kotarosandayoneの日記

街道歩きを中心に、風景などをアップしています

「最古の官道」エピソードⅠ 大阪藤井寺の夜に大コーフン🥃🐃💕編(1)

藤井寺球場大阪府藤井寺市のモニュメント

人気シリーズの小説や映画の続編のようなタイトルです。前回までに「最古の官道」竹内(たけのうち)街道を歩いて一区切りとしました。

一方で百舌鳥(もず)古墳群を周遊した事から、同じく世界文化遺産登録古市ふるいち古墳群も回ってみたいと、ちょうど3週間ぶりに大阪に戻って来ました。(⇩外部サイト)

百舌鳥・古市古墳群 日本語TOP|世界遺産 百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん) (mozu-furuichi.jp)

2024年2月23日(金・祝)☔⇒☁️

神話時代を含む歴代の天皇が祀られている巨大古墳群を訪ねるのに、今上天皇の誕生日はことのほかふさわしい。ちなみに今月は2月なのに三連休が2回もあって、しかも4年に一度のうるう年。

出発地点に向かう電車の前面ガラスを雨粒が叩き、水滴は太い帯となって側面ガラスを這う(高速で走っているのであたりまえ)

前日の大阪の予報は朝から曇りだったはずだ。ひょっとして○下は☔男??

人気ドラマのもじりではないが「不遜もほどがある」。

近鉄古市駅で急行から準急に乗り換え

乗り継ぎがスムーズに行って、予定より1本早くスタート地点の「土師ノ里」駅に着きました。

土師ノ里と書いて「はじのさと」と読む 難読駅名のひとつ

当地発祥の豪族「土師氏」にちなんだ駅名とあるが、同じ名前の地名はない。確かに古墳に並べる埴輪(はにわ)は素焼きで、2度焼きの一般的な陶器に対して「土師器(はじき)」と呼ばれる。それにしても、

駅は古市古墳群の中でも「三役クラス」の大型前方後円墳に挟まれている。どうしてわざわざここに?? 

千葉県浦安には「東京ディズニーランド・ステーション🎠🎡」という駅があるが、この駅の名は「はじのさと」でも良いが「古市コーフンランド・ステーション」でも引けはとらない(異論は認める)。

『改札出たら2分でコフン🏺』

【市野山古墳】墳丘(鍵穴型の部分)の長さ230mで全国20位の大きさの古墳。宮内庁が第19代允恭(いんぎょう)天皇の墓と定めている。世界遺産

一番幅の狭い「後円部」の頂上からだが1枚の写真に納まりきれない。よく見ると伐採された木の丸太が並べられていて、宮内庁が定期的に手入れをしている事が伺える。

古墳と住宅地の境目には「遊歩道」が設けられている所も多いが、大抵このような看板がある。

これだけ住宅が近いとそもそも「犬の散歩コース」にするには気が引けるだろう。どの家も玄関(拝所)が古墳とは反対側にあるから、こちら側は居間や寝室のはずだ。なるべく音を立てないように歩いてゆく。

今日は天皇誕生日🇯🇵。正面の拝所には菊の花が供えられています。古墳を一周して、古代の官道(国道)のひとつ「長尾街道」を東から西に向かって進みました。

【長尾街道】竹内街道の北に並行して整備され、現在の堺市の「方違(ほうちがい)神社」と奈良県葛城市の「長尾神社」との間を結ぶ。長尾神社で竹内街道と合流して終点となり、横大路につながる。

方違神社(堺市百舌鳥古墳群 反正天皇陵の北隣にある

長尾神社(奈良県葛城市)横大路・竹内街道・長尾街道の合流点

郵便局のあるところ、旧道あり 

交通量の多い国道170号(外環状線)と交差 歩道橋で越える

古い街道と言ってもその面影なく、雨も降り止まない中ボチボチと歩いていた所、目前に道しるべを発見。一気にテンションがあがりました。

「元禄14年」1701年というから相当古い

右ハ ふじい寺 かうや(高野) よしの はせミち

雨で散った梅の花びらが案内板についていました

街道を2キロ歩いて、近鉄藤井寺駅の手前で曲がり、アーケード街に入ります。

「両手に買い物袋」の頃にはありがたかったアーケードの屋根

古い門前町藤井寺市は駅前も昭和感たっぷり。プロ野球ファンなら近鉄のホーム球場だった「藤井寺球場」の名でなじみがあるでしょう。アーケード街の一角で、近鉄の4番だった人がお店を開いているのは聞いていました。

今夜は3駅先のホテルをとったから、食事したら電話するより訪ねていこう。先に場所が分かれば、と思っていたら、何とあっさり見つかりました。

玄関の扉は半開き。何本か刺さっている傘立てがあって、中の扉の奥からカラオケの音楽が聞こえてくる。お昼間はお年寄り(たぶん)のためにお店を開けているのだなと思いました。

「すいません。ここ、栗橋さんのお店ですよね。」ちょうど向かいの店で作業していた男性に声をかける。確信があっても周りに聞いてしまうのが既にコーフンしている証拠。

このベースボールカードを見て「復刻版ユニを着た吉田正尚?」と一瞬思った人は少なくないはず。

当時は「マッチョマン」ではなく、ギリシャ神話の剛力の神に例えて和製ヘラクレスと呼ばれた元猛牛戦士の「栗橋茂」選手です。こうなったら何としても今夜お店を訪ねたいなあ。

再び藤井寺駅前を通って500m、いや300メートルも行くうちにモニュメントがありました。

近鉄バファローズ本拠地 藤井寺球場 1928-2005」。甲子園球場に次ぐ本格球場として昭和3年に完成。

現在は高校の敷地に この角度だとドーム球場の外観にも見える

街の真ん中(駅前)にありすぎて球団側が照明装置をつけようとするも周辺住民の同意が得られず、優勝したのに日本シリーズの試合が出来なかったそうです。大阪ドーム(当時)の開場と共にメイン球場はドームに移り、オリックスとの合併で藤井寺球場は77年の歴史に幕を閉じました。

在りし日の少年に戻って、こだまする球場の歓声を思い出しているのかも

感傷的な表現を用いましたが、耳に残るのは河内名物の「日本一キツ~イ野次📢」かも?(笑)。再び線路を潜って、長尾街道に戻り西に進みます。

東西南北しか読み取れませんでした

足元の悪い中、次に訪れたのは第21代雄略(ゆうりゃく)天皇陵古墳。前の方墳と後ろの円墳のふたつに分かれています。

拝所のある方墳側

方墳の土地ではかつて農産物が作られ、明治維新以降に古墳として再整備されたそうで世界遺産の構成物からは外れています。

方墳の方は住宅とグラウンドに挟まれ、再構成されなければ池の中の円墳のみ残るだけだったかも?

