、近鉄長谷寺駅まで歩くという行程でしたが、一部歩道のない国道の路肩を歩く事になるので注意が必要です。

 

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峠を登ったり下りたり、階段を登ったり下りたり、寒いのに汗をかいたりといろいろ
ありましたが、今回も良い歩き旅でした。お土産の「くさ餅」も美味しかったです。
今回もありがとうございました。
【2021年11月23日(祝)歩いたその日に更新】

追伸:長谷寺からの続きをあるく日記を更新しました。ボタンが見頃です!

伊勢本街道から仏教伝来の地を通って奈良・大阪へ その① - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

■■

東海道歩き 水口宿から関宿(その2) 2021年11月20日(土)☀

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国道1号線を鈴鹿峠へ(滋賀県側)

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東海道を歩く 水口宿から関宿(その1)の続きです。

水口から土山に入りました。

東海道五十三次 土山宿】

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大黒屋本陣跡(写真の東西方向が東海道

「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」

東海道の難所であった鈴鹿峠を馬を引いて歩いた「馬子唄」として伝わります。

坂=坂下宿 鈴鹿鈴鹿峠 のことを指します。

「(亀山の関宿から西に歩いて)坂下宿では晴れていたが、鈴鹿峠の頂上では曇っていて、土山宿に入るころには雨になっていた」

これは、天気は西から変わるから鈴鹿峠越えの時は用心せよ、という事で旅人の間にも広く伝わっていたのただろうと思います。

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歌川広重東海道五十三次「土山宿」 雨の風景が描かれている

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歩いた日は晴れの良い天気でした!

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スマホなら拡大してみる事が出来ます。看板がまぶしく光ってますが。

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宿場全体が東に向かってやや上り坂になっています

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徳川家光の上洛(京都行き)に際して建てられた本陣跡

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問屋場

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5年前に歩いた時は通り過ぎてしまった「白川神社」足腰にご利益がありそうなので時間を押しても参らなければ!

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拝殿の周りを左回りに三周して願い事を唱えます

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本殿の「なで石」と体の悪いところを交互になぞります

体のどこをなぞったのかは内緒です(笑)

さっそく落とし物をしてきました。

入り口道路脇のグレーヂング溝に赤いボールペンが吸い込まれて行きました( 一一)

厄落としになったのかしら。

ほどなく、現在の宿駅「道の駅 あいの土山」に着きました。食事時で家族連れでとても賑わっています。

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ここでは楽しみにしているものがあったのです。それは・・

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田村神社前のたこ焼き屋さん♬ 「今から焼きます」と言われ15分待ちました

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9個入りで500円 「焼きたて」がこんなに冷めないとはビックリ! 

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東海道田村神社の参道を通ります

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青銅製の鳥居を潜れば本殿へ 鈴鹿峠ヘは手前を右折します

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歌川広重の「土山宿」に描かれている「海道橋」

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戦国時代、地元の山中氏が三重の北畠氏を迎え撃った「蟹が坂」

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旧東海道新名神高速道路の下を潜ります 時の流れを感じますね

鈴鹿峠のふもとにある「十楽寺(じゅうらくじ)」さんを訪ねました。

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こちらには「甲賀三大仏(こうかさんだいぶつ)」とされる日本最大級の阿弥陀如来坐像を拝むことが出来ます。本尊以外にも秘仏とされた貴重な仏様を拝めます。

a十楽寺 トップページ (jyurakuji.jp)

拝観料としておとな500円納めますが、一体一体丁寧に解説して頂きとてもお勧めです。(お礼にリンクを張りました)

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いよいよ鈴鹿(峠)越えです(晴れています)

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鈴鹿峠の近江側(滋賀県側)には「万人講常夜灯(まんにんこうじょうやとう)」があります。石の重さは推定38トン、高さ5メートル以上あります。

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見れば見るほど危なっかしいバランス 建てられた江戸中期以降、地震でこけないのが不思議です。

こちらには駐車場やトイレもあって、高畑山の登山客も利用します。登山客の方が多いでしょうか。

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近江の国と伊勢の国の国境付近が登山口になっている

赤い丸が常夜灯 オレンジの線が旧東海道 南が亀山・関宿側

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峠を振り返ったところ(三重県側から)

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水口から土山を過ぎて、鈴鹿峠に到着しました

歩き始めてここまで5時間半 目指す関宿まではあと2時間近く・・

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急な山道を転がるように下っていきます(気持ち急いでいます)

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鈴鹿峠のてっぺんから坂下・関方面を見下ろす

鈴鹿山脈を隔てて、三重県側は急峻滋賀県側はなだらかな地形であるのが一般的です。琵琶湖の成り立ちとも関係あるのでしょうか?

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国道1号線を階段で潜る形になります

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鈴鹿峠の守護神を祀る片山神社 切り立った峠の陰になって「すずかおろし」にさらされることなく美しい紅葉が見られます。

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美しい紅葉を見ながらどんどん下ります

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振り返ると高畑山(たかはたやま)の稜線が大きい

東海道五十三次 坂下宿】

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「坂は照る照る・・と謳われた坂下宿」

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秋の残照に鈴鹿の山が浮かび上がります まさに坂下宿

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イルミネーションの準備をしていました 見たかったです

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鈴鹿峠の目印にもなっている「三子山(みつごやま)」

浮世絵「坂下宿」のイメージに似ていますか?

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坂下~関を走るコミュニティバス

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鈴鹿峠に端を発する鈴鹿川 国道1号線沿い

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関宿の夕暮れ 人影も少なく

東海道五十三次 水口宿⇒関宿

歩いた距離はちょうど30キロメートル、神社やお寺の参拝時間も合わせて7時間半の行程でした。1日の歩数は41000歩でした。強行軍ですが、上のコース図を参考に一度チャレンジしてみてください。

週明けからぐっと寒くなるそうな。

東海道 水口宿~関宿をあるく👞👞👞(1・2)】終わり

東海道歩き 水口宿から関宿(その1) 2021年11月20日(土)☀ - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

東海道歩き 水口宿から関宿(その1) 2021年11月20日(土)☀

前回は自転車で中山道東海道草津宿から水口宿を走りました。

今回は徒歩で東海道の水口宿から鈴鹿峠を越えて関宿まで、約30キロを歩きます。

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JR関駅に車を停め、JR関西線、草津線近江鉄道を使って水口宿まで入り、関駅まで東海道を歩いて帰って来るルートです。

逆ルート(関宿⇒水口宿)は五街道歩きを始めた2015年の秋に歩いたので、6年ぶりになりますね(この間に自転車では何回か走りましたが)。

最近、三重の大和街道を歩いた時も、関駅に駐車してJRを使って関駅に歩いて戻ってきました。関宿では駐車のほか、食事やお土産を買うのに便利なこともあります。

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大和街道三重県内)の地図 以前に公開

JR草津線の貴生川(きぶかわ)駅近江鉄道本線と、信楽高原鉄道の起点にもなる乗り換え駅です。時間待ちの間に駅舎の外に出て、コンビニで行動食を買いました。今日はお腹が減る時間帯は峠越えのためにお店が少ないのです。

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貴生川(きぶかわ)駅 手前が近江鉄道 奥がJR草津線

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近江鉄道 安定の硬券

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列車は西武鉄道の払い下げ 近江鉄道西武グループ

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道が三筋に別れます 真ん中が東海道

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立派な休憩所があります

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三筋の道が再び合流します 後ろを振り返る

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祭りの山車の格納庫がありました

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日本橋より112里目の一里塚で休憩 近くには古民家カフェも

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国道1号線(現代の東海道)と互いに交差しながら歩ける、安全で楽しいコースです。
水口を後に、土山に向けて歩いています。スタートから1時間30分。

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旅籠「近江屋」跡 タイル文字の「防火水」がかわいい

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滋賀県で一番大きい野洲川(やすがわ)の風景

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滋賀・三重県境の山を望む高畑山~油日岳

日本シリーズ ヤクルトオリックス 第1戦を見ながらブログを編集していますが、玄人好みの良い試合ですね(私は素人ですが 笑)

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旧東海道の松並木

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天照大神三重県の伊勢に鎮まる前に、ここに仮の宮が作られたそうです。パワースポットですね。

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鐘楼の立派なお寺があると思ったら、茶畑もあるという滋賀県南部の東海道です。

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こちらも東海道の続きです。「歌声橋」というそうですが。

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橋の上からこのような景色が見えたら、私は鼻歌のひとつもでます♬

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橋の反対側 一番奥に鈴鹿山脈に近い独立峰・綿向山(わたむきやま)1110mが見えます。約25年前に一度登りましたが、良い山でした。
【その2に続きます】

東海道歩き 水口宿から関宿(その2) 2021年11月20日(土)☀ - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

【追伸】

同じコースを歩きました! 水口⇒関 約30キロ ノンストップで5時間フラット

2021年12月5日(日)天候☀ 滋賀県土山町の最高気温9.1℃

東海道から雪化粧した綿向山、雨乞岳を眺めながらのウォーキング

帰って来て、靴下を見たら足の親指の爪から出血&内出血 やはり保護テーピングして
歩いた方が良かった 峠からの下りを急ぎ過ぎたようです 反省

#ホテルニューミフク 水口  #「酒とおばんさい 帆ほ」

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前乗り泊の楽しみ 水口の地酒をお供に(映っていない)

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洗い場付きのお風呂とトイレが別 自宅のようなくつろぎのお部屋

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前乗りした水口のホテル 窓からの朝焼け

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路傍のお地蔵様

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雪化粧した綿向山

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峠越えの馬子唄の碑

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県境の高畑山登山の車 計20台くらいありました

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峠を守護する鈴鹿大明神を祀る 片山神社の紅葉

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高畑山の稜線を振り返る

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東海道五十三次 坂下宿の遅い紅葉

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終始快晴 寒い中の楽しい街道歩きでした

■■

「電車と自転車」で「中山道と東海道」を走りました(?)2021年11月14日(その2)

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近江鉄道サイクルトレイン(11月14日)

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近江鉄道 五箇荘(ごかしょう)駅 滋賀県東近江市 新幹線がちょうど交差する

久しぶりにサイクルトレインを利用したら近江鉄道利用促進デー」にあたってしまって車内で冷や汗をかきましたが(その1参照)、なんとか自転車でのスタート地点に着きました 午前10時20分頃 ここから中山道に沿って草津に下(くだ)ります。

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建てられてから180年近く経っているとは思えない美しい常夜灯です。

(*スマホは指で拡大できます)

多賀大社から伊勢神宮へ向かう道と京都に向かう道の分岐点だったようです。

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湖東三名水のひとつ「清水鼻の名水」

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自転車のため体調に配慮して、ちょっとなめるだけにしました!