案内板に「世界遺産」のマークはないが、めずらしい古墳のパターンとして興味はそそる。

続いては、「文句なしの大きさなのに、世界遺産に数えられない」古墳です。

遠くからでもその巨大さが分かる

【大塚山古墳】仁徳天皇陵応神天皇陵などにつづく全国第5位の大きさを誇るが、①「百舌鳥古墳群」と「古市古墳群」の中間点にあり、②古墳時代最盛期から外れた6世紀後半の築造である事、

③古墳の完成途中で工事を放棄した可能性がある事、④大正時代までに人が住んでおり集落を形成していた事などから、世界文化遺産登録されていない。

中の住民が立ち退いたのは昭和3年で、くしくも藤井寺球場が完成したころ。(古墳は松原市羽曳野市にまたがる)

「ケッ、正真正銘の古墳かどうか、白でも黒でも別にいいじゃんかよ」

セリフをあてがわれた黒い鳥はカモではなく、オオバンという鳥だそうです。くちばしはとんがり、足に水かきはありません。

「向こうからヒドリガモの群れがやってきた いっちょうカモたろか」

オオバンにからまれ迷惑そうなカモのカップ

気づいたらお昼ご飯がまだでした。「まぼろしの巨大古墳」の真正面のファミレスに入る。

古墳を見に来たついでの客は誰一人居りません(私こたろーをのぞく)。レストランの中は満席の賑わいでした。3連休初日の昼下がり。

実は球場跡から街道に戻る途中、ジャケットを鉄柵の先端⚡で引っ掛けて中から水鳥の羽毛が飛び出してきて困りました。注文が通る間に手持ちの絆創膏を張る。こんな使い方をするとは(^-^;

白い水🥂1杯91円 生ハムとモッツァレラチーズ盛合せ455円 

小エビのタラコソース491円(税抜き)コンビニ飯より安いかも

雨カバーをかぶせたザックが「前方後円墳」に見えて来る始末

食事後は足を早めて、近鉄河内松原駅前のホテルに夕方4時頃落ち着きました。

スーパーで今日と明日のごはんをしっかり買い込んで入室

ベッドはダブルの150センチ幅でゆったり

【公式】ザ・セレクトンあべの松原駅前【ホテル予約】2021年7月グランドオープン (celecton.com)

さて、このまま朝までホテルでまったりかというとそうではない。今夜は大勝負が待ち構えているのだ。

それは元近鉄バファローズの4番・栗橋茂さんのお店「しゃむすん」に出かける事。

古墳巡りが主体のブログ(を読んでもらっている)のでここで、栗橋さんの実績を沢山書くつもりはない。しかし調べれば調べるほど「バッティングも球場の外でも豪快だった」らしい。家から持ってきた雑誌には「温厚な性格で猛牛軍団🐃をまとめた男」とあるがどちらが本当なのだろう。

私こたろーがいち野球少年の頃はパ・リーグはテレビでやっていなくて、「江夏の21球」と語り継がれる1979年日本シリーズ近鉄ー広島 最終戦大阪球場)もラジオで聞いていたクチだ。この試合の4番はもちろん広島・山本浩二近鉄・栗橋茂。そんな人の経営しているお店に初めて訪ねる。夜分に酔っ払って行ってもいけないが、逆に素面でも行く勇気がない。電車に乗る前に部屋で2本目のチューハイを流し込んだ。

長尾街道を東から西に歩いて、途中藤井寺球場跡に立ち寄って河内松原駅前にゴールし、今また電車で藤井寺駅まで戻って来た。駅の南出口からお店までは歩いて3分。

お店は昼間と同じように、入り口の扉は半開きで(写真は昼のもの)、違うのは中の扉も開いていて、男性が背中を向けてひとりでテレビを見ている。ちょうど開店時間になったばかりだ。
「すいません。こんばんは。」こたろーの声で男性がこちらを振り返る。

©TAKARAJIMA2008(中の掲載写真とも)

 

【つづく】🐃🐃🐃(2024年3月2日最終更新)

「最古の官道」エピソードⅠ 大阪藤井寺の夜に大コーフン🥃💕編(2) - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

■■

「最古の官道で最高の感動を」その⑦(了)古墳と羽曳野のワイン🍷にコーフン 編

2024年2月2日(仏滅)

堺市役所を起点に赤い線のルートを歩いて、世界遺産「百舌鳥(もず)古墳群」のナンバー2、履中天皇陵にやって来ました。

堀の幅は広くて、平均60~70m。大きな川にも見える

前方後円墳「前方」の角に立つとなんとか墳丘全体が視野に入りました。

古墳の正面は広い通り むしろ古墳の形に合わせて道をつくったか

【履中(りちゅう)天皇陵】古墳丘の長さが365m。仁徳陵、羽曳野市応神天皇陵に次いで全国第3位の大きさ。世界遺産百舌鳥古墳群の中では最も初期に作られたとされる前方後円墳で、宮内庁が第17代 履中天皇の墓と定めている。

古墳の西側に沿って歩きます。住宅のあるところにはかつて外堀があって、水を湛えていない空堀であったと考えられています。

堀を挟んで「後円」の正面にビュースポットがあり、ここにも案内板

公園を抜けて、いよいよ仁徳天皇陵に向かいます

仁徳天皇陵の正面に着きました。ここから中には入れません。履中天皇陵の拝礼所(⇩)も大きかったが比較してみると。

こちらの方がちょっとでも古墳に近い分だけ、親しみが持てるような。

案内板の大きさも他の古墳を圧倒しています

頑張って拡大して読んでください

仁徳天皇陵】古墳丘の長さが486mで日本最大の前方後円墳です。広さは約47万平方メートルで、よく広さを「東京ドーム何個分」とか表現しますがここは大阪。違うモンに例えるけど、びっくりせんといてや。

何とユニバ(USJ)とほぼ同じ広さ!!

テーマパークは新しいエリアが出来る度に敷地が広がっていくから、現在はユニバの方が広くなっていますが、それにしてもさすが、世界最大のお墓。

関係ないけど、大阪・和歌山の人はユニバーサルスタジオジャパン(USJ)の事を「ユニバ」と略します。マクドナルドはもちろん「マクド」。三重県の人間は「USJ」と英語読みが多いかな。

第16代仁徳天皇陵の外堀を泳ぐ鳥たち。

キレイな鳥の羽根 何となく貫禄を感じるような

仁徳天皇陵外堀の南東の角

なんとな~く中央の古墳丘が見えているような(要拡大)

【問題】仁徳天皇陵の周囲は何m(キロ)あるでしょう。(ヒント⇩ )

「後円」の頂上付近にやってきました。歩道橋に「西高野街道」と書いてある。橋の上から写真を撮りました。

7年前にも同じ場所から写真を撮りました。こちらです。

あの時は仁徳陵のキレイな紅葉を見ながら おにぎりを食べました

懐かしいです🍙

竹内街道熊野街道西高野街道)の分かれ道に戻ってきました

預けていたリュックを手に、ホテルの部屋にチェックインしました。

市役所を起点に計ったのが右の歩数 左は津からの移動込み

マップアプリで計算したらちょうど13キロ歩いていました

時刻は午後5時40分。日も暮れて来ました。部屋から向かいの市役所を眺めながら「まてよ、展望フロアは夜7時まで開いているから夜景🌙が見られる」。さっと夕食を済ませば丁度良いかも。

周りにはいくらでもお店があるんやけど、決めていた駅百貨店の寿司屋へGO!

海鮮丼というには豪快なひと椀 海老が豊漁?(笑)

シマアジの頭と大根を煮た一皿 美味かった😋

お勘定をして、成城石井でワインとつまみを買って、部屋に戻らず市役所にGO!

大阪方面 遠くにハルカス~🏢

🌙夜の仁徳天皇陵🌖 やはりデカかった

この景色をつまみにワインを傾けたかったのですが(妄想)、

夜7時にエレベーターが停まるので慌てて降りました。でも良かった。得した

赤いのはニンニクではなく、モッツァレラチーズ🧀。そこまで体力をチャージする必要は特にない(笑)

宿泊ホテルは朝食ダイニングの代わりに近くのお店と提携。私は同ビルの吉牛(𠮷野家)にしました。「牛丼🐮か~久しぶりやな。朝から」と思いつつお風呂に入って寝ました。

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明けて2024年2月3日(土)大安 節分👹

牛丼ではなく「朝定」でした。ご飯の上にかけて「納豆牛丼」にして食べましたが。

前日の晩から「竹内街道」の予習はバッチリ

中百舌鳥駅まで電車 バレーボールVリーグ堺ブレイザーズ」とのコラボ

今日は南海中百舌鳥(なかもず)駅から近鉄上ノ太子(かみのたいし)駅までのほぼ平坦な約16キロ。これで竹内街道~横大路(最古の官道)を全部歩く事になります。

通学路の壁に描かれていた 昔の地図

金岡神社の鳥居が正面に見えて来ました

【金岡神社(かなおかじんじゃ)平安時代の宮廷絵師を祀る。神社の所から旧大坂・難波宮(なにわのみや)に通じる大道があったという。

・なにわのみや(北方向) ・ならのみやこ(東方向)

大化の改新の後、難波宮藤原京平城京難波宮長岡京平安京 天皇(みやこ)が行ったり来たりするたびに、ここの交差点を曲がっていたとするとロマンなんですが。

ここでも大阪方面への道を北方向に分けます

「右 ひらの 大坂 道 l 左 さかい 道 l 左 さやま 三日市 かうや(高野)道 寛政九年 いせ講中と刻まれています。

もう少し進んで行くと(向こうから)

「左 ふちい寺  上太子  やまと 道」とある。上ノ太子駅羽曳野市)に向かうこたろー、たいへん励まされる。

近畿自動車道を潜ると 松原市から羽曳野市

日吉神社と大師堂の並ぶあたりにも伊勢講が建てた灯籠があります。

【伊勢講(中)とは】伊勢参りに誰でも行けるようにお金を積み立て、順番に行けるようにする伊勢信仰の集団の事。自主的な旅行代理店のような働きや、街道に灯籠を寄進するなどの活動を行う。(個人の解釈を含みます)

弘化四丁未年八月 などと読める(1847年)

「伊勢橋」と古い親柱が飾ってありました。

住宅地の中に竹内街道 横大路(大道)」の案内板

「野球・サッカー禁止」の看板とサッカーボール形のジャングルジム

カラー舗装された狭い道を進んで行くと・・

その名も「日本武尊白鳥陵古墳」が目の前に。世界遺産古市古墳群の一角を形成します。

ヤマトタケルの白鳥伝説ーこちらも伊勢の国とのかかわりが記されています。旅先で縁を感じる事ってありますよね~。

QRコードを読み取って再生したのがこちら。(音が出ます)

(16) 白鳥陵古墳 - YouTube

空撮に勝るものはないけれど・・・目の高さからみても古墳丘のこんもりした様子や広い堀などは一級の古墳だと感じさせられました。

名の通りの白鳥はいなかったけど、カモが沢山くつろいでいました

お天気の良い土曜という事で、写真を撮りに来た人、古墳周りのロウバイを見ながら散歩する人、何人かとお話しできました。

近鉄古市駅方向からみた古墳案内の石碑

古市駅は南大阪線と長野線の乗換駅 昔も街道が交わる地点で名の通り、古代から市が立ち、たいへんな賑わいだったようです。

さて、羽曳野市はぶどう🍇の一大生産地なんですが、その手前に

チョーヤ梅酒」の本社工場がありました 梅酒も好きです

長かった横大路~竹内街道歩きもあと少しです。桜井市堺市の間、各地で古墳巡りに時間を費やし? のべ4日かかりました。

南北朝時代に掘られたという石仏の十一面観音菩薩立像に線香を手向けました。ここまで順調でした。

では竹内街道筋、最後のご紹介🍇です。

街道の横道、狭い路地をぬけていくと突然ワイナリーが出現。

「このあたりはぶどうの産地なんですね」お店のスタッフに尋ねる。

2000万年前に二上山が噴火して、火山灰が羽曳野に降り積もったの。それでぶどうの生産に適した土壌となったのよ。」「なるほど、ヨーロッパでも畑に等級とかありますもんね。」つたない知識で話を合わせる。

(どれもおススメだろう、と思いつつ)「どれがおススメですか」と尋ねてみると。

「それはやっぱりデラウエア新酒ですよ!」羽曳野のワインの入門編といった所か。

「堺から歩いて来たんですよ。上ノ太子駅がゴールで。」「ここから40分位かかるよ。デラウエアの畑は剪定してあるけど、そこら一帯ブドウ畑やから見て行って」

ワインのビニールハウスが、スキーのゲレンデの様に斜面に広がっている。

駅に近づくにつれ、細い街道は坂道になって来る。私の背中にはこちらの銘柄が1本刺さっている。(満タンなので音はしません)

大阪府はぶどう栽培が盛んで、デラウエアにかぎると全国3位の生産量なのだという。それもすごいが、子供のころから親しんでいる「たねなしぶどう」がワインになるなんてこの年まで知らなかった。

© 竹内街道・横大路~難波から飛鳥へ日本最古の官道「大道」~活性化実行委員会

街道歩きの最後で仕入れたワインを含んで感動に酔いしれたいもののさすがに車中でという訳にはいかない。いつもの「宅飲み友達」に来てもらって試飲会を行う事に。

国際親善試合🥂 🇯🇵日本ーチリ🇨🇱 2月10日(土)午後1時 こたろーの自宅でキックオフ🍇🍇

【日本】品種:デラウエア ラベル:二上山から登る朝日 【チリ】品種:ソーヴィニヨン・ブラン ラベル:アンデス山麓 

何で日本のワインだけ少し減っているのか?

「コルクが開くかどうか心配で」と正直に?打ち明けました。飲み口はゴツンとくるけど、ス~ッと抜けていく。そしてデラウエアの甘みがじわじわ来る。デラウエア2023、感想はでらうめえや。

最後もタイトルよろしく、ダジャレでしめました

「そんな事より、ワインの販売所が知りたいよ」👉河内ワイン | 大阪 羽曳野市 河内のワイナリー (kawachi-wine.co.jp)

「最古の官道」シリーズはこちら、その①からお願いします。

奈良・大阪の街道歩き/歩き旅 カテゴリーの記事一覧 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

【続編】エピソードⅠ 公開しました🐃

「最古の官道」シリーズ エピソードⅠ 大阪藤井寺の夜に大コーフン🥃💕編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

 

■■ 2024年2月26日(月)最終更新

「最古の官道で最高の感動を」その⑥ 再び、古墳に大コーフン💕💕 編

「最古の~」シリーズもその⑥に突入しました。今回は大阪府堺市をスタートして竹内街道を東に歩き、前回のゴールである太子町までの歩き旅です👞👞(下図)。

©大阪市

恒例の行程図 家への書き置き

1泊2日の行程で、初日は世界遺産の「百舌鳥(もず)古墳群」を周遊して、堺市の中心部で夜を少したしなみ(笑)、翌日は日本遺産の「竹内街道を進んで「古市ふるいち古墳群」をかすめて最後は羽曳野特産の🍷仕入れるという算段。

「計算」通りにいくのか、いかないのか。その誤差を楽しむのが歩き旅の醍醐味?