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近江八幡への分かれ道にある「大神宮常夜灯」

ここでクイズです 上の灯篭の基壇(これも難しいけど)に彫られている4文字はなんと読むでしょうか?

 

【答え】「村中安全」(右から左に読む)です。みなさん読めましたか?

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奥石神社 「安産祈願」ともありましたが、こぶつきの大木(写真)があったので後出しでつけたのではと勝手に想像します このあたりは「老蘇(おいそ)の森」(国史跡)というそうです。

次はあの「源義経」にまつわる史跡です。

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「ミスタープロ野球」といえば長嶋茂雄さんですが、「ミスター武士」といえばあの三英傑を差し置いても「源義経」ではないでしょうか。

『牛若丸 改め 義経

本当にここで元服したの? 烏帽子をかけた松が(幹だけとはいえ)実在??

元服したのは1174年3月3日の事の様です。もちろんいい国作る前ですよ。

松(の幹)本人に聞いてみないとわかりませんね。

 

逆光で撮るとわかりますがどうもレンズの中曇りがひどくなり愛用のカメラもそろそろ寿命の様です。(時々落としましたし)

さて次は野洲市の「背くらべ地蔵」です。こちらも中山道沿いです。

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小さい方のお地蔵さんは高さ1メートルに満たないですが「このくらいの丈(背の高さ)になればこの後もすくすく育ってくれるだろう」という昔の人の思いがこもっているのだと感じました。

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野洲川をちょうど貨物列車が行きます 神ってるわ・・。

次は「東門院」です。

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「ちゃんと歩ける中山道六十九次」のガイドブックによると

比叡山延暦寺の鬼門にあたる東方を守護するために東門院が建立され「比叡山を守る山(お寺)から「守山」の語源となった そうです。

【リンク】山と渓谷社

ちゃんと歩ける中山道六十九次 西 藪原宿~京三条大橋 | 山と溪谷社 (yamakei.co.jp)

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中山道東海道が交わる草津に入ってきました。

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草津川は天井川でしたが、その下をトンネルが掘られています。

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トンネルを抜けたところ 右方向は東海道 江戸に向かう道

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公開されている草津宿の本陣

本陣が公開されているのは東海道の二川(ふたがわ)宿の本陣と並んで貴重な存在だったと記憶しています(五街道全部あるきましたが)。
中山道を南下して、分岐点で折り返す様に東海道に入り、東にスタート地点の水口(宿)に向かいます。

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草津川(天井川)は市民憩いの場 レストランなどもあります!

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久遠山専光寺 真宗大谷派 樹齢350年のイチョウが見事に色づく

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さて次は・・

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手孕(はら)み伝説による 旧手原村(東海道沿い)

少年チャンピオンに「手っちゃん」というシュールな漫画があったのを思い出しました。

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漫画の記憶もあるし、最初の写真は「石のベンチ」なのですが座りたいとは思いませんね( 一一) お尻を触られるみたいで 実はすごいご利益があったりして???

(上の画像2点は借りてきました)

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湖東・湖西の色々な所から見える近江富士(三上山)432メートル

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草津と水口の中間にある石部(いしべ)宿です 街道の宿場にはめずらしく置屋がなかったそうです 皆さん京を立って一泊目、「ぐっすり寝た」のでしょう。

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本陣跡の近くに出来たお休み処 きれいなトイレもあります

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外観はこんな感じ

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旧東海道沿いはのんびり走れます 向こうに天井川

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時々現地点をチェックします ながら走りは出来ないので停まって

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次の天井川のトンネル前で大きな紅葉=^_^=

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滋賀県で一番大きな川・野洲川(やすがわ)を旅人は渡し舟で渡りました。

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「横田の渡し」200年前(1822年) 建立の巨大な常夜灯

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スタート地点の水口(宿)が近づいて来ました

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水口城 石垣に生える草が紅葉している

水口城は徳川三代将軍家光が京都に向かうための宿舎として建てられ、その後に水口藩が成立したそうです 現在の甲賀市の中心部です。

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落ち着いて来たのに通行止め? 橋が傷んできたそうです(無念)

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4時間足らずで元の場所に戻りました

奈良県の十津川街道をめぐって以来、久々に自転車に乗りました。サイクルトレインを利用したので自転車を袋に詰めたり出して組み立てたりという時間のロスがありませんでした。次は近いうちに奈良と伊勢を結ぶ「初瀬街道」を歩いて来たいと思います。

今回もありがとうございました!

2021年11月14日(日)走ったその日に更新

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