鶴橋駅近鉄からJR大阪環状線に乗り換え 金曜午後1時頃

南海電車 新今宮駅1番線 高野山方面

急行で新今宮から堺東駅まで約10分と近い

南海電車堺駅堺東駅を結ぶシャトルバス

堺港は中近世まで貿易港として栄え、バスにも南蛮人や宣教師の姿が描かれています。

駅前の便利なホテルにリュックを預けました。今日は身軽に動きます。まずはお向かいの堺市役所高層館。

「上から百舌鳥古墳群を見てみよう」。21階の展望フロアは市役所休みの土日祝日も開いていて、360度の景色を見られます。日本(世界)ナンバー1の仁徳天皇陵はデカすぎて下から見ても良く分からないから、と思って来てみたら、

上から見てもデカイ!

堺市役所「ハニワ部長・CHO」の案内等によるとー

百舌鳥古墳群(もずこふんぐん) 前方後円墳など44基が現存し、いずれも堺市内にある。古墳の長さ(墳丘の長さ)が約500メートルある仁徳天皇陵を筆頭に、23基が2019年、「古市古墳群」と共に世界文化遺産に登録された。

せっかくなので360度の景色を眺めていきます。

北方向 大阪方面 中央奥にあべのハルカスが見える

西方向 堺港~大阪湾方面 

中央に明石海峡大橋 左に淡路島 右に六甲山

お天気は⛅と言った感じだが、ボランティアガイドの人によると「今日は遠くまで良く見えますね」という事でした。フロアを一周しようとすると目の前に赤い壁が出現。

レンタルビデオ屋のパーテーションの様に見える(私のイメージ)が、堺市出身の劇画家「さいとう・たかお」氏の展示が常設されています。

標的を正確に打ち抜く、ゴルゴ13仕様のアーマライト銃

単一漫画シリーズ210巻のギネス世界記録を持つ「ゴルゴ13(サーティーン)」や「鬼平犯科帳」などは今もコンビニや書店の棚を飾っている。

「俺もこの目で見た事しか信用したことがない(笑)

私、こたろーの座右の銘である。というか今の時代には誰しも必要なポリシーではないだろうか。実際にはブログを書くのに「ウキペディアのお世話になる」事はしょっちゅうである(ただし、あくまで参考とする)

紫=西高野街道  赤=熊野街道  緑=竹内街道

「日本最古の官道」竹内街道は堺を起点に東に「ならのみやこ」に向かって伸びている。エレベーターを降りて、これから実際に歩いて、この目で確かめる(大層な)

堺市役所を起点に、前半は竹内街道をゆき、後半は主な百舌鳥古墳を巡るコースを考えました。ちゃんと計っていないけど10キロ位はありそう。

まずは堺東駅の東にある古墳と神社参りから

古墳をめぐるウォーキングコースが設定されている

こちらの方違(ほうちがい)神社は古くから方災除けのご利益があり、人々を吉方に導いてくれるのだという。あしたは節分会。多くの参拝者で賑わうだろう。

「とりあえず今日、歩く方向を間違えませんように」と願う

神社と古墳の東に沿う道はかつての熊野街道。2017年の暮れに歩いた区間が一部重なり、うろ覚えながらも懐かしい気持ちで歩く。

反正天皇(はんぜいてんのうりょう)古墳】百舌鳥古墳群の北端にある前方後円墳で、古墳丘の長さは148mで6番目の大きさ。世界遺産宮内庁が第18代反正天皇のお墓と定めている。

それぞれの古墳の正面には詳しい説明版があります

熊野街道との分かれ道にやって来ました 左竹内街道

大きな地蔵仏と安政四年建立の道しるべがある

高野山女人堂 これより十三(里)

7年前は右側の道を行きました またその先で高野山と熊野方面に分かれる

そのころは熊野街道熊野古道)を制覇するのに関心があって、竹内街道をのちに歩こうとは思っていなかったが、また戻って来たんだなという感慨がありました。

ここからしばらく国道に沿います

推古天皇21年(613年)の11月、「難波より京(みやこ)に至る大道を置く」という記述が日本書紀にあります。

竹内街道はこの先まっすぐだが、駅へのアクセスや今日の行程を考えるとここまで。「あしたはジョリーパスタ🍝の所から続きだな」と覚えて、南西方向に進む。

大阪メトロ「なかもず」駅と南海高野線「中百舌鳥」駅

西高野街道を少し戻るように歩く

可愛い百舌鳥古墳群の大きさベスト1、3、4、7が描かれています。「ん」だけ残念ながら方角と時間の都合でまたの機会とする。

この4つの古墳の中では作られた順番に「」「だそうです。いずれも西暦400年代の話。

こっちの看板はコワイぞ。

不法投棄どころか、ポイ捨てでもスナイピング🎯🔫されそうです

この辺はコフンだらけだけど、以前熊野街道を歩いていた時は堺辺りはフンだらけで避けながら歩いた事を思い出しました。失礼しました。

再び大きな古墳に行き当たりました 時計回りに半周する

【御廟山(ごびょうやま)古墳】正面が西を向いている前方後円墳で、古墳丘の長さは203mで4番目の大きさ。世界遺産宮内庁が第15代応神天皇のお墓の候補地としている(ただし応神天皇陵は羽曳野市にあり、古市古墳群の盟主となっている)

堀の幅がとても広いので、古墳丘の全体が納まっているけど実際目にすると大きいですよ。さらに西隣の「いたすけ古墳」に進みます。

するとびっくり!古墳に木が生えていない。

手前が「後円」。斜め奥が「前方」。古墳本来の形がすごく分かるんだけど、どうして(はげ山)になった?? 知りたくてたまらなくなったところ、ちょうど女性2人が散歩していてこっちに向かってくる。

「すいません。この古墳はどうして毛がないんですか、違う、木がないんですか?(落ち着け。今日は吉の方角に導かれているはずだ)

「さあ、私が越して来た時はまだあったけど、越して来たの何年前やったっけ?」。

どうやら数年前の事らしい。「その時は重機で木を刈って、草が生えてきたらまた秋に刈って。」「宮内庁?」「もちろん宮内庁。」

2人は古墳群のまわりを散歩コースにしているみたい。大きな古墳をつないで回れば、結構な距離を歩ける。

「古墳ごとに違う鳥がおって楽しいよ。ここには時々狸も来る」。「狸?(狸の森は消滅しているけど)」「まだたまに来るみたい。タヌキは泳ぐよ。なあ、私が越して来たの何年前やったっけ」。ずいぶん時間をとらせたような気がする。

お礼を言って別れて、前方部に回ってみる。四角と言ってもなだらかなピラミッドの様に中心部が高い事がわかる。ちなみに、はげ山でも世界遺産

案内板には「かつて住宅地造成で古墳が壊されそうになった所を反対運動が起こって教師や子供たちがその役を担い、市が土地を買い取って(私有地だったのか?)保存した」と書かれている。

「いたすけ古墳」は市民の「おたすけ」で今にその姿を伝えているのだ。タヌキの親子もまた遊びに来るだろうか。

【追伸】こういう記事もありました。

大阪)タヌキがすむ「いたすけ古墳」で樹木伐採スタート [大阪府]:朝日新聞デジタル (asahi.com)

古墳めぐりはまだまだ続く。この後ナンバー2の履中天皇陵とナンバー1の仁徳天皇陵が控えている。仁徳陵は日本最大どころか世界最大だ。

日本の巨大古墳の先駆けとなった 履中天皇陵(4世紀末~5世紀初頭)

ひとしきり古墳の周りを歩いた後は、駅前のお寿司屋さんに入って、成城石井でワインを仕入れて、ホテルで1人まどろむのだった。(⇩につづく)

「最古の官道で最高の感動を」その⑦(了)古墳と羽曳野のワイン🍷にコーフン 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

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「最古の官道で最高の感動を」その⑤ 竹内峠⛰️を越えて大阪・太子町へ 編

© 竹内街道・横大路~難波から飛鳥へ日本最古の官道「大道」~活性化実行委員会

前日は大和八木の夜を大いに楽しんだ割には結構早めに切り上げたので、翌朝も調子よく目覚めました。

朝8時前には、昨日の終着点・近鉄尺土駅(奥)に

その⑤では横大路の続き~竹内街道を歩いていきます。駅の真ん前からリスタート出来るのは最高です。しかも「最古の官道(国道)」ときている。

2024年1月14日(日)🌞 堺市の最低/最高気温 -310℃

今朝は二上山もくっきりです。山の向こうの大阪府はだいぶ冷え込んだようです。長尾神社の一の鳥居をくぐります。

長尾神社は横大路の西の突き当りです。二の鳥居には社章(しゃしょう)を覆う唐破風(からはふ)が据えられています。

手水鉢は確認したところ明和六年(1770年)の寄進だそうです。昨夜の穢れを払って?由緒に目を通します。

どのような神様が祀られているのかと思ったら 天照大神 豊受大神

伊勢神宮の内宮と外宮の神様。これにはビックリ。

「伊勢の外宮とは東西一直線に位置しており古来より交通安全・旅行安全の神様としても厚く信仰されています」

大阪から山を越えてやってきた人にとっては、ここが伊勢まいりのお旅所。往時の参拝の賑わいが想像できます。私(こたろー)にとっては竹内街道の出発地点でもあります。

今一度 竹内街道と横大路について見てみましょう(⇩拡大できます)

© 大阪府

太い青い線紫の線の境目が今いる長尾神社です。今から現在の奈良県大阪府の県境にある竹内峠を越えていきます。

右 よしの(乃) 左 いせ などと刻まれている

冬の朝日に輝く葛城山(奥) 山上のロープウエイ駅が小さく見える。

歩き出して30分 段々坂がきつくなってくる

鶴と亀の鬼?瓦

「スピード落とせ」の看板。この方向にスピードなんか出っこありません。むしろ逆向きから見えるように看板を立てては?(大きなお世話か)

瓦葺と茅葺を合わせた特徴的な民家。きれいに萱が葺かれているのに感心しました。相当の旧家なのでしょう。

ひょっこり国道166号の峠道に出ました。交通量が多く、金属のどぶ板が歩道代わりのようです。

坂をあがってきたところ 大阪方面からは「遊歩道」という迂回路の表示が 

池の横から旧国道(竹内峠)に分かれる ホッとしました

車は来ないけど動物がやって来るかも??

南阪奈道路に沿うと峠も近い

人は通れるものだと期待して峠に差し掛かります

竹内峠(288m)。旧道は5m高くて標高293m。奈良と大阪の県境です。

『これより東 奈良県管轄』

しみ出した水も凍っています コケないように注意深く

平野部に絞りを合わせると峠は真っ暗 車のライトも点いています

二上山の登山口 駐車スペースは朝から車で一杯

この日は寒かった分、空気も澄んで良い景色だったでしょう。二上山には一度登った事があります。近鉄南大阪線二上山駅二上山(雄岳)~(雌岳)~當麻寺のコース。

こちらは歩いているからマシだけど、座りっぱなしで寒くないのかしらん・・

凍っているやん (^^;)

太子町側に下りて来ました 

「十七条の憲法」第一条がマンホールに 日本人の心

再び瓦葺と茅葺の屋根が見えてきたなあと思ったら、国の登録文化財でした。

ここには大神宮灯籠も立っています

このような屋根は「大和棟」というのだそうです。ちょうど午前10時で開館になったばかり。(公開は土日祝日のみ)

廊下など狭いところもあるので、リュックなどの荷物は降ろしてから見学の方が良いでしょう。

部屋からは格子模様が透けて見える

「透かし障子」というんでしたっけ?和の心ですね~。

方向表示より「餅屋」というのが気になって

右 推古天皇 小野妹子 左 孝徳天皇 中将姫 そうそうたるメンバーの墓所が刻まれている

「誰ぞ往く 犬も嗅ぎ分け 道しるべ」byこたろー

おかしな句を詠んでいるうちに、真後ろの孝徳天皇陵を見逃すという大失態。

「右 大坂 さかい 道」「左 たいし・・・道」左に行くと聖徳太子御廟所(お墓)があります。太子町という名のまち。先ほどの道しるべにあるように古代の遺跡が集まっているので、みなさんも回ってみてください。

オレンジ色の線が歩いた竹内街道 上が堺方向 右が八木方向

南阪奈道路を潜ると今回のゴールも近い

南大阪線で上ノ太子~橿原神宮前 大和八木~大阪線で帰路に着きました。

このブログを家で書いているのは2月4日ですが、実はきのうおとといでその先の上ノ太子~堺の竹内街道を歩き通しました。

なので、前回歩いた区間(長尾神社~)を更新して追いついた次第。

【次回予告】その⑥ 再び古墳に大コーフン💕💕の巻

堺市役所の展望ロビーから仁徳天皇陵の夜景☆彡

パソコンの横には山積みの古墳まんじゅう(笑)

きのう、帰って来たばかりなのでコーフンがある程度落ち着いたらその先を書きたいと思います。 

【2/8 続いて更新しました】

「最古の官道で最高の感動を」その⑥ 再び、古墳に大コーフン💕💕 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

■■

「最古の官道で最高の感動を」その④ 初日ゴール&大和八木の夜🍸️ 編

サブタイトルからしたら「待ってました」の感がありますが、大和八木から同じ近鉄南大阪線尺土駅まであと2時間半歩きます。

八木 札(ふだ)の辻に建つ旧旅籠(交流館)

©ええ古都なら https://www.nantokanko.jp/kokaidou/193.html

(株)南都銀行さんのポータルサイトにリンクしています。

上の地図では中世から江戸時代に発展した環濠集落「今井町」を歩きますが、私は横大路を引き続き西に歩いていきます。以前このブログで「八木~新宮線のバス路線に沿って歩く旅」で今井町を少し紹介しています。

~“日本一のバス路線” 大和八木~新宮 167キロ+αを歩く~ その② 奈良県橿原市~御所市 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

大和八木駅と横大路の間にある「ミグランス」

橿原市のマークが入っているように、市役所の分庁舎やレストラン、スカイスパ(展望風呂)のあるホテルなどが入る複合施設です。

横大路は時代の移り変わりとともに「伊勢街道」と呼ばれ、1771年の銘がある「太神宮(だいじんぐう)灯籠」が立っています。

再び横大路は幅が狭くなったところで、和菓子の練りきりなどをお土産に買って進みました(手前方向)。

近鉄大和八木駅 京都行き特急を後ろから(北方向)

近鉄大和八木駅⇦難波  ⇧なら/京都  ⇨伊勢  ⇩飛鳥/吉野 の交差点ですから「現代版 札ノ辻(ふだのつじ)となりますね。

「左 神武天皇御陵道」の道しるべ

街道脇に蘇我入鹿を祀った「入鹿神社」があります。入鹿は中大兄皇子中臣鎌足らによって討たれ、大化の改新を迎えますが、律令天皇制を敷く国家からみれば蘇我氏は「逆族」とされる事から、入鹿を主祭神として祀っている神社は蘇我氏ゆかりの地、ここ橿原市だけだそうです。

鳥居の影の方向にはお寺 神社の境内

大日如来像を拝んできました。ただしお堂の隙間から。一方神社の本尊・入鹿像は見えませんでした。

更に境内には「冬だというのにサクラが咲いています どうぞご覧ください」と案内がしてある。

結構しっかり咲いていたのでびっくりしました。何という種類の桜だろう。ほんの一瞬「春」を感じました。

予報では午後2時~3時頃にかけて雨、という事だったが。コンビニで休憩して出てみたら西の山裾の空は明るい。このまま降られずに済みそうだ。「天気予報、外れたり!」

(小次郎、敗れたり~!)の心境でした。

ほうら、シジュウカラ様も道で遊んでおいでだ

勝ち誇ったつもりで歩いていたのもつかの間。簡易郵便局を過ぎたあたりからパラパラと雨が降り出して風も強くなってきた。

(こたろー、敗れたり…☂🌦

八木と大和高田の間は往時から目立った集落もなく、吹きさらしの「畷(なわて)」で、悪天候の時には旅人も難渋したと思われます。

傘に体やリュックを隠す様にしてしのごうと思ったが、何回も傘がバサバサと裏返りました。本降りの雨にならなくて良かった。

村中「安全」と「あ・うん」をかけている(?)楽しい謎解き

JR和歌山線の踏切を越え、横大路は大和高田の街中に入ります。

オレンジ色が旧横大路 縦の紫色が旧下街道

踏切のたもとにある「左いせ道 右京道」

横大路と下街道との交差点 右奥が北方向 このあたりは町中で下街道がいくつにも分かれて、横大路と交わっている様に思う。

南北を見通せないように少し道筋をずらすのは昔からの手法。

やぐらに守られている石と木の太神宮燈篭 「天明元年」と彫られている

1000年前の仏足に触れる事が出来る 何故に足だけ??

道幅の狭いところもある 大和高田市の横大路

街の西部を流れる高田川と「高田千本桜🌸」

あしたは竹内峠(緑の矢印のあたり)を越えていきます。右の双子の峰は二上山(にじょうさん)。

この辺りが旧道ではと思いながら歩く あと少しでゴール

近鉄尺土駅前の春日神社に着いた頃には午後4時半になっていました。朝、大和朝倉駅を出発してから8時間近く。お疲れ様でした。

近鉄橿原神宮前駅・東隣のホテルは十津川方面への旅の途中、何回か泊まっています。弱アルカリの天然温泉もありお勧めです。

到着したらひと風呂浴びようと思っていたのですが、道中の道しるべや古墳にコーフンしすぎた反動で、しばらくソファから動けなかった。

ここから夜の部です ★☆彡

橿原市観光PR大使の小林弥生さんが表紙の「YAGINAVI」で予習はバッチリ。

少し記憶を戻して、きょう午後2時頃に通過した近鉄大和八木駅の辺りに、横大路と交わる「上街道」ならぬ「呑み街道」があります。

今シリーズでは「最古の官道」横大路をオレンジ色で道筋を紹介していますが、

「呑み街道」の道筋は示さなくても一目瞭然でしょう(笑)。どんな店に出会えるのか、再び💕します。と、その前に

近くのお店に、リュックを下ろすなりダメ元で電話してみました。夕方開店直前の土曜日。「出てくれるかな?」と思っていたら。

お店「おひとりでしたら、午後8時までなら空いています」。私「あと15分位したら行きます!目の前の○○ホテルに泊まっているんで」。

お店のカウンターは10席。すでに2組くらいが座って、1組は「おまかせコース」を頼んでいるようだ。言い忘れたが鳥料理🐔のお店です。

「すいません。あの、口コミに出ていたタタキの5種盛りをお願いします。」大将「5種盛で。」

隣の席から奈良県の首長さんや有名な政治家の話題が普通に出て来る。緊張してきました。

「お待たせしました。5種盛です。」

「(左から)上モモ肉・ふくらはぎ(下モモ肉)・むね肉のタタキ、ささみ、キモです。塩かワサビでお召し上がりください。こんなの見た事ないぞ。

肉の新鮮さに恐れ入りました orz

地酒🍶も頂きましょう。

奈良篠峯「竹山」 御所市のお酒です

奈良の地酒 「篠峯」「櫛羅」 醸造元 千代酒造 (chiyoshuzo.co.jp)

「おまかせ5本でお願いします。」焼き鳥だし、お寿司屋さんみたいなことにはならないだろう。多分。

肝串を食べた時、なんだろうな「今まで食べていた肝って、どうやら違うものを食べていたみたい」という位の衝撃。

お勘定は何とか全部で5千円で納まりました

場所的には、知る人ぞ知るどころか、駅の改札の隣。地元の中学生でも知ってる。

のれんの代わりに🚻の看板があったら入って来そうな(モゴモゴ)

今から橿原神宮前からふた駅の八木西口駅前でショットバーとワインバーをはしご。正確に言うと「呑み街道」からは少し外れています。

若草山焼き」車内吊りで沿線の情報を得る事も多い

周囲は真っ暗 八木西口駅の「西口」

「お店はどこ?」行ったり来たりして焦って見つけました。「2回目に来てもパッとわかるかどうか」位にしんとしている。

「こんばんは。ちょっと暗くて焦りました。西口のお店ほかにありますか」 マスター「うちくらいですね~」

初見を装って「このYAGINAVIを見て来たんです」と冊子を見せると「それは前のですね。新しいの出てます」と頂けた。

「なんかずいぶん賑やかになっていますね。・・中岡って地元橿原出身なんですか?」

ロッチ中岡なら私でも知っている。松井絵里奈も知っている。小林弥生さんは前の号より髪の毛が伸びている。

「そういえば、お店の『エル・スール』ってどういう意味なんですか?」『南』です」「何語で?」「スペイン語です。」「なるほど。それでお店のマークが風見鶏なんですね」

おそらく初めての客とは何回もしたやり取りだろう。(下手な小説風になっていますが)

今日はさっきから鳥(鶏)づいているな。

「実は私、苗字が南なんです」

カウンターの向きからして客は北を向いて座り、マスターは南を向いて接客している。そこを突っ込もうかどうか考えていると。

「【風の森】というお酒を造っている所(御所市)の橘花ジンに、地元明日香村で栽培されているシークワーサーを入れたお酒です。ショートカクテルのギムレットにシークワーサーを合わせた作り方です。」

ものすごくサッパリして、爽やかで、何重にも柑橘系の香りがして良いのだが、それ以上に酔いが回って来る。

風の森 | 油長酒造株式会社 (yucho-sake.jp)

絶対ウイスキーの原酒よりちょっと低いだけの度数だよなあ。

「また来ますね。」店の入り口の風見鶏はやはり南方向を向いていた。駅の方向を指している。地下通路で駅の西口から東口に回った。

八木西口駅の東口(ややこしい)は、西口に比べると「呑み街道」と背中合わせだけに明るい。まだこのあと賑やかになるのだろう。

ワイン好きにはたまらない入口なのでは?

ギムレットが効きすぎて、こちらのマスターにもずいぶん話を合わせて貰ったと思うのだが、🍷の銘柄をメモに残すのが精一杯。

ハモンセラーノ・スペイン産生ハム】イタリア・パルマ産、中国・金華ハムと並ぶ「世界三大ハム」。Sサイズ(1100円)。白ワインは【トラミンTビアンコ】(イタリア産4種のブドウをブレンド(グラス950円)

赤ワイン【アウグスターレネロディトロイヤ】グラス1200円。

2階のワインバーと1階のパブの両方のお店を経営されています

街道歩きの夜を楽しくしてくれたからいう訳ではないが、訪れた八木西口の西口と東口のお店は、1人飲みでも少人数でも雰囲気はいう事はない。

「大和八木 めちゃめちゃ便利 住みやすい」中岡創一(ロッチ)

本人は「頑固かつ優柔不断」らしい。彼は愛知県にも縁があるそうで。最後にホテルに戻ってダウンジャケットから出て来たのはこちら。

エルスールのマスターがくれたポケットカイロ

明日の歩きもあるし飲みつぶれなくて良かった。午後8時20分。まだ早~い。今時1歳児でも起きてるぞ。

2024年1月28日(日)更新■■

【続きはこちら⇩】

「最古の官道で最高の感動を」その⑤ 竹内峠を越えて大阪・太子町へ 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

【こちらもよろしくどうぞ】

奈良の街道歩き/歩き旅 カテゴリーの記事一覧 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

「最古の官道で最高の感動を」その③ 大和八木は日本一の交差点✜ 編

その②の続き 奈良県桜井市

横大路(よこおおじ)をそれて、古墳2基と安倍文殊院を訪れ、六角のお堂を7回まわって災難除けを願おうとした時、、

ハイ。突風が吹いて全部池の中に落ちてしまいました。正確には右上のお守りを除く、お札を含む紙類一式です。池の中の鯉が餌と勘違いして寄って来ました。むしろお寺にとって災難ですよね。

「後で拾って置きますので」とものすごく丁重に言われ、代わりの7枚つづりのお札を頂きました。恥ずかしいなあ。

時計回りに一周するごとにお札を1枚納めます

自分の落ち度とはいえ「これ以上、災難にあいませんように。」ならびに「無事に今回も歩き通せますように」と。

六角のお堂の向かい側に「西古墳」とあります。これこそ大化の改新(645年)から石組みなどが良好な状態で保存され、古墳としては全国に7カ所しかない国の特別史跡なのです。ところが。

ひと騒動あった挙句になんと、西古墳を見逃してしまったのです。これを災いと言わずして何と申しましょうか。【⇩をクリックしてください】

文殊院西古墳 | 奈良県歴史文化資源データベース | 奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」 (pref.nara.jp)

古墳だけなら無料で見学できるので、何としても次回に見学してきます。

残念な事ばかりではなく、「知恵のらくがん」が入場券?についていたり。

家族と半分こしましたがものすごく美味しかったです

5体ある国宝のうち1体のポストカードがもらえたり。

「魔除厄除」のお守りが水没しなかったのは幸い。今も財布にしっかり入れています。とにかく再訪する価値のあるお寺でした。お世話になったのでリンクを貼っておきます。

安倍文殊院 (abemonjuin.or.jp)

「郵便局あるところ 旧道あり」。下の地図の紫の道は横大路と交わる古代の道「上ッ道」です。

ミニバンの曲がってきたところで、横大路に復帰します

今回歩いた横大路~竹内街道の全行程からするとまだ4分の1なので、ここからは快速急行で紹介して行きます。

いかにも古そうな道しるべ それとも馬つなぎ石?

被災地に視察で入って「炊き出しの🍛を頂きました」とSNSで書いてどうのこうの言われました。日本人は概ね政治に無関心な割にはそういう所しか食いつかないので気を付けましょう。

先を急ぐのでした😓

八木~桜井を東西に結ぶ横大路

桜井市は吉野の材木の集積地でもある

JR香久山(かぐやま)駅を過ぎると橿原市に入る

香久山郵便局

途中から気が付いたのだが、横大路には概ね水路が沿っています。

酒屋さん。もうお店としてはやっていないようです。自販機の張り紙を覗いてみると。

「1月15日を持ちまして自販機を止めたいと思います。長い間ありがとうございました」。

今日は13日です。あと2日ー。こういうのを見ると寂しいですね。もちろんボタンを押しました。1.5Lのコーラではありません。別の泡の出るものです。

明後日までにもう2~3人、利用者がいるといいなあ。プシュー💦。ヒィ~冷たい。

横大路は「日本書記」推古天皇21年(西暦613)、「難波より京(みやこ)にいたる大道(おおじ)を置く」と記され、今では道そのものが日本遺産に指定されています。

そんな横大路を歩いていると、やや道に張り出す様にして境内のある「三輪神社」にぶつかります。

横大路(左の道)は橿原市 境内は桜井市

主祭神三輪山の麓にある「大神神社(おおみわじんじゃ)」と同じ、国づくりの神様が祀られています。説明書きはスマホで拡大できます。

来た道を東に振り返ると横倒しになったような大きな欅(ケヤキ)があります。

道から見るとこんな感じ

「まっすぐお伊勢さんの方向を向いている。ありがたや」と当時の旅人が思ったかどうかは分かりませんが、大きな建物が無かった時代は街道のランドマークになっていたでしょう。

この三輪神社があるのがその①でも触れた「中ッ道」との交差点にあたります。

地図の真ん中、オレンジの道が交わったところ

「次は日本一の交差点、札の辻に停車します」やっぱり快速ではなくて区間急行ぐらいですね~。🚋🚋

耳成(みみなし)郵便局 「あるところ 旧道あり」もういいか。

パンジーが北風(西風)に吹かれています

午後1時頃の体感温度は7~8℃くらい。

大和三山のひとつ 耳成山(みみなしやま)

安倍文殊院から右奥に見えていた山です

職場の同行さんと一日で大和三山を回ったのが2021年の秋だからもうそんなになるか。藤原京跡の秋桜も一面、風にゆれていたのを思い出します。

だんだん道幅が狭くなってきたなあ~と思った頃、以前見た事のあるような交差点に出てきたような気がして。

ここが「八木札(ふだ)の辻」。現在は何てことない街の十字路ですが、横大路と中街道(下ッ道)が交差しています。

中街道はかつて藤原京平城京を南北に結ぶ大道でした。大道同士が交わっているので「日本一の交差点」と言えるでしょう。

「札(ふだ)の辻」とは街道や宿場での決め事を書いた高札場(こうさつば)にちなんだものでしょう。江戸後期に建てられた旅籠が現在交流館として整備されているので立ち寄ってみましょう。(⇩スマホは拡大できます)

見どころは満載なのですが、これは外せないという館内を厳選します!

中庭の燈篭に近づいてみましょう

よ~く見ると、伊勢・二見の夫婦岩が掘られています

伊勢神宮の社殿と宇治橋が2階の欄間に掘られています

「八木泊まり 夢枕にも 伊勢参りbyこたろー。

「辻」に面した角部屋。案内係の方にお願いして障子を開けてもらって下さい。

パンフレットより 1853年に描かれた西国三十三所名所図会「八木札街」

東の平田家(旅籠)もしっかり描かれていますね。

八木札の辻交流館は「街道ウォーカー」ならずともここは区間急行どころか、沿線の近鉄風に言えば「ひのとり停車駅」か。残念ながら大和八木駅はひのとりは一部の特急のみ停まります。

 

横大路は近鉄大和八木駅前近くになると途端に賑やかになります。

地図の右端から左端まで歩いて来ました ©ええ古都なら

横大路を歩く(慈恩寺追分の辻から八木まで) その1 ~現代に残る歴史の証人たち~ | ええ古都なら (nantokanko.jp)【外部リンク】

スタートからここまで5時間半。初日は八木を越えて近鉄南大阪線の尺土(しゃくど)駅まで歩く予定で、この後の天気も気がかりだったのですが、頑張って先を行く事にしました。

今日泊まるホテルではウエルカムバーもあるし、チェックインまでに温泉大浴場♨に浸かりたい誘惑にもかられましたが(今日は厄落としもしないと)。

🍙を2個買って、前に進みます!(その③おわり)

次回予告の後、その④にリンクしています。

日没後は「YAGI NAVI(ヤギナビ)」が大活躍!

ガールズバーに行ったわけではありません(掲載はされていますが)

橿原神宮前で やまだかつてない焼き鳥に遭遇!

葡萄でタイホされちゃいました💕

2024年1月27日(土)更新 ■■⇩⇩必見

「最古の官道で最高の感動を」その④ 大和八木の夜🍖🍷 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

 (⇩コチラもどうぞ)

奈良の街道歩き/歩き旅 カテゴリーの記事一覧 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)

「最古の官道で最高の感動を」その② 最古の寺院 安倍文殊院☆ 編

ー三人寄れば文殊の知恵ー

文殊知恵をつかさどる菩薩》凡人でも三人集まって相談すれば、すばらしい知恵が出るものだということ。ーgoo辞書よりー

安倍文殊院にほどなく近い「くさ墓(ばか)古墳」の入り口で、3人でもちょっと思案するのにたった1人で墓穴に突入しようとしています。

冷静になってまず説明版を見ましょう。

【国指定史跡】くさ墓(ばか)古墳・・(写真は拡大できます)

「横穴式石室に家形石棺を安置する」「石棺を安置したのち、石室を構築し古墳丘を築いたかと考えられる」

「この中に石棺が安置されている!!」

「時間は午前9時50分。石室にちょうど太陽光が差し込んで、奥に棺(ひつぎ)が確認できます!」(隊長)「よし、突入!」川口浩探検隊風に 分かる人)

棺のフタが屋根のような形をしていて「家形石棺」というのだな。更に奥に入ります。

照明を使用し、掲載用に解像度を上げています

石棺が収められているのが玄室で、玄室と玄室への通路をあわせて石室というのだそうです。

< 玄室 高さ 2.0m 幅 2.7m 長さ 4.4m >

< 羨道(通路)高さ 1.5m 幅 1.9m 長さ 8.7m >

通路より玄室の方が広くなっています。石棺の後ろに回り込んでみます。

石の塊をくり抜いて作った、棺の中を覗くことが出来ました!! 

コワい、というより、1400年前の古墳や石室・石棺に直接触れられるなんて感動しましたね。懐中電灯が要りますが。

コーフンさめやらないうちに、次の谷首古墳まで歩いて「ゴフン」です。

神社マークがありますが、神社は古墳丘の上にあります。

住宅地の中です 東隣は介護施設

説明書きによると明日香村の石舞台古墳と同じ位か、少し前に作られたそうです。

さっきの(くさ)墓古墳と比べても入り口が小さい。デラックスな体型の人だと通れるかどうか。しかしここまで来てあきらめたら「知らない世界」のままで終わってしまう。

貴重品もあるので茂みに隠しました

狭いのは入り口だけで、中は広いがほとんど真っ暗。石棺はありませんでした。

コンビニの駐車場から。店員さんに「ちょっとあそこまで行きたいんですけど」と言えば空いてる時なら許してくれるかも?

谷首古墳/コンビニから歩いて数分で安倍文殊院の門に着きます。

立派な山門があるかと思ったら意外とこじんまり

大化の改新」(645年)中大兄皇子中臣鎌足が中心となって蘇我氏を打倒。公地公民制度と日本の律令国家への始まり ー と歴史で習いました。

安倍文殊院大化元年に創建された日本最古に属する寺院で、大化の改新左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべくらはしまろ)が建立。

「奈良の東大寺」の別格本山だそうです

5つの像すべてが国宝の「渡海文殊群像」パンフレットより

獅子に乗っているのは「三人寄れば文殊の知恵」でおなじみの文殊菩薩。1203年・快慶の作です。

パンフレットより 獅子の高さだけで7mある

安倍仲麻呂安倍晴明など安倍一族をお祀りする金閣浮御堂。

「合格門」を潜って上に登ってみよう

ジャンボ花絵がありました。平成20年(2008年)子の年からはじまり、今年で17年目。11月から公開され、文殊院のHPから入ると年賀状に出来るそうです。

安倍晴明が占いのために天体観測☆彡をこの高さからしたそうです。一番奥には大和三山が見えます。花絵は例年、桜の時期まで公開されるとかで楽しみ🌸🌸

セーマン(白)と ドーマン(青)

晴明堂では災難除けの宝珠に触れる事が出来る

さて、人間には「七難」=人生のうちで7度、1年のうちでも7度、人は思いがけない災難に遭うそうで、こちらでは池に浮かぶ金閣を7周して「七難を払う」お参りが出来ます。

受付を済まして7枚つづりの魔除けおさめ札を貰いました。干支のジャンボ花絵の仕掛けといい、ずいぶん楽しいお参りです。

ブログにあげるための写真を撮りながら「計7回、何を願おうかな、いや違うな。災いのありませんようにと七回お祈りするのだな」などと考えていました。その時、耳元にビュンと風が吹いたと思ったら。

「あっ」

災いが起きてしまいましたー。

「つづく」

2024年1月21日(日)更新 ■■(続きは⇩コチラ)

「最古の官道で最高の感動を」その③ 八木は日本一の交差点 編 - kotarosandayoneの日記 (hatenablog.com)